アイドル訓練生編 番外

閑話06 クラスメートの女の子

 私がまだ小さい頃の、とても大切な思い出。


 今では誰もが知っている赤井賢人というトップアイドルは、私が小学生の頃に一緒のクラスメートだった。そしてそんな小さな頃から、賢人くんは今と変わらず皆から好かれるアイドルと言えるような存在だった。


 頭がとっても良くて、なんでも知っている。足がとっても早くて、運動なら何でもできた。そして、誰に対しても優しく接していた。クラスメートも関係なく、上級生でも下級生でも変わらず学校の皆をまとめて楽しい遊びを教えてくれた。


 男子は彼を中心にして皆で集まって喧嘩もしないで楽しそうに遊んでいるから、嫌われることなく男子みんなから人気者だった。


 かっこいい姿しか見せない、他の男子のように馬鹿だな、嫌だなって思うような事を女子達にはしてこなかった。それで、女子のみんなにも人気だった。


 けれど私はその頃、賢人くんが少しだけ苦手だった。小さな頃の私には完璧過ぎる賢人くんは遠い存在だったから。私なんかがおしゃべりしようとすれば嫌われるかもしれないし、容姿にも自信が無かったから顔も合わせられないと思い込んでいた。


 だから、近寄り難く遠くから眺めるだけの別世界の人だと思い込んでいた。


 今考えれば、私が賢人くんを好き過ぎていたから。近付きたいのに無理だと思ってしまう状況が捻くれて、賢人くんへの苦手意識を生んだんだろうと思う。


 けれと、そんなある日の事。私は賢人くんと二人っきりになって、お話をする機会があったのだ。


 平日の授業も終わった放課後、帰宅途中の事だった。どういう経緯かはもう忘れてしまったけれど、小さい頃に私は大きな犬に追いかけられていた。川沿いや原っぱを必死に逃げて、気がつけば自分の居場所がわからなくなっていた。


 迷子になってしまって、何処に行けばいいのか、どうすれば良いのか。空も夕暮れで、だんだんと辺りは暗くなっていく。私は知らない場所で一人っきりになって家に帰れない恐怖に、その場で泣いて立ちすくんでいた。


「あれ、真帆ちゃん?」

「け、賢人くんッ」


 そんな時に突然現れた賢人くんを見て、私は助かったという気持ちで心がいっぱいになっていた。けれど、すぐに恐怖の気持ちに変わってしまう。一人きりで泣いている姿を恥ずかしいと思って、こんな姿を見られたら賢人くんに絶対に嫌われる、と考えてしまったから。


 賢人くんから顔を見られないようにと思って明後日の方向へ顔を向けた。そして、どうすれば良いのか頭は混乱していた。


「ほら、大丈夫。落ち着いて?」

「あっ!」


 賢人くんの手は気がつけば私の手を握ってくれていた。温かい体温が触れた手から伝わってきて、それだけで恐怖で固まっていた私の身体は安心していた。握られた手の先から、温かな気持ちが広がって落ち着いていったのを覚えている。


「あの、あのね。わたし」

「うん」


 慌ててうまく言葉が出ない私、だけど賢人くんは最後までゆっくりと話を聞いてくれた。怒ったり呆れて放って行ったりしないで、私に合わせてくれていた。


「ま、迷子になっちゃった」


 迷子という言葉を口にする瞬間は、本当に緊張していた。恥ずかしいという気持ちを押し込めて打ち明けた。けれど、私の言葉を聞いた賢人くんは馬鹿にしたりせず、優しい笑顔を浮かべて助けの手を差し伸べてくれた。


「じゃあ、一回学校に戻って。そこからお家への道は分かるかな」

「うん、学校からなら家に帰れる」


 そして、手を繋いだまま優しく導いて学校まで連れて戻ってきてくれた。大分遠くまで犬から逃げたと思っていたのに意外と近くに小学校はあったのか、すぐに目的地に到着してしまった。もしかしたら近くに感じたのは、賢人くんと手をもっと繋いでいたかったという気持ちの錯覚かもしれないけれど。


 とにかく、学校へ戻ってこれた私は賢人くんにお礼を言った。もうこの頃には賢人くんに対して感じていた苦手意識は薄れて、好きだという気持ちを自覚していたんだと思う。


「ありがとう、賢人くん」

「どういたしまして」


 笑って答えてくれる賢人くんの表情。真正面から向けられた笑顔は王子様のようだ、と私は思った。


「ここからお家には1人で帰れる? 一緒に行こうか?」

「ううん、だいじょうぶ帰れるよ」


 子供だとは思えない優しい気遣いをしてくれて、家まで送ってくれようとしていた賢人くんを私は断った。それ以上は、一緒に居るのが恥ずかしい。迷惑を掛けたくないという気持ちで。


「それじゃあ、また明日。バイバイ、真帆ちゃん」

「うん。ハイバイ、賢人くん」


 その前にも何度か私の名前を呼んでくれていた賢人くん。落ち着いて、ようやく気が付いた。私の名前を覚えていてくれていたんだ、という事が分かって感動した。


 私のことを知ってくれていて、名前まで覚えてくれていたなんて。


 別れる最後まで嬉しい気持ちをドンドンと大きくしてくれた賢人くん。私は、賢人くんの姿が見えなくなるまで手を降って見送った。その日に感じた幸せを、私は一生忘れないと思う。


 それから、小学校を卒業するとアイドルになるための芸能活動を専念するためにと堀出学園という中学校へと進学していき、その後は無事デビューを果たして今に至る赤井賢人くん。


 賢人くんにとっては、もう覚えてもいない。なんてことのない出来事かもしれないけれど、私にとっては大切な思い出の一つだった。

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