コンラッドの変化

 ミズカと結婚したことでコンラッドの意識は明らかに変わっていた。以前は剣の稽古に明け暮れていたコンラッドが、ガリアや周辺国の歴史を学ぶようになった。

「そういえば。」歴史書を読んでいたコンラッドは、顔を上げてミズカに問う。

「リューデン王妃は巫女の生き残りの末裔だよな。なぜゲルグ人を許したんだ?」

 ミズカは記憶を辿りながら話し始める。

「お母さまが本当に心の底からゲルグ人を許したかどうかは分からない。当時・・・約二百年前、ゲルグ人たちは巫女を沢山殺したわ。お母さまのご先祖の兄弟も居たかもしれない。でもお母さまは仰っていた。当時のゲルグ人が巫女を殺したとしても、現在のゲルグ人に罪があるわけではない、と。」

「ゲルグ人が憎くなかったのか。」

「もし憎いとしても、今のゲルグ人にそれを向けるのは間違いだと仰っていたわ。それとね、お母さまは過去の憎しみより、未来の繁栄に目を向けていたの。」

「時間が経ったからそれが出来たとも考えられるな。」

「そうね。結局、なぜゲルグ人が巫女虐殺に至ったのかは謎のまま。調査もしたけれどゲルグ人側の記録にも残っていない。だからこそ風化させたくないと考える民が多いのよ。再び大暴れされることを恐れている。その気持ちが理解出来ないわけではないけれど、お母様は『現在のゲルグ人』を信じることにした。一方、ガリアを含めて、政府は奴隷として扱うのに便利だから現状維持したい気持ちがあるようね。」

「それは耳が痛い話だが・・・」

「時間が掛かるのは分かっている。ゲルグ人を解放するメリットを皇帝陛下に理解してもらうよう、私も働きかけてみる。ガリア帝国はもっと良い国になるって伝えたい。現にリューデン王国だって、各国に散らばったゲルグ人のネットワークを生かして、小国であるにも拘らず、現在の豊かさを保っている。」

 二人が熱心に議論していると、扉を開けてメリルが入って来る。

「殿下、わたくし感激です。補習をお望みになるなんて。ミズカ妃殿下のおかげですわ。すっかりお変わりになられて。」

「そんなことない。コンラッドが元々持っている素質よ。」ミズカは力強く頷く。

「俺の素質とやらを分析するのはやめてくれ。」コンラッドは苦笑いする。

 

 剣の師匠であるホフマンは複雑な気持ちだ。剣の稽古をキャンセルし、メリルとミズカと並んで座学に勤しむコンラッドを見ながら、嬉しさ半分、寂しさ半分といったところだ。ホフマンは部屋から出てきたコンラッドを捕まえて、冗談めかして言った。

「ニコル王女を超えるのではなかったのですかな、殿下。」

 コンラッドは笑う。「もちろんさ! 超えるよ、ホフマン。だが、今は考えていることがあるんだ。ミズカがゲルグ人をガリア人と同じように扱いたいと言うんだよ。リューデン王国と同じように。その方がガリアは発展するんだって。それについて父上に相談をするにも、まずはゲルグ人のことをしっかり理解しなくちゃならないと思ってね。どう思う、ホフマン?」

「このホフマン、常に国の指針に従って戦うことをお誓い申し上げております。決定に従うのみです。」ホフマンは目を閉じて頭を垂れる。

「そうだよな。俺が・・・考えなくちゃならない。」

「殿下もいずれは皇帝になられます。その時までにゆっくり準備なさると良いでしょう。剣も政治も、しっかり学ばれますよう。」

「そうだな。ありがとうホフマン。」コンラッドは頷く。

「あら」後ろからひょっこり現れたのはミズカだ。沢山の資料を腕に抱えており、新調した眼鏡が少しずれている。「あなたがホフマンというの。コンラッドにいつも話を聞いているわ。とてもお強いんですってね。」

「これはこれは妃殿下、誠に恐れ多いお言葉です。」

「クレム帝国の動きがまだよく分かっていないの。もし戦争になったら、ガリアをしっかり守ってね、ホフマン。」

「もちろんです。命に代えてもお守り致します。」

「ホフマンだけに見せ場は取られないぜ」コンラッドがホフマンの肩に手をのせる。「今は俺の方が強いんだ。」

 三人は笑った。とても和やかな日常の光景だ。ホフマンと離れ、コンラッドとミズカは歴史書を開きながら並んで歩いた。


 その様子をエルザは陰から見ている。

 どうしてあなたがそこに居るの。エルザは叫びたかった。

 そこは、コンラッドの隣は、私の場所よ!


