巫女の末裔 リューデン王妃
翌日、ミズカはガリア皇帝宛てに返答の手紙を送る。リューデン王は病で動けないこと。代わりにミズカとニコルがガリアへ赴くこと。そして希望の日付など事細かに記し、リューデン王の代理である第一王女ミズカと正式にサインをした。
「あっ、そうだわ」ミズカは封筒と便箋を更に一枚ずつ取り出し、「もう一通あそこへ手紙を送らなくちゃ。」そう言って違う宛先への手紙を書き始めた。テーブルに顔がぶつかりそうなほど接近している。眼鏡の作成に時間が掛かっている。
「姉上、最近よく手紙を書かれていらっしゃいますね。」
ニコルが後ろから話しかけるとミズカは飛び上がった。
「えっ! ええ、そうね、最近文通をしていて・・・」
「この封筒、外国行きですか?」ニコルは怪訝な顔だ。「王族が非公式で外国とやりとりされるのはあまり好ましくありませんが・・・」
「分かってるわ!」ミズカは堪らず手紙を両手で覆う。「大丈夫よ。私は偽名を使っているし、リューデン城のメイドってことになっているから。」
ニコルはより一層疑わしそうな顔をしている。
「公になれば何らかのトラブルの原因になるかもしれません。くれぐれもお気をつけください。」
「もう、分かってるわよ! どうして妹のくせにそうやって保護者ぶるの、ニコルったら!」
それから数日が過ぎ、いよいよその翌日、ミズカとニコルはガリア帝国へ発つこととなった。前夜、ニコルとアリアはベッドでしっかりと抱き合っている。
「ニコル様、本当に明日発たれるのですか・・・。」
「なんだアリア」ニコルはアリアを胸にしっかりと抱き、頭をなでている。「まだ心配しているのか。私より強い者などおらぬというのに。」
ニコルは女しか愛さない。これまで男に興味を持ったことが無く、アリアと出会う前は貴族の友人や城のメイドを恋人にしていた。
父であるリューデン王とミズカがゲルグ人解放の活動に取り組む中で、ニコルはアリアと出会うことになる。一目アリアを見た時から、ニコルはすっかりアリアの虜となっていた。ゲルグ人の中で「最も美しい踊り子」と言われていたのだ。無理も無い。
「でもニコル様、ガリアは非情な者たちの集まりなんです。私の仲間は今も迫害を受けているし、皇帝の妹もシン国を手に入れるために夫を殺すなんて、人間のすることとは思えません。ガリア城には皇帝の妹もその娘も居るんですよ。恐ろしいところです。」
ニコルはアリアの額に優しく唇を寄せて言った。
「お前の仲間たちのことは気の毒に思っている。しかし怒りだけでは何も成し遂げることは出来ない。ガリアと対話し、ゲルグ人への迫害をやめるよう働きかけるつもりだ。ガリアは強大だがわが軍も負けてはおらぬ。安心していい。」
「そうでなくて・・・私は、そのような恐ろしい者たちのところにニコル様が行くのが・・・ただただこわいのです。」
ニコルはアリアを抱き寄せる。二人の肌は溶け合うように密着する。
「お前は可愛いな。愛しているぞ。」
一方ミズカは亡き母リューデン王妃から受けとった形見のペンダントを握りしめていた。紫色の石が黄金の金属で縁取られている。
「このままヘルゼンにも会えずにガリアで殺されるなんて絶対にダメ。お母様、いざとなったらニコルと私をお守り下さい。」そういってペンダントを見つめた。
「でも・・・このペンダントは、1人しか救えないんだったからしら・・・。」
ペンダントは、かつて巫女である母がミズカとニコルに一つずつ残したものだ。不思議な力が込められている。
「ミズカ、ニコル。お聞きなさい。」
ある日、リューデン王妃は娘たちの手をしっかりと握って言った。「私は巫女の末裔だから、それほど強い力は無いけれど。このペンダントに全ての力を込めました。自分でもいいし、他人でもいい。誰かを守りたい時はこのペンダントに願うのです。」
ニコルの分はもう壊れてしまってこの世に無い。それは約二十年前。ミズカが五歳、ニコルが三歳の頃のことだ。
「それじゃあニコル、お留守番よろしくね。」
三歳のニコルは大暴れしていた。この日はミズカと母と三人でピクニックに出かける予定になっていたのだ。メイドたちが手を焼いている。
