第31話 赤井の判断

 副社長の金盛さんに呼び出されたと思ったら、突然アイドルグループでデビューをする事が決まったという話に俺は動揺を隠せないでいた。デビューが決まった喜びというよりも、色々なことを自分の知らない間に決められて勝手に計画が進んでいるという事に少し腹立つ気持ちと戸惑いが大きかったから。


 つまり、何を勝手に決めてんだよテメェという感情が生じていたが、流石に口には出さず副社長の話を聞いている。


 何も言わない俺がグループでのデビューを了承したと受け取ったのだろうか、笑みを浮かべたまま副社長はアイドルグループに参加するという契約書類をテーブルの上に取り出して、胸ポケットから万年筆取り出して、俺に差し出しこう言った。


「あとは、この紙にサインしてくれたらデビューは決まりだ。さぁ、どうぞ」

「ちょっと待ってください」


 契約書の内容も確認させてくれずに、サインをするよう指示をしてくる。俺は契約内容を確認するまでもなく、勝手に進めようとしている事に納得していなかったので待ったをかけた。


「俺はデビューに関して、何も聞いていませんよ。なんでこんな急に?」

「ビジネスはスピードが大事だからね。他のメンバーからはもう同意を得ているし、デビュー用にファーストシングルの曲も提供してもらえる予定を組んである。後は、君がココに名前を書くだけで全てがスタートするんだよ」


 契約書の氏名欄を指でコンコンと叩き指し示す金盛副社長。いやいや、スピードが大事とは言っても事前に相談ぐらいは必要だろうに。こんな事前準備を万端にして俺の逃げ道を塞いでから後は契約するだけという形にするなんて。もしここで断ったら準備した労力が無駄になってしまう、なんて責任を俺に負わせようとする意図を感じてしまう。


「ビジネスはスピートが大事と言われたって、事前に何にも話を聞かされていないのでは納得できませんよ」

「アイドルグループのデビューは、マスコミや他社に漏れないよう秘密裏に行うのがウチの事務所の方針だ。君に話せなかったのは申し訳ないが、事は進み始めてるんだ後戻りはできない」


 事は進み始めてる、なんて勝手に進めておいて何を言っているんだろうと呆れてしまう。秘密裏にと言っている割には俺以外の他のメンバーからは既に了承を得ているなんて言っていた筈なのに、話が矛盾しているように思えた。


 俺が、この金盛副社長に対する印象が悪いから悲観的に考えてしまうだけなのか。それとも、危機感を持っているから警戒しているのか。


「君はこの話を断るつもりか? デビューを目指してアビリティズ事務所に所属しているんじゃないのか!?」

「まぁ、そうですけれど」


 大きな声を出して信じられない、という風に副社長が抗議をしてくる。子供だったら、大人がこれだけ強く意見を主張してくると萎縮してサインしてしまいそう。だが俺は普通の子供ではない。デビューするつもりは有るけれど、今回の話は怪し過ぎるので素直に聞き入れられない方がいいと判断した。


「君は何年も事務所に在籍していて今までずっとデビュー出来ていないんだろう? 今回の機会を逃せば、次の機会がいつ来るか分からないのに断るというのかい?」


 勢いよく言葉を発して俺の危機感を煽ってくる副社長。焦っているように感じるし、どうしても俺に契約書にサインしてほしい様子だった。だからこそ俺は身構えて、絶対に契約書にサインをするのは断るべきだろうと改めて判断をした。もう少し情報を集めてから、どうするか決めるべきだと。


「申し訳ないんですが」


 今回の件に関しては今すぐこの場で判断することは出来ない、と断りを入れようとした途中。副社長の無理に作ったような笑顔がのっぺりとした無表情にガラリと変化をした。そして、俺の言葉を掻き消すような大声で再び口を開いた。


「この話を断るというのならば、ウチの事務所でのデビューは今後一切無しだ。他の事務所にも情報を回して、この業界に居られなくしてやる。メディアにも情報を流せばお前の今後の人生がどうなるか……。契約書にサインするかどうか、よく考えるんだな」


 まさか、そんな脅し文句を並べて契約を迫ってくるとは。しかも中学生のまだ子供である俺に向かって、二回り以上も違うように見える大人が取るような手段だろうか。


 しかも、マネージャー候補として副社長の隣りに座っている中年男性は何も言わず、止めようともしないで黙ったまま今の状況を眺めてくるだけ。黙ったままで介入してこない。彼も副社長側の人間だということを理解した。


 普通の子供だったら、そんな言葉を聞かされてしまえば恐怖で断れないような状況だろう。もしかして俺以外にも、今まで同じように脅しつけて契約を迫った子が居るのだろうか。


「ひっ!?」「うっ!?」


 あんまりだと思うような方法に怒りの気持ちが湧き上がってきた。俺は、副社長と中年男性に対して怒りを感じ、無意識のうちに彼等を睨みつけていた。視線を向けて殺気まで漏らしてしまったのか、彼らは呻き声を上げて顔を真っ青にしてしまった。このままでは危ない、暴力に訴えるのは駄目だと俺は怒りを鎮める。


 二人が恐怖で青くなっている内に俺は、話し合いも有耶無耶にしてさっさと部屋を出ていくことに決めた。


「ともかく今日ココで契約書にサインはしません。もう少し詳しく話を聞いてから、契約については検討させていただきます」


 副社長の脅し文句なんかをまるっきり無視をして、会話を断ち切るようにそれだけ言って席から立ち上がった。


 今回のデビューに関して、事務所の他のスタッフや社長達はどう考えているのかもハッキリさせないと。なぜ、こんなに副社長が俺との契約を急いで迫ってきたのか。その辺りの情報を集めてから真相を解明しよう。


 部屋を出ていこうと扉を開けた俺の背中に、副社長が「後悔するぞ」と強がっているようだが震える小さな声を投げかけてきた。だが、俺は彼の呟きには特に反応せず部屋を出た。

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