姉妹、森へ行く

 ミズカとニコルは、言うことをきちんと聞く馬に二人乗りし、目立たないようひっそりと城を出た。彼女たちが暮らすのは、小高い丘の上にあるこじんまりとした城である。白を基調に、窓の縁や屋根は深い青で彩られている。派手さが売りのガリア城に比べて上品で美しいと評判だ。二人は予定通り、まだ日が上がらない早朝から国境へ向かう。

「父上が知ったらただでは済まされませんよ、姉上。」ニコルはまだぶつぶつ言っている。

「知ったからって、お父様にはどうすることも出来ないでしょ。」ミズカは拗ねる。

「またそのようなことを・・・その内起き上がるかもしれないでしょう。」

「それは・・・無理よ・・・。」

 二人はしばらく沈黙した。

 ミズカとニコルの父リューデン王は十年前、隣国シンへ訪れた際、筋肉が硬直し動かなくなる奇病に感染した。記録によるとその奇病は千年前にシンで流行した病である。現在生きている殆どの人間が抗体を持っているが、限られた者としか婚姻しないリューデンの伝統が災いした。リューデン王には抗体が無かったのだ。それから十年経ったが、リューデン王は横たわったまま、目だけを微かに動かすことしか出来なかった。

 早朝に出発した二人だったが、国境付近の森に近づく頃には、太陽は頭上に来ていた。

 ニコルは手元の地図を広げる。

「この道から森に入れば安全なはずです。狼が入れないよう柵が建てられています。資料によると突き当りにはガリア側建設した門があります。恐らく門番が待機しているでしょう。見られてはよくありませんから近づかないようにしましょう。」

 鬱蒼と茂る木々の中、整備された小道が闇へと伸びていた。人が1人手を広げて通れるくらいの広さだ。

「姉上の仰る植物はどの辺りに群生しているか分かりますか。」ニコルは左右を見回しながら馬をゆっくりと進める。

「分からないわ。そこまでの資料は無いの、歴史書を見ていて見つけたものだから・・・。」ミズカが答える。

「歴史書ですか・・・。」ニコルは不安な気持ちでいっぱいだ。

 その時、ニコルは不自然に木々が擦れる音を聞いた。

「姉上! お静かに。」

 二人は押し黙った。乾いた音が右から左へ、左から右へと移動する。ミズカは目を丸くし、音のする方へ何度も何度も首を回している。ニコルの腕を強く掴む。その両手は微かに震えていた。

 地面に響くような低いうなり声が聞こえた。紛れもない狼の声だ。二人を威嚇している。

「見つかってしまいました。」ニコルは眉間にしわをよせる。

「どうして? 狼の居ない場所を探して来たはずなのに・・・」ミズカはますますニコルの腕を強く掴む。

「理由は分かりません。かなりの数に囲まれています。」

 ガサガサと草木が揺れ、ゆっくりと狼は姿を現した。全身の毛が立ちあがっている。彼らはとても痩せ細り飢えているが、巨大だ。少なくとも今の二人にはそう見えた。

 ニコルは剣に手を掛けたまま、するりと馬から降りた。

「まさか戦うって言うの? 危ないわ!」ミズカはまだ指先でニコルの服を掴んでいる。今にも滑り落ちそうな体勢だ。

「このまま向かい合っている方が危険です。姉上、乗馬の練習をなさったことはありましたね。しっかり手綱を握って、つかまってください。」ニコルはそっとミズカの手を放し、

手綱の方を握らせる。

「嫌よニコル・・・あなたを置いて行くなんて・・・」

 ニコルは思い切り馬の尻を叩いた。馬は大きく仰け反り声を上げた。

「行け! リューデン城へ帰れ!」ニコルは叫ぶ。

 馬は全速力で駆け出した。が、行く手を阻む狼を避けようと、方向は右へ左へとやみくもだ。リューデン城とは正反対の方へ向かい始める。

「ま、待て、そっちじゃない!」ニコルは慌てて止めようとするが、時既に遅しだ。

 一匹の狼がニコルへと飛び掛かった。ニコルは素早く剣を抜き、空中で狼を叩き切る。甲高い声を上げ、狼は後方へ飛んだ。

「待つんだ!」ニコルは再び馬に向かって叫ぶ。

 努力は虚しく、馬はみるみる内に見えなくなった。ニコルの周りを数十匹の狼が取り囲んでいる。ニコルは追いかけるのを諦め、剣を構えなおす。

「早く倒して姉上のところに行かねば・・・。」

 

 ミズカの頬に、風や葉や草が激しくぶつかっては通り過ぎた。ミズカは馬のたてがみに顔を押し付け、目をぎゅっと閉じていた。手綱を握ったまま、馬の首にしっかりと両腕を巻き付けている。自分がどこに居るのか全く分からないし、そんなことを考える余裕も無い。馬は減速し、歩き始めた。ミズカはようやく目を開けることが出来た。

 その時ミズカは気付く。眼鏡を落としてしまったことを。視界がぼやけて何があるのか殆ど認識出来ない。辺りを見回す。チラチラと揺れる木漏れ日以外に明かりはない。薄暗い森がただただ広がるばかりだ。

「ついこの間眼鏡を壊してしまったばかりなのに・・・困ったわ。もう予備が無いの。こういう時はあまり動かない方が良いのよね。お馬さん、疲れたでしょう。こんなことになってごめんなさい。私のせいなの。少し休みましょう。お水を持っているから飲むといいわ。」ミズカは水筒を馬の口にあて、水を注ぎこんだ。

「ニコル、迎えに来てくれるかしら。」その場に座り込む。

 ふと、ミズカの手に尖った葉が触れた。「あら?」ミズカは葉をぐいと引っ張り、目から数センチのところまで持って来た。それはミズカが様々な努力をして今日ここへたどり着いた、唯一の目標であるお目当ての植物だった。

「お馬さん、あったわ! 私が探していたのはこれよ!」

 ギザギザとした葉が手のひらのように広がった植物だ。その葉は輝きを放っているように見えた。自分が道に迷っていたことなどすっかり忘れ、一心不乱に葉をむしり始める。

「ニコルが見つけてくれるまでにたくさん収穫しましょう!」

 プチンプチンと音を立て、ミズカは手のひらのような葉を積み重ねて行った。

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