ガリア帝国病院にて

「殿下! 殿下!」

 コンラッドの元へ伝達兵が走って来る。未だ城門は破られておらず、クレム軍はこのまま撤退するのではないかと思われていた頃だ。

 伝達兵はエレネ川に毒がまかれ、周辺に火が放たれた事実、そして兵をエレネ川へ移動させるというガリア皇帝の命令を伝えた。

「そうか、分かった。こちらは十分抑えられている。後方の隊を向かわせよう。」


 ガリア城から見える景色が変わった。クレム軍の後方から、ゆっくりと人の群れが近づいて来る。

「あれは・・・!」

 クレム軍の援軍だ。ガリア皇帝は歯ぎしりする。

「なぜだ? このような巨大な援軍・・・クレム軍の規模をはるかに超えているのでは?」

 群れが大きくなり、彼らが褐色の肌をしていることに気付く。

「まさか、ゲルグ人?」

 それはクレム帝国内のゲルグ人部隊であった。

「クレム帝国、既にゲルグ人を兵として訓練していたというのか!」

「ものすごい大軍ですわ。我が軍は抑えきれるのでしょうか。」

「ぐっ・・・!」


 突然増えた援軍に、城門は難なく破られる。城壁の上に居た兵士たちも数の攻撃により押された。コンラッドはこの戦闘において初めて剣を抜く。

「ゲルグ人じゃないか!」

 雪崩れ込んできた褐色肌の兵士を見て、コンラッドは狼狽えた。

 後方からホフマンが走って来る。「殿下! ご無事ですか!」

「ホフマン、ゲルグ人部隊だ!」

「分かっております! 退いて後方部隊と合流すべきです、数で圧倒されますぞ!」

「そ、そうだな、一度下がろう! ホフマン、俺たちは・・・」

「何です?」

「俺たちは、ゲルグ人を斬るべきなのか?」

「・・・」ホフマンは何も答えない。

 ゲルグ人の結束に国境は無い。ゲルグ人はお互いを「ゲルグ人」として認識している。ゲルグ人解放を発表した矢先でゲルグ人と衝突するのは果たして得策だろうか。

「殿下」しばらく考えていたホフマンが口を開く。「それは皇帝陛下と殿下がお考え下され。私共はそれに従うのみです。」

 後方に下がりながらコンラッドは迷っていた。押し寄せる大軍を前に、ガリア皇帝の指示を待っている暇はない。今決めなければならない。


「エルザ・・・何たる女・・・」ガリア皇帝は長い髭を力いっぱい掴んでいる。

 次の手を考える間もなく事態は急変していく。狼狽えるガリア皇帝にヘラは言った。

「皇帝陛下。エルザの次の狙いが予想出来ます。リューデンの兵を至急そちらへ向かわせてください、半数で構いません。落とされたら大打撃を受ける場所があります。エルザが次に攻めるのは・・・」


 ドクターシーケルは突然、自分が視力を失ったと勘違いした。

 ガリア帝国病院内の明かりが全て消灯したからだ。

 彼はガリア国内で最も優れた医師である。天才と呼ばれて二十年余りが経つ。ガリア帝国病院にて、臨床・研究を行っている。四十過ぎだというのに髪は全て白い。ここ一年は散髪にも行かず、伸びた白髪を首の後ろでまとめている。長年の運動不足と小食で、体はすっかりやせ細っている。他人の治療より自身の心配をするべきだなどと陰口を叩かれている程だ。

 患者の悲鳴が聞こえた。続いて部下の慌ただしい足音。

「ドクター!」院長室に転がり込んできたのは新人医師だ。

「何が起きているんです?」シーケルは困った顔で尋ねる。

「クレム帝国です! クレムめ、あろうことか我々の病院を標的に!」

 戦闘を開始した連絡は病院へも来ていたが、攻め入られることまでは想像していなかった。今回の軍師はとんでもない策略家だとシーケルは思った。

「分かりました。患者を地下シェルターへ。のろしは上げましたか?」

「既に患者の非難は開始し、屋上よりのろしを上げております!」

 シーケルは満足そうに頷いた。「日頃の訓練の成果ですね。」

 更にもう一人部下が駆けこんで来た。「援軍が到着しました!」

「もうですか?」シーケルはあまりの速さに驚いている。

「リューデン地方の兵です!」部下がそう答えた。

「リューデン地方?」

 そういえば最近、ガリア帝国がリューデン王国を併合したことを思い出した。

「早すぎる気もしますが早いのは有難いことです。我々も急いで避難をしましょう。」

 シーケルと部下二人が移動をしようとドアに向かったその時、五、六人のクレム兵がばらばらと現れた。

「ドクターシーケル!」クレム兵は叫んだ。

「・・・名指しとは参りましたね。私はまだ死にたくはないのですが・・・」

「ドクターシーケルは投降しろ! 命だけは助けてやる!」

「ほう。」シーケルは興味深そうな顔をしてみせた。

「院長、投降すれば処罰は免れないかと。不敗のガリアが負けるとは思えません。」

 部下がシーケルを咎める。

「・・・やれやれ。」

 クレム兵は長い槍を突き付ける。「当国へ投降し、宮廷医師として働くと約束せよ! 命の保証と十分な報酬を与える! 皇帝陛下からの伝言である!」

「いやしかし」シーケルは両手を広げる。「クレム帝国が勝利する保証はどこにもないじゃありませんか。ガリアが勝ったら僕は裏切り者として処刑されるでしょう。そんな賭けに出られませんよ。」

「ならば死ね!」クレム兵はシーケルに狙いをつけて襲い掛かる。

「待て!」力強い女性の声が鳴り響く。「お前の相手は私だ!」

 そう聞こえた刹那、目前のクレム兵の背中から勢いよく血が噴き出す。

「医者よ! 無事か!」

 肩まで切りそろえられた髪、鋭い目、目視出来ない速さの剣先。シーケルはその女性が元リューデン王国のニコル王女であると即座に理解する。

「医者よ、他の者たちははどこにいる?」ニコルは剣を収める。

「地下です。シェルターになっているので安全の確保はほぼ出来ているでしょう。しかし敵の兵力が分からない以上心配です。」

「分かった! 散らしてくる! それより、クレムに国境壁と門を破壊された! 民間人が更に運ばれてくるかもしれない! 助けてやってくれ!」

「もちろんですよ。仕事ですからね。」

「頼む!」

 ニコルは風のようにその場を立ち去る。

 後にはシーケル達三人の医師と、背中を斬られ悶えるクレム兵たちが残る。

「・・・これどうします? やはり治療すべきですか? 医師として?」

 シーケルはクレム兵たちを見下ろしながら言った。自分に襲い掛かった者を治療するのはあまり気が進まない。部下の一人がしゃがみ込んで傷口を確認する。

「止血だけで十分でしょう。先ほどの女兵士、わざと軽傷で済ませたようです。」

「そうですか、それは良かった。ところで、彼女は女兵士ではありませんよ。」

「え?」

「彼女はリューデンの王女ニコル様ですよ。最近コンラッド殿下とご結婚された・・・」

「まさか!」部下は驚いている。

 シーケルは目を細めて言った。

「彼女が、フローラの妹か・・・。」

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