クレム帝国来る

 翌朝、コンラッドは自分を呼ぶ声で目を覚ました。まだ外は暗く、いつもより随分と早いようだ。起き上がろうとすると体がだるい。渋々ベッドから出て扉を開けると、書簡を持った部下が立っている。急いでいる様子だ。

「皇帝陛下より承りました!」

 書簡を受け取って開くと、クレム帝国より宣戦布告があったとの知らせだった。

「ついに来たか。ゲルグ人開放の騒ぎで焦ったな。」

 

 コンラッドが会議室に入ると、ガリア皇帝の他にニコルとヘラが召集されていた。

「悪い知らせがある。宣戦布告以外に、だ。」前置きなくガリア皇帝は言った。

 ガリア皇帝にしては珍しく、困っているような、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「なんですの?」ヘラが急かすように尋ねる。

「クレム帝国の軍師にエルザが就いているとの情報が入った。」と、ガリア皇帝。

 コンラッドとヘラは息を飲んで顔を見合わせた。ニコルは黙って様子を伺っている。

「確かな情報ですか。」コンラッドは信じられない思いでそう尋ねる。

 エルザはガリアを出て行くと言っていた。だがクレム帝国に繋がりがあるとは思えない。シン国ならばいざ知らず。

「いずれ分かることだ。エルザはガリア帝国を脱した後クレム帝国入りした。手引きした者が居るようだが何者なのかは分かってはいない。」

 全員が黙り込む。

「ヘラよ。お前はこの中の誰よりもエルザを理解しているはずだ。何か考えはないのか?」ガリア皇帝が尋ねる。

「・・・エルザは本気で我々を恨んでいました。全力で向かってくることは確かです。」

「エルザは軍師として類まれな才能を持っていると聞いたことがあったが?」

「ええ。殉職した前ガリア軍師はエルザの才能に驚き、自分の全てを託すと言って彼女を鍛え上げていました。」ヘラは神妙な表情だが、少し自慢げだ。

 コンラッドは思い出す。エルザとはいつも同じ机で学んでいたが、全ての座学で彼女は優秀で努力家だった。更に、将来皇后になるにあたってガリア全土を把握するべく、ガリアの地理についてはかなり細かな部分まで調べ上げ、頭に叩き込んでいるはずだ。

「やはりエルザを逃がすべきではなかったな。」ガリア皇帝は呟く。

 コンラッドとヘラは返事をしなかった。ニコルが沈黙を破る。

「皇帝陛下。私はリューデン地方に戻り、クレム帝国を迎え撃ちましょう。リューデンと接している部分も大きい。放置するわけにはいきません。今の私に出来ることで最も効果が高いかと。」

