婚姻
ミズカは口元を押さえて震えている。エルザは鬼のような形相で立ち上がる。普段は整った顔立ちが大きく歪んでいる。
「皇帝陛下! そんなこと、お認めになるのですか!」エルザはテーブルを叩く。
「エルザ!」ヘラが咎める。
「お母様! だって、私がっ・・・」
「座りなさいエルザ! 皇帝陛下の御前でしょう!」
エルザは目を細め、半開きの口を震わせながらゆっくりと椅子に腰かけた。
「ふうむ。これはどうしたものかな。」ガリア皇帝は困ったように呟いた。
「あの・・・」ニコルは申し訳無さそうに全員の顔を見回す。「姉は気が動転しておりますので・・・本日のところは、誠に失礼ではございますが、仕切り直しを・・・」
「私の気は、動転なんてしていない。」
急に口を開いたミズカを一瞥し、ニコルは首を振ってため息をついた。
「ミズカ王女はどうかな?」ガリア皇帝は髭を触っている。
「我が息子の申し出をお受けになるかね?」
ミズカは立ったままはっきりと言った。「お受けします。」
その場に静寂が訪れた。
ニコルはしばらく前から頭痛が止まらない。ずっと眉間のしわを押さえている。
コンラッドは嬉しさのあまり感嘆の息を漏らした。
ヘラは真顔だ。何を考えているのか誰にも分らない。
エルザはうつむいて怒りのあまり震えている。
ガリア皇帝は笑った。静寂を打ち砕くように、高らかに笑った。
「話が早い! まどろっこしい会談は無しだ! ガリア帝国とリューデン王国は長年の因縁などものともせず、確かな結びつきにより絆を固くした!」
ガリア皇帝の声だけが、城中に響き渡っていた。
「ごめんなさいニコル。世継ぎのことはなんとかするから・・・私、たくさん子どもを産んで・・・」帰りの馬車で、ミズカはニコルに何度も謝っている。
「そんなことは・・・」ニコルは考えることが多すぎて祝福の言葉すらかけられない。
会って二度目で結婚など、早まった行動ではないのか。リューデン国内の貴族と結婚するしきたりも破られることとなり、伝統が途切れることとなってしまった。ミズカの言う後継ぎのことも気になる。ニコルは女しか愛せない。色々と考えてしまうが、一番はミズカが心配だった。騒動の堪えないガリア帝国で暮らすこと。ミズカが幸せな生涯を送れるとは少しも思えない。予想していた穏やかな未来が奪い取られてしまう。
ニコルがゲルグ人のアリアを恋人として連れて来た時、リューデン王は驚いた。しかし寛大なリューデン王はニコルを咎めなかった。生涯をかけてゲルグ人との歩み寄りに全力を尽くすよう命じた。ミズカも快く了承し、世継ぎは自分がなんとかすると笑った。
「ニコル、本当にごめんなさい。私、自分のことばかり優先しているわよね。」
ミズカはしょんぼりとしてうつむく。ニコルは意を決した。
「姉上、遅くなって申し訳ない。」
「え?」ミズカは驚いて振り向く。
「おめでとうございます。大丈夫ですよ。世継ぎのことを姉上にお願いしていたのも、私の我儘ですし。元々ガリア帝国とは前向きにやってく予定だったのですから、これで良いのですよ。」
「ニコル・・・」ミズカは涙ぐんだ。「我儘じゃないわ。あなたはゲルグ人と私たちの絆の象徴なのだから・・・」そう言って首を振る。
正式な場で結婚の申し出を受けた以上、後戻りは出来ない。ならば進むしかないのだと、ニコルは思った。
「さあもう笑ってください。帰って父上に報告しましょう。姉上が笑っていないと、要らぬ心配を掛けてしまいますよ。」
ミズカはガリア帝国の元に嫁いで行った。
結婚式はガリア城内で盛大に執り行われた。招かれた沢山の貴族たち。贅を尽くした料理に色とりどりの花が添えられ、他国からも祝いの手紙が届く。
ミズカはガリア帝国に伝わるモスグリーンのドレスを纏い、コンラッドの隣で微笑んでいる。亡くなった皇后さまに似ていらっしゃる、と何処かから声が聞こえた。
ニコルもこの日ばかりは華やかな青のドレス姿で参列した。細いシルエットが締まった体を引き立てている。
参列者の誰もエルザに話しかけなかった。気を使って話しかけられなかったのだ。エルザは参列こそしているものの、不機嫌な表情を全く隠さない。その上花嫁と同じモスグリーン色のドレスを着ていたため、多くの参列客を驚かせた。
リューデン王が参列することは叶わなかったが、コンラッドが翌日病床まで挨拶に訪れた。リューデン王は安心しているように見えた。
結婚式が終わるとミズカはリューデン城へ戻らず、そのままガリア城で暮らすこととなった。コンラッドとミズカは、これまでの人生の中で一番幸せな夜を過ごすこととなる。
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