従妹エルザ
メリルの話を聞いていたコンラッドに、新たな疑問が沸き上がった。
「姉妹の話は分かった。王妃が事故で死んだこともさっきホフマンに聞いたよ。だがリューデン王の名前が出てこないな。王は何をしているんだよ?」
この質問にはエルザも大きなため息をつかざるを得なかった。
「コンラッド・・・あなた、そんなことも知らないの?」すっかり呆れている。
「殿下、たまには新聞をお読みください。」と、メリル。
「なんだよ二人して・・・」コンラッドは不服そうだ。
エルザが人差し指を振りながら説明する。「リューデン王はここ五年くらい、ずっと病に臥せっているわ。」
「じゃあ」コンラッドが尋ねる。「リューデン王国の政治は誰が行っているんだ?」
「殆どミズカ王女が行っていると伺っています殿下。」メリルが答える。
「ニコル王女は筋肉バカなのよ。政治は出来ないの。コンラッド! あなたはそう呼ばれないようにして欲しいわね。」エルザは突然叱咤激励を飛ばす。
「ああ・・・」コンラッドは頭を抱えた。エルザの説教は長くなると心底面倒くさい。
メリルは時計を見て言った。「さあ、もうこんなお時間ですわよ」立ち上がり、後ろの戸棚から大きなチェス盤を取り出す。「次はこちらのお稽古です。」
「コンラッドと勝負してもつまらないわ」エルザは口をとがらせる。「弱すぎるんだもの。」
「エルザ様は何でもお出来になりますから・・・お上手過ぎるんですのよ。殿下が弱いということは決してございませんわ。」
「メリル、そんなフォロー要らないからチェスは勘弁してくれ。苦手だ。かったるいことやってられねえよ。そんな盤面で戦うことに何の意味がある? 実際に剣を交えてこそ、じゃないか。」
「いけません」メリルはぴしゃりと言う。「春のチェス大会で大負けしては笑いものですよ。貴族の相手をなさるのも殿下のお仕事です。次は私は手助け致しませんからね。さあ、こちらへお座りくださいね。」
コンラッドはげんなりした表情で立ち上がるのだった。コンラッドは、いっそエルザが皇帝になって政治を行えば良いのにといつも考えていた。エルザの方が格段に政治に関心があるし、勉強熱心だ。
エルザ自身にしたってそうだ。エルザは将来自分がガリア皇后となることが唯一の目標だ。皇帝となったコンラッドに忠告をして、ガリアを強い国へ導いて行くと宣言している。それがコンラッドのためにもガリアのためにも最も良いことであると常々話をしていた。ガリア皇帝もそんなエルザの熱心な様子を感心して見ているようだ。
コンラッドが二十歳になった四年前、父親であるガリア皇帝とその妹のヘラが、突然二人の結婚を決めた。コンラッドには反対する術もなかった。それにコンラッドには反対する理由も特に見つからなかった。
エルザは真っ白な肌、艶やかな金髪、豊かな胸元、キリリとした目元が非常に魅力的な女性であったからだ。コンラッドが初めてエルザを見た時、あまりの美しさに驚いたものだ。将来はエルザと結婚するようにと命じられた時も手放しで喜んだ。エルザがガリア城で暮らすようになってからは、エルザの国政への熱心さに日々圧倒された。自分より五つも年下だというのに、心構えは既に皇后のそれである。
「皇帝陛下! ガリア帝国は世界で最も優れた国家です!」エルザの熱意は毎日城内に響き渡っていた。「世界はガリア帝国になるべきです! ガリアのために私一生懸命勉強します!」
コンラッドはエルザを尊敬をしていたし、魅力的な女性だと感じていた。しかし時折コンラッドは母を思い出す。コンラッドの母、すなわちガリア皇后は、コンラッドが八つの時に病死した。記憶の中の母はエルザとは正反対のガリア皇后だ。片田舎の出身で、家庭的で温厚。いつも国民の幸福を願った。ガリア帝国民の母と呼ばれた。
故ガリア皇后は、国民の教育や福祉活動に熱心で、領土拡大にはあまり興味を示さなかった。皇后の活躍でガリア国民の生産力は三倍近く上昇したと言われている。
「これで私との勝負は百勝零敗よコンラッド。」気付けばエルザがチェックメイトしている。「メリル、もうコンラッドと打たなくて良いでしょう? 退屈だわ。」
「次回からはエルザ様のお相手が出来る者をご用意しなくてはなりませんね。」
エルザとメリルが対局について検討していると、コンラッドは唐突に言った。
「メリル、俺は明日マルク地方に見回りに行きたいと思う。」
「マルク地方?」メリルは駒を置く。「リューデン王国との国境ですね。」
「ちょっとコンラッド! 私との勝負の最中にそんなことを考えていたの?」
「リューデンのことが今はどうしても気になるんだ。一目見ておきたい。」
「分かりました、国境の視察ですね。リューデンへのけん制にもなるかもしれません。念のため皇帝陛下に許可を頂かねばなりませんが。それに、あの辺りには大量の狼を放っているはずです。猛獣使いを用意します、移動させておいた方が良いでしょう。エルザ様はいかがされますか? ご一緒されますか?」
エルザは残念そうに手を振る。「少しは興味があるけれど・・・」珍しく大きなため息だ。「明日のダンスレッスンは外せないの。来週の社交界に備えなくちゃ。」
「そうでしたわね。エルザ様のダンスをご覧になるのを皆様楽しみにしていらっしゃるから。」メリルは微笑む。
「エルザは社交界に備えてくれ。俺は何人か兵を連れて行くよ。」
こうしてコンラッドは、ガリア帝国とリューデン王国の国境地帯、マルク地方に視察へ行くこととなった。
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