 ガリア皇帝は頷く。「異論はない。」

 ニコルが安心したのもつかの間、ガリア皇帝の話は続いた。

「しかし、あまり前線に出てはならぬ。ガリアの世継ぎを残すことがお前の一番の役目だ。分かっておろうな。」

 ニコルはげんなりして目を細める。またその話かと思った。

「ガリア軍の軍師はわしが務めるぞ。」ガリア皇帝が当然のように宣言する。

「皇帝陛下が!」コンラッドとヘラは同時に叫ぶ。

「この戦、負ければ我が国はクレム帝国に占領される。今経験豊富な軍師はおらぬだろう。ガリアの運命が掛かっている以部下に任せることは出来ない。」

 こうしてガリア帝国とクレム帝国は、それぞれガリア皇帝、エルザの指揮の元で戦うこととなった。

 予定通りクレム帝国軍は、指定した日付にガリア・クレム国境に現れた。

 ガリア城へ続くメインストリートを、更にずっと伸ばした地点だ。まさに正面から堂々と、という状態である。ガリア帝国軍二万、クレム帝国軍一万五千の規模だ。

 ガリア側には、コンラッドを中心にしたガリア軍が、クレム帝国軍を迎え撃つのに十分な準備を整えていた。


 ガリア皇帝はガリア城からその様子を見下ろしていた。平地が続き遮るものは何もない。十分に見渡すことが出来る。

「クレムはこの程度で我が軍を突破しようというのか。恐れることは無かったな。エルザへの期待はその程度ということかもしれぬ。」

「・・・ええ。予想以上に手薄ですわ。」ヘラは心配そうだ。

 何か裏があるように思える。エルザの辞書に正々堂々という言葉は無いだろう。そのような立派な教育をしたことは無い。何をやらかすか分からない。

 クレム帝国の鳴らす銅鑼のような音の合図で、クレム軍は一斉にガリア軍へ向かって駆け出す。ガリア軍は弓や投石でそれに応じた。


 リューデン地方ではニコル達が準備を整えている。リューデン地方とクレム帝国の間には国境壁が無く、広大な草原が広がっている。国境線はクレム帝国側が十年程前に設置した古ぼけた鉄柵があるのみだ。かつては国交のあったリューデンとクレムだが、ガリア帝国と同じく、ゲルグ人開放により二国間の関係は途絶えている。

 ニコルはゲルグ人を含めた元リューデン王国軍を率いて、クレム帝国軍を迎え撃つ。

 クレム帝国国内においても、聞くに堪えないゲルグ人差別が行われているという。ゲルグ人達の士気はそれだけで十分だった。クレム軍のあまりの手薄さにニコルは拍子抜けする。

「小国と見て油断したな。この人数で我らに適うものか。さあ、瞬時に殲滅し、ガリア軍への応援に向かうぞ!」

 勝ちも同然という様子で、元リューデン王国軍の兵たちは右手と大声を上げた。


 ガリア帝国正面、そしてリューデン地方においても、ガリア軍の圧勝と思われた。それもつかの間で異変が起きる。一人の伝達兵が血相を変えてガリア皇帝の元へ走ってくる。

「皇帝陛下!」

「なんだ。」ガリア皇帝は鬱陶しそうに返事をした。

「エレネ川上流に毒物が投げ込まれた模様です! 戦闘開始より数時間前と思われます! 住民たちが体調不良を訴えています!」

 エレネ川はガリア帝国の中でも辺境の地に流れる小川である。国内の中心部を通るレゾーナ川に合流しているため無視は出来ない。付近の住民に健康被害が出てからおよそ五時間経ってからの連絡だ。更に、周辺には火を放った者が居るという。

「エレネ川上流だと・・・」ガリア皇帝はいつになく狼狽している。

「皇帝陛下? 何かお心当たりが?」ヘラは不思議そうだ。「この付近に重要な拠点はありません。エルザは何を考えているのでしょう。」

「・・・エレネ川上流付近に、わしの妾が住んでおる。」

「なんですって! お兄様、妾がおりましたの?」ヘラは仰天した。

「エルザめ」ガリア皇帝は唸るように声を絞り出す。「いつから妾の存在に気付いておったのだ。このような卑怯な方法を・・・そのうえ戦闘開始前に侵入するとは!」

「エルザならばやりかねません。」

「貴様ら親子はそろって性悪な!」

「それは・・・陛下も同じ血が流れておりますので。」心外です、とヘラは付け加える。

「今はそのようなたわごとは良い! とにかく正面の兵をまわせ、患者の搬送だ!」

「陛下! 私情は捨て置いてください! ガリアの命運が掛かっているのに正面の兵を減らすなど!」

「分かっておる! 分かっておるわ!」ガリア皇帝は右手を振りながら言った。

「わしの妾も火に焼かれ既に死んでおるかもしれぬ。それについては半ば諦めておる。しかしエレネ川にまかれた毒は気がかりだ。毒がレゾーナ川に合流すればガリア全域に影響が出る。一刻も早く患者の病状を把握し、対策を取らねばならぬ。正面の状況を見ろ。我が軍の優勢は見ての通りだ。」

「・・・分かりましたわ。陛下がそう仰るなら。」ヘラは渋々頷いたが、完全にエルザの策に乗っているのだろうと認識する。

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