美しきゲルグ人のアリア エルザの過去
眠っているニコルの部屋の扉が激しく叩かれた。
「何事だ!」ニコルは飛び起きる。
「・・・ニコル様、どうされましたか。」隣に居るのは美しいゲルグ人の女だ。
繊細なガラスが、春風に吹かれているかのような声が聞こえる。彼女はニコルの恋人アリア。ベルベッドのような褐色の肌がむき出しになっている。
「起こしてすまないなアリア。服を着るんだ。緊急の用事だろう。」
アリアが起き上がると、腰まである灰色の髪がさらさらと流れる。真っ白の布を壁掛けから降ろし、身体に巻き付ける。胸部はやや小ぶりだがバランスが取れている。一方臀部は大きく、球体の果実が二つ、堂々と自己主張している。全身はニコルのように筋肉質ではないが、ほどよく引き締まり、そして柔らかい。
アリアの身体が覆われたのを確認し、ニコルは扉に向かって言った。
「入っていいぞ。何事だ。」
入って来たのは息を切らしたミズカだ。
「起こしてごめんなさい、二人とも。でも緊急事態なの。」
「姉上、どうされましたか。」
「見て。」ミズカは胸ポケットから書簡を取り出す。「ガリア皇帝からお父様宛てに届いたの。皇帝はお父様が病気なのは知っているはずよ。だからこれは実質私たちに宛てていることになる。」
ニコルは差し出された書簡を手に取った。
そこには、『ガリア帝国がリューデン王国に行っている経済制裁を中止する用意がある』『クレム帝国が力を付けているため、手を取り合い同盟国家となることを希望する』『近いうちに正式に会談の場を設けたい』挨拶等を除けば主にその三点が書かれていた。
「ニコルどう思う? 罠かしら。」
「皆目見当がつきません。」
ゲルグ人のアリアは、ガリア帝国という言葉を聞くだけで震え上がった。額にしわを寄せる。つるりとした、ゆで卵を燻製にしたような額だ。
「ガリアでは今もゲルグ人の仲間が、奴隷として強制労働させられています。」
アリアは明らかに取り乱している。ミズカとニコルは気の毒そうにアリアの顔を見た。
「我が国がゲルグ人と手を取り合い、前を向いて生きていることはガリアも承知のはず。ですね姉上。」ニコルはアリアの前であえて確認する。
「そうよアリア。私たちは必ずゲルグ人を守るから心配しないで。ガリアの言いなりになんてならない。」
二人がそう励ますと、アリアはほんの少しだけ微笑んだ。
「問題はここよ」ミズカが該当の箇所を指さす。「会談はガリア城で行う予定だと書いてあるわ。」
「そんな!」アリアが大きな声を出す。「絶対に危険です! ガリアに入国なんてしたら何をされるか分かりません! ゲルグ人殺し、身内殺しのガリアですよ!」
「身内殺し?」ニコルが尋ねる。
「アリアの言っていることは間違いないわ。ガリアは領土拡大のためなら家族でも殺す。現に皇帝の妹は夫を殺しているの。四年前のシン王殺害事件。ニコルも覚えているでしょう。」
「そういえば・・・。」
「シン城炎上 王妃・王女行方不明」
四年前の新聞にはこのような見出しが躍っていた。シン王国にはこの報道の翌日にガリア軍が侵攻。混乱の中、瞬く真にガリア帝国の領土となった。
行方不明とされていた王妃と王女は、ガリア城のテラスで二人並んで夜風に当たっていた。ガリア皇帝の妹とその娘、ヘラとエルザである。エルザはこの時十五歳であった。
「お母様、本当にお父様を殺したのね。」エルザは無表情だ。
「木造だったからよく燃えたわよ。」ヘラは笑っている。「最初からそのつもりでシンに嫁いだの。十五年も掛かってしまったけれど。エルザ、お父様が死んで悲しいの?」と、ヘラは尋ねる。
「いいえ」エルザはきっぱりと言った。「お父様は私がお人形のように座っていれば良いと思っていたわ。口癖は静かにしていろだったし。」
ヘラは頷く。「シンは遅れている。未だに女性を力なき者として扱っているわ。どんなに活躍しても所詮は女。そのような意識が根付いているわ。シンはガリアのような先進国に吸収されるのが一番なの。エルザもガリアがきっと気に入るはずよ。」
エルザが少しだけ残念に思ったのは、シンの文化が失われるかもしれないことだった。かなり独自の文化だ。城、そして家々も木造で趣がある。路地には真っ赤な提灯がずらりと並び、歩けばどこからともなく香草の香りが漂う。饅頭を蒸す湯気が立ち上る様子は食欲を誘う。職人たちは真っ赤な陶器を焼き、それがいつしか茶器となり、ガリア帝国とともに繁栄して行った。
二十年前、ガリア帝国とシン王国は友好国であった。度々合同の晩餐会が開かれ、王族や貴族たちがそれぞれの繁栄を喜んでいた。ある日、シン王国の王子はヘラの美しさに心打たれる。ヘラがにっこりとほほ笑めば、辺りは大輪の薔薇が咲いたような華やかさになるのだ。二人は仲を深め、両国友好の印として結婚することとなる。
こうしてシン王子の元へ嫁いだヘラだが、実際は兄であるガリア皇帝と共謀し、シン占領計画を着々と進めていた。それはあまりに長期的な計画であったゆえに、誰にも気づかれることは無かった。結婚生活の間にエルザという娘も産まれている。端から見れば幸せな王族一家だ。
しかしガリア皇后が他界し、欲望渦巻くガリア皇族が計画するのは、シン国王となったヘラの夫を殺害するという非情な策略だった。
そして長い月日を経て、ヘラは見事に計画を達成。シン城に火を放ち、エルザを連れてガリア帝国へと舞い戻ったのだ。
「ミズカ様、ニコル様、ガリアに赴くなんて絶対に危険です。もしお二人に何かあったらリューデン王国はどうなります」アリアは必死に訴える。「ガリア皇帝をこちらに参らせることは出来ないのですか? あちらからの申し出でしょう?」
「それが出来たら一番良いけれど・・・」ミズカは首を振る。「国力を考えると私たちが伺う側になってしまうのは致し方ないのよ。」
「姉上、行きましょう」ニコルは意を決して言った。「ガリアへ。罠でも構いません。」
「そのような恐ろしいこと!」アリアは顔を手で覆う。
「大丈夫」ニコルはアリアの肩を抱いて宥める。「私が姉上をお守りすれば良いだけのこと。ガリアと対話する絶好の機会を逃してはならない。」
「そうね」ミズカも同意する。「アリア、心配しないで。ニコルはあなたを置いて死んだりしないわ、絶対に。」
アリアを完全に説得することは出来なかったが、ミズカとニコルは近日中にガリアへ赴くことが決定した。
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