第35話 静かな再スタート
7月になって、俺は正式にアビリティズ事務所から退所処分となった。俺の他にも青地剛輝やアイドル訓練生だった何人かも一緒に、新しい事務所へと移った。
新しい事務所の名前は、アイオニス事務所という名に決定したと三喜田さんが発表した。ギリシャ語で、永遠に、という意味の単語だそうだ。今度の事務所は他の誰にも明け渡さないよう、永遠に存続できるようにという三喜田さんの意気込みを感じるような名前だった。
契約強要、社長交代、そして事務所を退所するという出来事が短い間に連続して起こったので、海外に居る両親へ事情を伝えるのが遅くなり纏めて事後報告となってしまった。
「という訳で、俺は今のところ別の事務所に所属することになったよ」
「なかなか大変そうだな」
国際電話で海外に居る父親に今の自分が置かれている状況についてを説明すると、よく事情を理解してくれた。父親の返事は、とてもアッサリしたものだったけれど。
「もしも大変そうなら、いつでもコッチに来い」
「ううん、まだ平気そう。自分で何とか出来そうだよ、仲間も居るからね」
それなら良かったと、電話越しに父親の安堵したという様な言葉が聞こえてくる。電話の向こうでホッとした表情を浮かべているのだろうな、と俺は想像した。
芸能活動を続けるのが無理そうだったら、コッチに逃げてこいと手を差し伸べてくれる父親の気持ちは有り難いと思いつつも、今の所は対処するのが難しいという訳では無いから海外に逃げ出すこともないだろう。
三喜田さんの新しい事務所が立ち上がっていなかったら、もしかしたら今頃は海外に行くことを考えていたかもしれないけれど。
「ちょっと待ってろ。今、母さんに代わるから。声を聴かせて上げて」
「うん」
そう言って電話先の相手が、父親から母親に代わる。
「話は聞いてたわ。長期の休みにコッチに来てみたらどう?」
「うん、ちょっと考えておくよ」
両親は今、フランスに住んでいると言っていた。そこで医療研究などの仕事をしているという。
もうすぐ俺の通っている堀出学園が夏休み入るから、海外旅行も兼ねて両親に会いに行くのも良いかもしれない。ただし芸能の仕事があるので、スケジュールが空いているかどうか確認してからかな。
事務所を移ったということで、アビリティズ事務所に居た頃に比べて仕事は減るかもしれないと覚悟していたが実際は、以前に比べても仕事量は増えたぐらいだった。ひっきりなしにアイオニス事務所に仕事のオファーが来ているらしい。
ダンサーとしてだけでなく、ドラマや映画、舞台など俳優としての仕事から、番組のナレーションやアニメの映像に声を当てる声優の仕事まで。
オファーを受けるだけでなくドラマや映画のオーディションにも、スケジュール的に可能なら受けに行ったりして、仕事を自主的に獲得しに行くようにもなった。
アビリティズ事務所に居た頃よりも仕事の幅が広がった、という感じだった。凄く忙しくなっていた。スケジュールは今でも結構埋まっている状態で、仕事があるから残念ながら海外には行けそうに無いかもしれないと伝える。
母親の声がちょっとだけ悲しそうになったけれど、仕事があるのは良いことだからと応援をしてくれた。これは、何とかスケジュールを空けて何とか顔を見せに行けないかな。
「じゃ、健康には気をつけて。おやすみなさい」
「母さんに父さんも気をつけてね。バイバイ」
通話を切って学生寮の自室へ戻ってくると、ベッドに顔を埋めるような感じで布団の上に倒れ込んだ。
ぐるんと仰向けになって、両手グーッと頭の上に伸ばしてみる。凄くリラックスのできる心地いいベッドの感触に、このまま寝落ちしてしまいそうだった。
学業は順調だし、仕事も充実している。だから、スッキリとした心地の良い疲労を感じていた。
今の仕事が充実しすぎていて、このままアイドルグループを結成するのかな、結成する必要はあるのかと疑問に思っていしまうが、三喜田さんの計画では俺と剛輝に、あとはもう1人の誰かで三人組のアイドルグループを作ろうという計画を立てているらしい。
でも今すぐという訳でもなくて、俺が高校生になるまでの3年間ぐらいまでは時期を見てグループのデビューを引き伸ばすという。その時まで、厳選に厳選を重ねたメンバーを選ぼうとしている。
計画について全てが厳密に決まっているわけではなくて、あくまでも予定であるという。アビリティズ事務所に居た頃からずっと言われていることだったので、あまり期待しないほうが良いかもしれないけれど。
なぜそんな俺と剛輝の2人は長期にわたってグループのデビューを遅れているのだろうかと質問してみれば、アビリティズ事務所に居た頃は金盛が居たせいで俺たちにリソースを割けなかった。下手に計画を実行すると妨害される恐れがあったから慎重に事を進めていたそうだ。
そして、今はまだアビリティズ事務所の力が強くて金盛社長が妨害でもしてきそうだから、邪魔を避ける為に更に慎重に事を進めているから、だという。事務所を移ってきても、色々と面倒な相手になりそうだった。
それじゃあ3年後は大丈夫なのだろうかと更に質問をしてみれば、それぐらいが奴の限界だろうから事務所の勢いが衰えるであろう時に、一気に攻勢をかける切り札として新アイドルグループのデビューを飾りたい、という計画なんだそうだ。
切り札になると言われて悪い気はしないし、事務所にも貢献できるのならば後何年か待つのも問題ないかな、と思えてくる。
そう言えば、と初めて出演したライブの事について思い出す。あの時に出会った、山北さんの事について。
あの人も、長いことアイドルデビューを出来ないでアイドル訓練生として頑張っている人だった。確か8年ぐらいだった、だろうか。
あの時に聞いた8年は長いなぁと思っていたけれど、俺もアイドルグループとしてデビューするまでの期間がいよいよ長くなりそうだ。そう言えば、山北さんはあの後に念願のアイドルグループデビューを果たして、今も頑張っている。初ライブも見に行って活躍している様子を見ることが出来て嬉しかった。
アビリティズ事務所に所属していた時には色々なことが有ったなと、そんな事を思い返しつつ、気がつけば俺は眠りについていた。
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