二度目

 帰り道、沈黙が支配する馬車の中で、アリアの啜り泣きだけが聞こえていた。ニコルは黙っている。

「ニコル様、ごめんなさい。私、ニコル様に結婚をやめてくださいって言いたいのに・・・でも、仲間のことを考えてしまって・・・」

「アリア、そんな顔するな。私はリューデンの王女として決断したのだ。決してお前のせいではないぞ。それに、私たちが離れ離れになるわけではないだろう。ガリアのやつらが私たちを引き離そうとするなら、絶対に許さない。私はこれからもお前と共にある。」


 程なくして、コンラッドとニコルの結婚が発表された。

 ある者は狼狽え、ある者は納得した。

 リューデン地方には元リューデン国王が残り、残されたリューデン市民とガリア帝国の役人達でこれまで通り運営されることとなった。

 ゲルグ人解放が大きく前進したとして、ゲルグ人達は大いに喜んだ。

 ニコルの引っ越しの準備は数日を要した。アリアをはじめとして、その他数名のメイドも付き人としてガリア帝国入りすることとなった。

「リューデン城で暮らすのも最後か。ここで生涯を終えるものと思っていたな。」

 移動の前日、ニコルはアリアと共に城内を散歩している。リューデン城には、ニコルが生まれてから今日までの思い出が膨大に詰まっている。

「幼い頃ここで大泣きしたよ。母上と姉上が私を置いてピクニックに出かけてしまったものだから。」

 当時を思い出すと、恥ずかしいような可笑しいような不思議な気持ちがした。

「父上が心配だな。会いに来られるだろうか。時々でも。」

 ニコルは元リューデン国王の部屋の方に目をやる。窓の向こうでは今も父親が動けぬ体で横たわっている。アリアは言った。

「コンラッドを納得させて、必ず来ましょう。リューデンはニコル様がいらっしゃらないと締まりませんわ。私からも言います、ゲルグ人にとって必要だと。」

「頼む。ガリアの役人だけに任せてはおけない。そのための結婚だ。」

 アリアの表情が曇る。

「そんな顔しないでくれと言っているだろう。」ニコルがアリアの肩を抱き寄せる。

「ニコル様はご自分のことを全く顧みないから・・・。とてもつらい思いをしていらっしゃるのに、気丈で。そのお姿を見るのが苦しいのです。」

「お前が側に居てくれるから私は強く居られるのだよ。」

「ずっとお側にいます!」

 ニコルは微笑んでアリアの額にそっとキスをする。

「全てのゲルグ人を救ってみせる。明日は早い。部屋に戻ろう。」


 翌日ニコルはガリア帝国入りし、その日からガリア城で暮らすこととなる。ミズカの使用していた部屋はそのままニコルの部屋になった。

 コンラッドとニコルは結婚式を行うこととなった。

 コンラッドにとって二度目の結婚式だ。

 控室ではアリアとメイド数名が、せっせとニコルの身支度を行っている。用意されたのはミズカが着ていたモスグリーンのドレス。代々花嫁はこのドレスを着ることになっている。ニコルが袖を通すと、アリアはあまりの美しさにため息をついた。

「とてもお似合いです! 画家を呼んで記録に残せないかしら? 見納めだなんてあんまりですわ!」

 ふんわりと広がった幾重ものスカートは、ニコルが普段選ばないものだ。苦笑いをするしかない。

 コンラッドは未だ複雑な思いを抱いている。もちろんミズカの望みを叶えるという気持ちはニコルと同じだ。既に覚悟を決めている。とはいえコンラッドは、今日までニコルと顔を合わせることは殆ど無かった。最低限の仕事のためだけだ。ニコルはいつもアリアと一緒に居たし、特に話すことも無い。

 一度だけ、ミズカの事件のことを話すために顔を合わせた。罪人になぶり殺されたという凄惨な事実は語ることが出来ず、エルザという従妹の手により亡くなったということだけ伝えた。

 ニコルは驚きこそしたが、元々事故だとは思っていなかったので、「腑に落ちた」ような反応であった。

 コンラッドの身支度も着々と進んでいるが、なんとも現実味のない時間だ。これから式が始まるという実感がまるで無い。

 しかし時間は過ぎ、挙式の後パーティが始まった。次々と祝福の言葉を告げに来る来場者たちに、二人は愛想よく応える。参列者の中でも一層派手な、花柄のドレスの女性がニコルに言った。

