第11話
高い所にある穴から排出された水が滝のように落ち、大きな水音をこの空間に響かせる。
幸いだったのはこの水がキレイだったことか。
もしさっき見た汚水だったらと思うとぞっとする。精神が死んでたぞ。
現在、岸辺のようになっている場所で、マジックポーチから取り出した薪に火を灯し、地面に座りながら俺たちは暖を取っている。濡れた服を脱いだほうがいいのは分かるが、流石に出来ない。
俺一人ならば気にせず脱ぐんだが。或いは、同伴者が男ならば脱いでた。流石の俺も、女性の前で裸を晒すというほどの無神経ではないのだ。
同伴者に目を向ければ、体育座りで大人しく火を見つめている。いや、ただ視線を真っ直ぐ向けているのが正しいのか。
虚ろな瞳に映るのは暖かさを振り撒く炎のみ。生気と意思を感じさせることはない。濡れた髪が顔に張り付き、妙な色気を放つ。
俺と同時に落ちていたのはジェシカで、水面に落下しても上がってくることはなかったので、急いで引き揚げて今に至る。
レスターからの制御を外れたため、何もしてくることはなく、剣を抵抗もなく手放し、俺に手を引かれれば付いてくるだけの状態。
流石に濡れたままでは可哀想なので、マントを被せてこうして共に暖を取っているわけだ。
落ち着いて彼女を見ていると胸が締め付けられるように苦しくなる。やるせない気持ちでいっぱいだ。
状況が状況なだけに、ジェシカが本当に死んだという実感は薄い。けど、物言わぬ今の姿を見れば本当に死んでしまったのだと感じる。
レスターの薄情者という言葉は何の間違いもない。あいつから殴られても文句は言えない。
ジェシカが死んだことも知らず、呑気に騎士の爵位をもらったんだから。
さて、ところで彼女は今どんな状態なんだろうか。
コミュニケーションを試みようと声をかけても反応はない。肩を叩いても見向きもしない。
多分、何をしても反応しないと思われる。
なるほど、これは危うい。不埒な輩がいたら好き放題されてしまう。けしからん。
冗談はさておき、今のジェシカは生きた人形、或いは肉の人形と言えるな。不愉快なことに、何か指示されなければ動くことがないモノだ。
この世界に死者蘇生なんて都合のいいものはない。あってネクロマンサーの
実際、死んだジェシカを蘇らせたのならアンデットかと思ったが、息をしているし、脈もある。
心臓は流石に調べられないが、脈があるなら動いているとみて間違いない。
ならば、これはアンデットではなく、生きた人間の肉体ではないかと思う。
もちろん、専門家ではないし、残念なことに俺のおつむは性能が低いので断言出来ないけど。
今のジェシカは意識のない脱け殻の身体。
それを生きていると言っていいのか、それを議論するのは後にして、今、確かにジェシカは生きている。
故にそこから先へ進めないでいる。ジェシカを終わらせるということを。
死んでいるのか生きているのか分からないからか、情けないことに踏み切れない。
これではレスターのをことを言えない。レスターの葛藤が垣間見える気がする。
僅かな可能性にすがりたいという気持ちと、レスターのためを思えばここでジェシカを終わらせたほうがいいという考え。
思考の渦を回せど、何が正解かなど分からない。
「……考えても分からないなら考えないほうがいいか……」
多分、今の俺にまともな答えなど出せない。
これが赤の他人なら迷わず選ぶ。けど、彼女はジェシカだ。幼なじみで、数少ないカルダー村の生き残り。
俺は、非情に徹しきれるほどの覚悟はなく、正解を掴み取れるほどの力もない。
中途半端で凝り固まった俺の頭ではまず無理だろう。
「なぁ……どうしたらいいんだ?」
答えを求めて口に出すが、ジェシカはただ一点を見つめ続けるのみ。安易に答えを求めるなとでもいうのか。
それとも、或いは俺ではなく、ルーナやレスターならば、反応してくれるのだろうか。
ジェシカの事も思い至らず、のうのうと過ごしていた薄情者の俺などでは、彼女の関心を引けないというのか。
「……すまなかった……」
気づけば謝罪の言葉が口から漏れる。目からは一筋の涙。身体は震え、手を強く握り締めていた。
「……本当にすまなかった……俺がもっと上手くやれてれば……」
イフリムを囲った結界、俺はそれを破ることは出来なかった。やったのはキャスティ。彼女のおかげだ。
結局、非力な自分は奪われるだけ。
それが悔しくて、悲しい。
「……お前が残っていた可能性に気付かなくて……ごめん……」
瞳から滴る水の量は増えるのみ。最早意味のない自己満足の謝罪しか出てこない。
それでも、謝るしか出来ない。謝り続けるしか出来ないんだ。
「……俺……色んな事があって精一杯だったんだ……もう、頭がおかしくなりそうなほど色々あって……」
惨めな言い訳を呟き、下を見つめる。
「……なんでだ……なんで……」
繰り返してばかりの自問。答えの出ない自問など精神をすり減らすだけ。けれども、止まらない。
どうしたらよかったのだろう。どうやったらジェシカを、皆を守れたのだろう、と。
「……っ! ……ジェシカ……」
