第7話 訪問者
ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。一家団欒で夕食を食べ終わった頃という、家を訪ねるには少し遅めの時間。父親と母親が顔を見合わせて誰が来たんだろう、と言っているので予定に無い訪問客らしい。
「宅急便か、もしかしたら新聞の勧誘かな?」
よっこいしょと言って腰を上げた父親が玄関に向かう。一体なんだろうと妙に気になって、俺も少し離れて父親の後を追う。玄関の扉を開けて、確認しようとする父親から距離をとって廊下の影に隠れて後ろからひっそりと観察する。
「こんばんは。夜分に失礼いたします」
玄関の扉が開かれて現れたのはスーツ姿の中年男性だった。その後ろにスーツ姿のキャリアウーマン風女性もひとり立っている。両親のどちらかの関係者、仕事関係の人かな?
「こんばんは、どちら様でしょう?」
「突然お伺いさせていただきまして申し訳ありません。私、アビリティズ事務所代表取締役の
その言葉を聞いて思い出した。オーディションを受けている最中に見覚えのある、妙にラフな格好をしたあのおじさんだった。今日はスーツ姿でキッチリ正装しているから、今の状態と前の状態とで結びつけて思い出すのに時間がかかった。
というか、やっぱり社長というとんでもなく偉い人だったんだ。けれど、なぜこんな遅い夜の時間に家へやって来たのだろうかと疑問に思う。
「あぁ、そうだったんですか。ですがオーディションは不合格だったんじゃ」
「いえいえいえ、とんでもない! 賢人くんは合格だったんですよ。ただ、コチラの手違いで連絡が遅れてしまい、申し訳ありません」
父親の言葉に、慌てた様子で大きく声をかぶせて否定をする三喜田さん。あれ? オーディションは合格だったんだ。てっきりあれから連絡が来ていないから、不合格だったんだと思っていたけれど。
「そうだったんですか? とりあえず立ち話もなんですから、中に入ってお話を聞かせてもらえますか」
訪問者の正体を知って、父さんは彼らを家に招き入れた。リビングにあるテーブルへ案内して、父さん母さんが並んで椅子に座る。俺も話し合いの席に呼ばれて、両親に左右挟まれた位置で真ん中の椅子に座った。
向かいの席に三喜田さんと一緒に訪ねてきた女性が座っていた。オーディションに関する話し合いが行われる。
「改めて、本来ならオーディションから一週間以内に連絡する予定だったのですが、手違いがありまして今日まで連絡が遅れてしまいました。本当に申し訳ありません」
「あー、いえ。頭を上げて下さい」
わざわざ社長自ら家にやって来て、更に頭まで下げて謝罪している。連絡が遅れたってだけで、結構な大事になってしまっているようだ。父親も過剰すぎる謝罪に逆に恐縮してしまっている。
「賢人くんは類まれな素晴らしいアイドルになれる、そんな能力を有していると我々は確信しています。連絡が遅れてしまったのにこう言うのはなんですが、不合格なんてとんでもない人材ですよ」
「ウチの子が、そんなにですか」
「それで早速ですが、ぜひとも我が事務所の所属アイドルとして契約を結んでいただきたいのです」
三喜田さんがそう言うと、横に座っていた秘書と思われる女性がカバンから書類をスッと取り出しテーブルの上に置いた。タレント専属契約書というタイトルの付いている文書。父さんが手にとって内容を読み込んでいく。
「そちらの契約書に書かれている内容を簡単に説明すると、専属のタレントとなった場合に芸能事務所からはお仕事を引き受けることは基本的に駄目です、というような事ですね。それからお金に関してですが固定給に歩合給をプラスしたのを毎月の給料として、お支払させていただきたい」
父さんの横から書類を覗き込むと、固定給として月30万もの金額が給料として支払われるらしいと書かれているのがチラッと見えてしまった。思わず、うわッと声が漏れそうになるのを押し込める。子供にそんなに支払うの? しかも、それに合わせて更に歩合給分上がる余地が残っての金額だ。
父親が契約に関して気になった点について幾つも突っ込んで質問してくれている。その質問にスラスラスラと淀み無く答える三喜田さん。
「ご了承いただければ、コチラにサインを書いて頂けると」
しばらく応酬が続いた三喜田さんと両親とでの話し合いは一段落して、後は契約するのにサインするだけの状況になった。
「ここにサインするのは賢人の自由だ。どうしたい?」
「何も言わないで勝手にオーディションに応募してしまった私が言うのもなんだけれど、賢人のしたいように決めなさい」
契約のサインをするかどうか、最終判断は俺に任せられた。父さんと母さん二人が気遣わしげに聞いてくる。オーディションの結果は不合格だと思っていたので、次に向かって新しく夢を探すと言ってしまっていたから気を使ってくれているのだろう。このお話は断っても大丈夫だよ、と。
母さんの言葉を思い出す。色々な事に挑戦するべき、という言葉を。三度目の転生した人生で、もう十分色々なことを経験してきたと思っていたけれど、まだまだ全然知らない事だらけだし挑戦することを楽しみたい。だから、新しい世界に飛び込んでみようと思った。
「うん、大丈夫。サインするよ父さん母さん」
書類にサインをして、俺はアビリティズ事務所に所属するアイドルとなった。
「これから、よろしくおねがいします」
「あぁ、賢人くん歓迎するよ。宜しくおねがいします」
三喜田さんと握手を交わして契約を完了する。と言っても、まずはレッスンを受けてアイドルとして鍛える必要があるから、すぐに世間へお披露目という訳ではないとのこと。
そして三喜田さんは俺をソロデビューさせるのではなく、他にもアイドルメンバーを複数人集めて新しい男性アイドルユニットを組んでデビューさせようと目論んでいるらしい。
そんな構想を聞いた俺は、グループを組んで他にメンバーが集まってくるのなら、自分は引き立て役だとかサポート役に徹してグループを盛り上げていく。そんな存在になれれば良いかな、という感じて漠然と考えていた。
だがしかし、そんなプランはことごとく上手く行かなかった。
後に、国民的な人気アイドルグループとして有名になって、まさか自分がグループのリーダーを任される存在になるなんて、この時には想像もしていなかった。
更に、何故か平和な世界でありながら勇者としての人生を歩んでいた頃と比較してみても、あろうことか今世の方が波乱万丈と言えるようなドラマチックな一生を送るなんて事は予想していない事だった。
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