「ニコル様、どうか安静になさってくださいまし。お体に障りますよ。」
ニコルは高熱のため外出は控えるよう医師から進言されていた。
五歳のミズカと言えば、母親を独り占め出来るとあって少々得意げだ。ピクニックバスケットをぶんぶん振り回している。
馬車に乗り、遠ざかる二人を見ながらニコルは大泣きした。自分では元気一杯のつもりなのに、熱が出ているから行けないと医師は言う。そんなことがあって良いのかと信じられない気持ちだった。誰も見ていないところで医師の足をこっそり蹴る。医師は苦笑いする他ない。
ニコルはふくれっ面で剣の稽古を始めた。安静にしているようにとの言葉にどうしても反抗したかったのだ。それに、母と姉のことを考えながらベッドに横たわっているなんて、考えるだけで本当に気分が悪くなりそうだった。剣を振りながら母と姉の顔を思い浮かべると、ますます腕に力が入った。三歳のニコルの剣は普段はおぼつかないものだったが、今日に限っては岩でも切れてしまいそうだった。
「母上も姉上もきらいだ! ゆるさない! 私を置いていくなんて!」
しかし気付けばニコルはベッドに横たわっていた。無理をして倒れていたようだ。医師が隣について、困った顔をしている。ニコルはまた泣いた。王妃である母はいつも忙しく、殆ど子供たちの相手を出来ない。昨日から楽しみにしていたピクニック。悔しくてたまらなかった。そのまま泣きつかれて、再び深い眠りに落ちた。
ニコルが目を覚ますと、リューデン城はかつてないほどにざわついていた。部屋の外が騒がしい。医師の姿はもう無い。背の高いベットからなんとか降りて、広い部屋を横切り、重厚なドアを開けた。
「ニコル!」
「父上?」
リューデン王が駆け寄って来てニコルを抱きしめた。
「ニコル! 母さんとミズカが・・・」
「え?」状況がよく分からない。
リューデン王妃とミズカが担架に乗せられ運び込まれて来た。先ほどニコルの元に居た医師が、青い顔をして付き添っている。リューデン王は震える声で言った。
「事故にあった・・・。」
嘘だ、とニコルは思った。ついさっき元気な姿で出かけて行く二人を思い出す。しかし横切る母と姉の姿を見ると、嫌でも現実を思い知らされた。おびただしい量の血が滴っている。医師がリューデン王の元へ近づき、王妃は即死であることを伝えた。リューデン王はニコルを抱きしめて泣いた。
「ミズカ様はまだ息があります。医師団が全力を尽くします。」
父と医師の会話は、幼いニコルにも理解することが出来た。気付けばニコルはミズカの元へと駆け出していた。「姉上!」
リューデン王もそれを追いかける。「ミズカ! 頑張ってくれ! 頼む!」
ニコルは母から受け取ったペンダントを取り出して高らかに言った。
「お願いします! 姉上の命を助けてください! お願いします!」
次の瞬間、そのペンダントは勢いよく割れた。紫色の石が全方向に弾け飛び、粉々に砕けた。ニコルの手は切れて血だらけになった。だがそんな痛みは感じない。ミズカが目を開けたのだ。深かったはずの傷がみるみるふさがって行く。
リューデン王とニコルは顔を見合わせた。医師はその様子を見て言った。
「王妃様の・・・巫女のお力ですね・・・これほどとは。」
二人は抱き合ってむせび泣いた。リューデン王妃を失った悲しみ。ミズカが一命を取り留めて安堵した気持ちが押し寄せてくる。
ミズカが目を開けた。
「お父様、ニコル?」
「姉上!」ニコルはミズカに飛びつく。
「ミズカ、大丈夫か! 痛いところは無いか?」リューデン王はミズカの両手を握りながら尋ねる。
ミズカは呆然としたまま言った。「あまりよく見えないわ・・・」
ミズカは一命は取り留めたものの、目に受けた衝撃が激しく、視力が大幅に下がっていた。
それから今日まで、ミズカの持つ方のペンダントは幸いなことに出番が無い。
「このままずっと出番が無いと良いのだけれど・・・。」
そうつぶやくと、大切に胸元にしまったまま、ミズカは眠りについた。
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