エルザの怒り

 ガリア城内では結婚した王子のことより、エルザの話題で持ち切りだ。今日も三人のメイドが廊下の掃除をしながら噂話を楽しんでいる。

「エルザ様、ひどく落ち込んでおられたわね。」

 メイドの1人が箒で飛んできた落ち葉を払う。肌寒さを感じる季節が訪れている。

「突然現れたリューデンの王女に皇后の座を取られてしまったものねえ。」

「殿下は皇后さまに似たタイプがお好きだったのね。男性ってどんなに高位な方もお母様が忘れられないのよ。」

「エルザ様、既に女王気取りだったわよね。いい薬だわ。」

「殿下も本当は乗り気じゃなかったんでしょ。」

 メイドたちが笑っていられたのもつかの間、背後に刺さるような視線を感じ、全員の顔が青ざめた。

 後ろにはエルザが無表情で立っていた。腰に手をあてて仁王立ちしている。

「あなたたち、お暇みたいね。仕事をあげるわ。」

「きゃっ・・・エルザ様! 申し訳ございません!」

「何を謝っているの? おしゃべり出来る時間があるんでしょう。仕事をあげると言っているのよ。」

「お許しくださいエルザ様!」

 エルザは気に入らないメイドに罪人の牢屋の掃除を申し付けることで有名だった。普段は屈強な男性兵士が見張りをしている牢屋だ。ここに収監されている者はかなりの重罪を犯した者ばかり。殺人、強盗、強姦。そこにうら若きメイドが入りでもしたらどうなることか。掃除どころではない。あとは推して知るべしということだ。


 今日のエルザはいつも以上に虫の居所が悪かった。

 本来はメリルによる歴史政治学の講義の時間だったが、部屋に行くとコンラッドが予定より早く到着しており、隣にはミズカが座っていたのだ。しかもあのコンラッドがメリルに熱心に質問をしている。ミズカは元々博識とあってメリル顔負けの知識量だ。

 エルザはメリルと一瞬目が合う。メリルは何か声を掛けようとしたが、エルザは静かにその場を立ち去る。

 エルザはそのまま母であるヘラの部屋へ向かった。扉を激しく叩く。怒りに任せて拳を打ち付ける。ヘラは裸に布一枚巻いた状態でドアを開けた。

「ちょっとエルザ、突然どうしたの? そんな雑なノックの仕方がある? 今お客様が来ているのよ。」

「大事な話があるの。お願いお母様。」

 ヘラはため息をついて後方の客人に謝罪した。中から出てきたのは背の高い男だ。見たこともない外国の服を着ている。男はヘラの手の甲にキスをし、エルザににっこりと微笑んでその場を去って行った。

「お母様ひどいわ! 私がこんなにみじめな目に遭っているのに男なんて連れ込んで!」

「彼は外交官よ。遊びじゃないの。」

「そんな格好でよくもそんなことが言えるわね!」

「ああもう、分かったから落ち着いて頂戴。大きな声を出さないの。ほら入って。」

 ヘラはエルザを部屋へ入れた。ヘラは散らばったドレスやコルセットを拾い集め始めた。ベッドの上のシーツは乱れ、波打っている。

「大事な話って何?」ヘラは面倒くさそうだ。

 エルザの怒りはますます募る。「分からないって言うの?」

 ヘラは再びため息をつく。

「・・・分かっているわよ。コンラッドのことは仕方がないわ。時代の流れってものがあるでしょう。貴女はガリアの王女よ。その内良い縁談があるわ。」

「この私に外国へ行けと? 私がどれほどガリアのために尽くして来たか、お母様なら分かっているはずよ!」

「そんなことを言っても仕方がないでしょう。あなたがガリア皇后になる日はもう来ないのだから。」

 改めて現実を突きつけられ、エルザは黙り込む。ガリア皇后になる日は来ない。ヘラの言葉が頭の中を何度も駆け巡る。しかしエルザは気を取り直して再び思いのたけを叫んだ。

「あのリューデンの田舎娘が皇后だなんて信じられない! ゲルグ人に味方している女なんか最低よ! ふさわしくないわ!」目にはうっすらと涙を浮かべている。

 エルザは十五歳でシン城からガリア城へ移った時から、将来ガリア皇后になると言われ続けた。突然のことに最初は驚いていたが、ガリア城で暮らす内、ガリア帝国の先進的で洗練された様子をすっかり気に入った。

 実り豊かで人々はよく働いたし、老若男女問わず美しく着飾り、夜の街で酒を飲むことが出来た。巫女を虐殺したゲルグ人への毅然とした態度にも共感した。シン国がとても古くさく思えた。おまけにシンは男性社会で、女性である自分はシン王と口を利くことも出来なかったのだ。

 そんな環境の中、負けん気の強いエルザはいつもみじめな思いをしていたし、えもいわれぬ生きづらさを感じていた。そんな中エルザを励ましたのは、シン王国で唯一の女性医師、ドクターホアンだ。彼女は言った。

「エルザ様、本を読み、一生懸命に勉強をしてください。やめろと言われても構うことはありません。そうすれば女性であってもきっと道が開けます。」

 ヘラがシン城を爆破する予定があることを聞いた時、エルザの心は躍った。だがドクターホアンのことだけは気がかりだった。エルザは人目を忍んでドクターホアンの元へ行き、シン城を爆破する予定があること、その日は安全な場所に居るようにと伝えた。ドクターホアンは驚いていたが、やがてエルザの心遣いに感謝した。そして言った。「シン王国はガリア帝国の一部になるのですね。ガリア帝国はきっと良き国であり続けることでしょう。私はいつでもエルザ様に忠誠を誓っていますよ。」

 この言葉を励みに、エルザは一心不乱に勉強したし、自分の影響力を強める努力を怠らなかった。庶民や貴族の手本であるよう美容と健康、礼儀には常に気を配り、苦手なダンスにも精を出した。ガリア皇帝の姪として外国へ赴き愛想を振りまいた。

 領土の拡大に熱心な皇帝の意思に応えるべく、興味のない軍学にも力を入れ、天才と呼ばれるまでに成長した。

 自分の持てる全てを、ガリア帝国のため、将来ガリア皇后となるために費やしたのだ。

「すべては時代の流れなの。エルザ、それは予測出来ないものなのよ。あなたが一生懸命やって来たことは決して無駄じゃないから・・・」

 ヘラの慰めはエルザには一切聞こえない。

「分かったわ。お母様には何も出来ないし、やる気もないってことが!」

 エルザはヘラの部屋を出て行く。

 速足で廊下を歩く。許さない。皇帝陛下もお母様もコンラッドも分かっていない。私がガリア皇后であることがガリアのために最も良い選択だということが。無能の大人たち。 

 私の大好きなガリアはもう終わり。あんな女が皇后になったらもう終わりよ。


 エルザが三人のメイドの噂話を聞いたのは、不幸にもその時だったのだ。

「エルザ様、既に王妃気取りだったわよね。いい薬だわ。」

「殿下も乗り気じゃなかったし。」

 それ以来、あのメイドたちの姿を見たものは無いという。

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