閑話04 事務所のゴタゴタ

「くそっ、アイツらふざけやがって」


 イライラを発散させるように社長室のデスクを殴って、潜めた声ではあるが怒りの言葉を口に出して放ったのは、アビリティズ事務所の社長である三喜田だった。


 普段は温厚で怒ることは滅多に無い三喜田だが、そんな彼が珍しく語気を荒げて、まだ怒りが収まっていなかった。


 彼が何故怒っているのかというと、その原因は副社長の独断専行にあった。三喜田の知らない内に事務所の方針とは異なる仕事を勝手に受けてきたからだった。


 事務所社長の三喜田は、アイドルをじっくりコツコツと気長に育成してから実力に見合った出番を用意してあげることが大事だと考えていた。


 しかし、副社長は三喜田の考えを強く否定していた。とにかく、事務所に所属するアイドル全員のメディア露出を増やして、知名度を上げる事こそが大事だと真反対な考えを持っていた。そして、万が一にも失敗したらアイドルを早々に切り捨て、次の人材を探す事でサイクルをどんどん回すことが肝心要だとも言っている。


 確かに、副社長の考えとして早めにアイドルとして成功するかどうか、見極め判断してあげる。もし、駄目そうだったならば早々に諦めさせて別の道を探してあげる、ということも大事だろうとは思う。


 アイドルの為にそういう考えがあって行動しているのなら、三喜田も副社長と議論の余地が有るだろうと感じることが出来たかもしれない。


 だが、三喜田は副社長の本質をよく理解していた。彼が金稼ぎにしか興味を持っておらず、アイドルという人材を駆使してどれだけ早く資金を回収するのかに熱中している、という事を。


 三喜田は副社長の考え方を危惧して、事務所の方針を明確に打ち出した。アイドルという人材を大事にしよう、事務所が手厚くサポートします、という事を。


 アイドルという人材を大切にしていかないと、芸能事務所として長く続けていく事は不可能だと、三喜田は先行きを考えていた。


 けれど困ったことに、アビリティズ事務所の中には副社長の意見に賛成する社員が一定数以上も存在していた。会社としては、お金を稼ぐことが一番に大事だと考える社員が。


 アビリティズ事務所を、大手と言われるまでに発展と成長をさせてくれたアイドルを見出したのが三喜田だった。だがしかし、ここ数年に関して言えば過去に出てきた偉大なアイドルとなる人材を三喜田は見いだせずにいる。


 かつてのような、鮮烈な仕事が出来ないでいるから社長としての影響力がドンドンと弱まっている、ということだった。


 そんな弱った状況をつけ入る隙だと思ったのか、副社長は社長の業務を妨害し邪魔することで更に力を弱めようと画策していた。


 アビリティズ事務所は、外から見れば大手と言えるような芸能事務所として非常に有名であったが、内部はこんな風に危うい情勢だった。



***



 その事に三喜田が気がついたのは、一ヶ月も経った時だった。日常的な社長としての仕事に加えて、色々な所から発生する嫌がらせによって肥大した業務量を処理するのに時間が掛かっていた。


 いつもなら、すぐにチェックするはずだった先日実施したアイドルオーディションの合格者の確認と、その後のレッスンの成果などを確かめようとした時だった。



「ない、ない? ないっ!?」


 三喜田が一番に注目していた筈の人物、赤井賢人という子供の名前、動向が載っていなかった。何度も書類をチェックし直してみたが、彼が望む名前は合格者リストに載っていなかった。


「め、恵美さん。ちょっと確認したいんだが……」

「はい、なんでしょう。社長」


 焦る気持ちを抑えながら社長秘書の中宮恵美あかみやめぐみに向かって、事実確認を行うようにとお願いする。祈るような気持ちで状況を知ろうとする三喜田。


「先月行ったアイドルオーディションの合格者は、このリストに載っている者たちで間違いはないか? 漏れは無いか?」

「ちょっと待ってください、ただいま確認します」


 三喜田から書類を受け取った恵美は、自らの目で内容を読んで確認した後に担当者に確認を取りに行った。


 あの書類に間違いがあってくれと、祈りの気持ちで顔の前に手指を組んで握った。そして、しばらくして戻ってきた恵美の言葉は願っていなかった答え。


「担当者に確認したところ書類に漏れは無いそうです。このリストに載っている人物にのみに、合格通知を送付したようです」


 恵美の事務能力は非常に優れていて、仕事に間違いもなく普段から非常に助けられている。だが、今回ほど間違ってくれと思った事は無いと三喜田は考えていた。その願いも虚しく、赤井賢人の名が合格者リストの中に無い、ということは事実だったと判明する。


「オーディションの最終審査の議事録の中には、赤井賢人という少年の名も合格者の中に加えられていたようです。どのタイミングかは不明ですが、いつの間にか合格者リストから外されていたようです」

「そうか」


 コレも副社長の妨害行為だとろうと三喜田は思った。まさか、こんな風にして嫌がらせをしてくるとは。しかも三喜田にとって今回の方法は、非常に致命的とも言える妨害行為だった。


 目をかけていた少年に、まだ合格通知を送付出来ていない。もしかしたら、不合格だと思ってウチの事務所に所属するのを諦めているかも。もしくは、他の芸能事務所のオーディションに既に応募しているか……。


 芸能事務所のオーディションでは合格した人だけに知らせて、不合格者に通知する事はあまり無い。アビリティズ事務所でも不合格に通知はしていない。これは応募者をキープするという目的もあって連絡しない、というのが業界での通例となっていた。


 だから、オーディション受験者も事務所から通知がなければ不合格だと判断して、本気で芸能界を目指すような子なんかは、急いで次のオーディションを受けに行く。


「いや、しかし。もしかしたら、まだ……」


 赤井賢人が合格者リストから漏れていたという事を確認できた時には、既に18時過ぎの業務終了時間。


 明日に回すべきか、こんな遅い時間に自宅を尋ねるのは無作法だろう。そう考える三喜田だったが、居ても立ってもいられない。本日中に自ら赴いて、合格の知らせをするべきだろうと考える。もしも他の事務所に行こうとしているのなら、説得をしてなんとしてでもウチに来てもらう。


 三喜田は普段のラフな格好から、スーツに着替える。説得の為に、せめて誠意ある格好をして向かわないと。


 あれ程の人材を手放すことになるのは、事務所にとっても大きなダメージだと言うのに内部抗争なんてしている場合じゃないだろうにと、三喜田は怒っていた。


 そして事実が発覚したその日の夜。赤井宅を訪問して、結果的に何とか赤井賢人のアビリティズ事務所への所属が決まった。予定よりも遅れたものの無事に契約する事が出来た。一安心する三喜田。


 ただ、今回の妨害工作については非常に重く受け止めないといけない。今後も更に過激になっていけば、事務所として致命的な失敗につながるだろう。それを阻止するためにも、何とかしなければならない。急務で何らかの対策が必要だと三喜田に考えさせる出来事となった。

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