「このままお世継ぎが生まれなければ、どうなることかと思っておりましたのよ。ニコル様がミズカ様の後を引き継いで下さり、本当に良かったわ。」

 一瞬ニコルの顔は引きつったが、アリアが肩を叩いて落ち着ける。背がスラリと高く褐色肌のアリアは、ニコル以上に注目の的となっている。

「ゲルグ人がどうしてここに居るんだ? 王族の御前、しかも祝いの席だぞ・・・」

「リューデンの人だからよ・・・おめでたい席に巫女殺しが居るなんて、縁起が悪いわね。」

 以前であれば皇族の結婚パーティにゲルグ人が参列しているなどということはあり得ない。陰口程度で済んでいるのは前進と言わざる得ないが、ゲルグ人が本当にガリア人と同じ権利を得る日が来るのだろうか。ニコルは気が遠くなった。

コンラッドは陰口を言っている一団を見つけると近付いて行き、そのうちの一人の肩を叩く。「本日はご参列ありがとうございます。」

「殿下!」一同は飛び上がって挨拶する。

「ツォーレン伯爵にご婦人。よくぞ遠方からわざわざお越し下さいました。ハオ侯爵もシンでの事業がお忙しい中、本当に有難うございます。」

「はっ、本日はおめでとうございますコンラッド殿下っ!」

「不慮の事故により二度目の式となってしまいましたが、国民のため二人で支えあって行く気持ちは変わりません。」

「殿下のお心に感謝致します! 我々も微力ながら殿下のお力添えになりたいと考えております!」

「ありがとうございます。ゲルグ人についての発表はお耳に入りましたか。」

「は、はいっ・・・!」

「大きな変化かもしれません。ツォーレン伯爵、ハオ侯爵。お二人にご協力頂ければこんなに心強いことはありません。」

「無論でございます殿下! 殿下のご要望とあらば何なりと!」


一日を通して世継ぎのことに言及されるので、パーティが終わる頃にはニコルはげっそりだ。アリアは下世話な客人を見るたび呆れずにはいられなかった。

「本当に失礼ですわ。結婚式でもう世継ぎの話をするなんて。」

「一番の関心事だとは思うが、さすがに疲れた。戦争の方がマシなくらいだ。」

「ニコル様、それはどうかと思いますわ・・・」

「・・・」二人は黙り込む。

「世継ぎ」のことがニコルの頭を駆け巡る。結婚式が終わった今、次の果たすべき役割がやって来るだろう。

「コンラッド王子、意外とちゃんと王子らしく対応していましたね。悪くないのかもしれません。」アリアは無理に笑っている。

「ゲルグ人の解放に前向きなようだ。姉上のおかげだろう。」ニコルは頷く。

「いえ・・・そうではなく・・・」

「は?」

「あの、一人の、男性として・・・」

「男性? 何を言っている?」

 アリアは再び黙り込む。ニコルは今日明日にもコンラッドと夜を共にせねばならないだろう。心配で仕方がない。ニコルが耐えられるのだろうか。ニコルの表情は何も読み取れなかった。疲れのあまり、ベッドに突っ伏して眠ってしまったからだ。


 夜がふけ、部屋の扉を叩く音がした。ニコルは飛び起きてアリアの顔を見る。

「入りますよ。」

 コンラッドの声だ。ニコルの肩は震え始める。震えを止めようと両腕をぎゅっとつかむと、より一層全身が小刻みに揺れる。

 アリアがニコルの背中に手を回す。そしてドアの方へ向かって声を張り上げた。

「コンラッド、待って! お願い。ニコル様は今とてもお疲れだから・・・!」

 コンラッドにとって、この反応は予想通りだ。当然だ。覚悟を決めると言っていたニコルだが、心まで変わったわけではない。その証拠に、今日まで、ニコルから何か用があってコンラッドの元へ来ることなど一度も無かった。リューデン国民やゲルグ人のために体を張っているに過ぎない。

 だがコンラッドにもやらねばならないことがある。

「・・・すみません、ドアを開けます。」

 そう言ってコンラッドはニコルの部屋へと入った。

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