いつの間にかジェシカが俺の前にたっていた。まさかレスターに操られているのかと思い、立ち上がって身構えるも、ただそこに立ち尽くすだけだ。
相変わらず無表情で、感情の色を一切感じさせない。
偶然か、それとも何かあったのか。よく分からないが、襲ってこないだけましか。
だが、一体何故立ち上がったんだ? さっきまで自発的な事は何もしてなかったってのに。
「……どうし……っ!」
突然ジェシカが俺を抱き締めてきた。優しく、まるで慈しみを持つかのように、諭すかのように。
ジェシカの体温が服越しに伝わってきて暖かい。冷えた身体に優しい温もりが染みる。
ただ抱き締められている。それだけなのにとても安心出来てしまう。そして、涙が溢れて止まらない。
「……俺は……俺はとんでもないろくでなしだぞ……俺は……お前に優しくされる資格なんて……」
ジェシカを離れさせようと肩に手を置いて力を入れるが、思いの外力強く抱き締められていて、離れない。
意志がないというのに、何故ジェシカは俺を……。
『ふむ、なるほどの』
「おい、ここは夢じゃないぞ?」
暫くの間静寂が支配する。しかし、俺の感情を台無しにするように、非情に残念だが突然ウガルの声が聞こえた。どうやらストレスで幻聴を発病したようだな。
『結構自由に声をかけることが出来るぞ』
「うげぇぇ……」
『……反応悪…………あと、其方が思っていることは我に伝わるので別に言葉にせずともよい』
は? それは駄目だろ。プライバシーの侵害だ。おめおめ女の子も見てられないじゃないか。
例えばカタリナにクッコロしたいとかさ。
『ふむ、先程この者に不埒な妄想をしたりな』
おいざけんな。俺はそんな妄想してない。やめて、御願い。感動を台無しにしないで。
『安心せい。我もオス。其方と同じように妄想することもある』
いやいや、トカゲの発情事情なんて知りたくないし、一緒にして欲しくない。俺は有意義な妄想なんだからさ。
おい、想像しちまったじゃねぇか。ざけんな。
『……ほほ、中々によい……』
あ? 磨り潰すか? 人の想像で発情すんなよ。
『さて、馬鹿話しもほどほどに、この者、ジェシカを助ける方法ならば分かるぞ』
なんだと。それマジですか? 早く教えろくださりやがれ。
『心の葛藤に邪魔されて言葉がおかしくなっておるぞ。もう少し素直になるのだ』
やだね。お前に敬語とか絶対使わない。むしろお前が俺に敬語を使いやがれ。この寄生虫めが。
『……ふむ、助ける方法忘れたなー』
すんません、教えて下さい。御願いします。ウガル様。
『……その者は瘴気に魂を封じ込められているが故にあの状態だ。肉体の損傷を治しておいて、魂を封じ込めるのは奴等の常套手段よ』
へぇ。性格悪いんだな。
『その通りだ。魂が肉体に影響せぬのだから意志がなく、自発的な行動をせぬ。まぁ……何故か勝手に動いていたが……奴等アークス教はそうやって信者を縛る。従えば魂も戻してやると』
……やっぱそいうい手口なのか。邪教にすがり付くほど大切な人だ。そう言われたら従うしかないわけか。レスターのように。
『で、治療方法は簡単。魂を押さえ付けておる瘴気を消してやればよい』
本当に簡単そうに言ってるが、それって俺の炎で燃やしちまえって言ってるよな?
確かにそれは可能だろう。現に燃やしてるからさ。けど、それって、目隠しで的確に燃やせと言ってるようなもんだぞ?
やる方の身にもなってみろ。
『む? 燃やす対象を指定すればよいのではないか? 焼き別けは出来ておろう?』
出来るぞ。けど、間違って別のを燃やす可能性もあるだろ? 無闇矢鱈に燃やしてジェシカが死んだらどうするよ?
俺は多分、一生誰にも顔向け出来なくなる。
『……ここで慎重になるのか……まぁ……それはそうかもしれん。実際、その状態の者をアークス教の奴等以外で救いだした事例はないからの』
だったら確実に瘴気だけを燃やす手段を考えないとな。なぁ、老いぼれなりの知識で何かない?
『……敬いないよね…………魔力を感知出来る者。それがいれば或いは可能だろう。魂を閉じ込めるほどの濃度を持つ瘴気は魔力感知で分かるぞ』
うっし、ならそれでいこうか。誰か魔力感知を持ってる奴に協力してもらえればいいか。
『ならばキャスティに頼むといい。あやつの魔力感知はずば抜けておる。故にカーウェイ様の弟子となれたのだから』
…………へ? カーウェイの弟子? なんの話し? 痴ほう症?
『……おいおい説明する。それよりも、早く動いたほうがよいのではないか? 其方らは追われている身。悠長に構えていては、助かる物も助けられないぞ』
だな。気になるから後で教えろよ。取り敢えずジェシカを引っ張って連れてくしかない。
レスターと遭遇したら…………それはその時考えるか。なんとかなるっしょ。
急ぎたいのも山々だが、ジェシカが体調を崩しては不味いと思い、少しばかり暖を取ってから移動を始める。
手を引きながら走る俺達に会話はない。けど、何処か懐かしい空気を感じていた。
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