二コルの決意

「よく来てくれたニコルそしてゲルグ人の女よ。あいにくコンラッドは体調を崩しておってな。」ガリア皇帝は立ち上がり、両手を広げて一同を歓迎した。

 以前のような個室ではなく玉座の前だ。ガリア皇帝を一同が見上げる形となっている。

 既にガリア皇帝とニコルは対等な王族同士ではない。ニコルはガリア帝国内の区長に過ぎないのだということをあえて示している。ニコルはそう思った。

 ガリア皇帝の両隣には、華美な服装の兵士がまっすぐに前を見て立っていた。

「驚くべき発表を聞きつけ参りました。皇帝陛下の真意を問いたいと。」

 ニコルはガリア皇帝をしっかりと見上げて言った。

「皇帝陛下! 本当にゲルグ人を解放してくださるのですか!」と、アリア。

「口を開くなゲルグ人! 皇帝陛下の御前だぞ!」ガリア皇帝の右側の兵士が叫ぶ。

 ガリア皇帝はその兵士へ手のひらを向けてたしなめ、「良い良い。我々がそのような態度では前に進まぬだろう。」アリアへ顔を向け、微笑みかける。

 これはガリア皇帝が初めてゲルグ人と目を合わせた瞬間だった。

「よくぞ聞いてくれたゲルグ人よ。発表の内容は本当だ。巫女大虐殺は今も我々の心に深い傷を残している故、ガリア人の反発もある。長き時間を要するかもしれぬ。だが最終的にはガリア人と変わらぬ暮らしを約束したいと思っておる。」

 ガリア皇帝は再びニコルへと顔を向けた。

「そのためにはニコルよ。お主の協力が必要不可欠。分かっておろうな。」

「・・・はい。」

「ニコル様!」アリアは金切り声を上げた。「結婚を受け入れるという意味ですか!」

「アリア。それが最も近道だ。」ニコルは目を細め、早口でアリアに告げる。

「そんな! またミズカ様のように・・・」

 狼狽えるアリアをガリア皇帝が遮る。

「ミズカのことは我々の不手際であることを後ほど説明させて欲しい。しかし今は未来の話をしておる。そうだなニコル。」

「その通りです皇帝陛下。お互いにとって最良の選択です。」

 ガリア皇帝は再び椅子にどっかりと腰をおろす。

「その言葉を聞いて安心したよ。クレム帝国との戦いに於いてゲルグ人をどう扱うか。これが今問われておるのだ。ただでさえゲルグ人の多いリューデンを併合してしまったのだ。活用すべきか我々で管理すべきか、二つに一つだ。」

「管理」とは弾圧が強まることを意味しているのだろう。アリアは身震いする。

「私がガリア皇室に入ってしまえば、ゲルグ人を味方につけるのは容易になる」ニコルはアリアの方へ向き直り、「そうだろう?」と確認する。

「はい・・・その時は私も仲間たちを説得できます。でも・・・」アリアは心配そうにニコルの顔を覗き込む。「ニコル様の気持ちが・・・耐えられるのですか・・・?」

 ニコルはしばらく返事をしなかった。返事が出来ないという方が正しいだろう。しかし精一杯微笑み、声を絞り出す。「そのほかないだろう?」

 ガリア皇帝は二人のやりとりをしばらく眺めていたが、ついに好奇心に負け、尋ねる。

「個人的な興味だが、お主はなぜそのゲルグ人を側近のように扱っているのだ?」

「それは・・・個人的な問題ですので。」ニコルはきっぱりと言った。


 コンラッドは自室で天井を見つめている。金色の唐草模様は鈍い光を放っている。

ミズカがこの世を去ってからというもの、コンラッドは最低限の仕事しかすることが出来なかった。

 自分の意思とは無関係に、多くの物事が進んでいることは知っている。しかし反対する気も、ましてや率先して進める気も起きない。ミズカを失った苦しみが思考の大部分を占めていたし、エルザの異変に気付かなかった自分の至らなさをとにかく悔やんでいた。

 自分がミズカの命を奪った張本人ではないかと思う。


 何者かがコンラッドの部屋の扉をたたく。しばらく無視をしていたが、コンラッドが出てくるまで絶対に退かないという意思が感じられる叩き方だ。渋々立ち上がりドアを開けると、メイドが二人、心配そうな顔をして立っている。

「お休みのところ申し訳ございません。皇帝陛下の命によりどうしても、とのことで」

「リューデンのニコルが来ているんだろう。」

「左様でございます。殿下に一目お会いしたいとのこと。皇帝陛下からも必ずいらっしゃるように、と・・・。」

「・・・分かったよ。」コンラッドはため息をつく。部屋の中へ戻り、着替え始める。

 ミズカの妹が望むのならば、会わないわけにはいかない。


 玉座の間の扉を開くと、玉座にはガリア皇帝、眼前にはニコルが立っている。ニコルの隣には美しいゲルグ人の女も居る。前回と同じ女だ。ミズカに聞いたことがある。ニコルは女性しか愛さず、ゲルグ人の恋人と一緒に過ごしているのだと。

「殿下。体調優れぬ中、無理を言って申し訳ない。」

 ニコルは無表情のまま労わりの言葉を述べる。コンラッドは、ああ、と小さく呆けた声を出した。ニコルが言った。

「皇帝陛下、そして皇太子殿下。お話したいことがあります。特に殿下、あなたの命を助けたのは姉上であることを、しっかりと認識して頂きたいのです。」


 ニコルは話を始めた。母親から譲り受けたペンダントのこと。ミズカはそれを使い、コンラッドを守ることを選んだこと。

 コンラッドはより一層の罪の意識に苛まれた。ニコルはまだミズカの死因を知らない。ミズカは自分の命を守ることも出来たのだ。耐えがたい苦痛だったはずだ。それなのにミズカはコンラッドを守った。その後起きるニコルとの戦いを予想したのかもしれない。

「コンラッド殿下。姉上は自分の死を察し、更には殿下と私の戦いを予想し、貴方の命を守ったように思います。事故で死んだとは思えないのです。私は真実が知りたい。」

「待て。その話は後ほど行って頂きたい。今は未来の話をしておる。」

 ガリア皇帝が二人の会話を遮る。

「コンラッドよ。ニコル元王女はお前との結婚に同意するそうだ。」

 コンラッドは驚いた顔でニコルを見た。

 ニコルは両手の拳を固く握り、まっすぐにコンラッドを見据えている。

「私はゲルグ人の問題をここで終わらせると決めた。将来ガリア帝国の皇后となる。それが元リューデン王国の、王女としての最後の仕事だと思っている。」

「ま、待ってくれ。」コンラッドは狼狽える。

「それは彼女への裏切りじゃないのか? ミズカの妹君と結婚など・・・俺には・・・」

「そうとも考えられる。けれども・・・」ニコルは少し考えて、「私は姉上がこうなることを望んだと思っています。」そう結論付けた。

「なぜだ?」

「ゲルグ人解放は姉上の悲願だったからです。それだけではありません。姉上は私に何もかも託して死にました。リューデンに戻った時思いました。リューデン国民もゲルグ人も、病の父上も、私に託して死んだのです。」

「貴方にとって大変な苦痛でもか? その・・・」

 コンラッドはちらりとアリアの方を見る。続きの言葉が出て来ない。

「そうです。それに、私だけではない。コンラッド殿下、あなたにも託したのでしょう。頭の良い姉上が、こうなることを予想出来なかったと思われますか。」

「・・・」

「ですからコンラッド殿下。私は皇帝陛下の命に従う。あなたはどうされますか。」

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