 一か月ほど、エルザは殆ど自室から出てこなかった。食事は全て部屋に運ばせ、仕事は大部分をキャンセルした。時折、シン地方のドクターホアンに手紙を出しているようだった。メイドたちは、結局エルザは故郷であるシンが恋しいのだと陰口を叩いた。


 庭園を散歩しながらミズカは空を仰ぐ。満面の笑みだ。

「どうしたんだミズカ。面白いものでもあったのか。」

「あのね、コンラッド。」

「うん?」

「私、こうしてコンラッドと過ごすことが出来て、今一番幸せを感じているの。」

「どうしたんだ改まって。俺だって同じだよ。」

「ねえ分かる? これは、私の人生で一番美しい時間なの。皆が作ってくれた時間よ。コンラッドや、ニコルや、ゲルグ人も含めて国民全員が作ってくれたの。」

「大げさじゃないかな。」

「そんなことない。考えてもみて。出会ったのもそうだし、こうなったのもそうなの。みんなが居たから私はカナビスの葉を探しに行った。」

「それはミズカの優しい気持ちがあってこそだよ。」

「あの時は一生懸命だったから今となっては分からないわ。でも全てのことは繋がっている。私はみんなに導かれたのよ。」

「そういうものかな。」

「たぶん。だから私は返したい。今私が幸せな分を、あらゆる人達に。」

 さっきまでひまわりのように笑っていたミズカの表情は、今は決意に溢れ、真剣そのものだ。

「・・・そうだな。俺も感謝しなくちゃ。みんなに。」コンラッドは呟いた。

 ふとコンラッドは思い立つ。

「俺、お茶を淹れるのが得意なんだよ。剣の次に。」

「そうだったの? 素敵な特技ね! お茶を入れる王子様なんて初めて聞いたわ。」

「飲んでみたい?」

「ぜひ! 頂いてみたいわ!」

 コンラッドは嬉しくなってミズカの手を引く。

 コンラッドの母であるガリア皇后は、茶農園を経営する農家の娘だ。ガリア皇帝がまだ王子だったころ、この農園を視察に訪れ、後の皇后と出会う。雷に打たれるように恋に落ちた二人は、瞬く間に結婚を決めた。農家出身ということで最初は疎まれた王女だったが、人柄の良さで次第に人々の心を掴んだ。

 その母に、コンラッドはお茶の淹れ方を習ったのだ。その記憶は遙か彼方だが、しっかり身に染みついている。かつてエルザに淹れたこともある。エルザはひとしきり大絶賛した後、残念そうな顔をして言った。

「とても美味しいお茶だけれど・・・本来これはメイドの仕事でしょう。あなたがメイドの仕事を奪ってはいけないし、これはあなた自身の価値が下がる行為よ。」

「そうかな?」

「そうよ。私たちは皇族であるが故に、やりたいことは諦め、やるべきことをやる。それだけよ。だから、あなたはお茶を淹れてはならない。」

 以来コンラッドは、エルザの前で、そしてあらゆる他人のためにお茶を淹れることをやめた。エルザに指摘されたからというより、エルザのお茶を飲んだ後の表情が彼をそうさせた。ただ、自分が楽しむことはやめなかった。記憶の中の母が呼び覚まされる大切な時間なのだ。

「とっても美味しい! こんなに美味しいお茶は飲んだことが無いわ!」ミズカは感激する。「きっと茶葉も淹れ方も素晴らしいのね。」

「茶葉は母上の農園のものを今も取り寄せているんだよ。」

「すてきね。」ミズカは微笑む。

「ミズカは俺がお茶を淹れても良いと思うか?」

「もちろんよ。どうしてそんなことを聞くの?」ミズカはきょとんとして答える。

 そうか、そうだよな。コンラッドはつぶやく。

 ミズカは不思議そうにコンラッドを見つめている。

「ありがとう、ミズカ。」コンラッドは言った。

「どうしたの? 変なコンラッド。お礼を言うのは私の方なのに。」

 ミズカはもう一度、カップを口に運んだ。  

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