第9話

  ジェシカはとても明るい女の子だ。持ち前の明るさで、村では人気者。お転婆な所はあるが、村の皆はそんなジェシカを生暖かく見守っていた。


  容姿だって愛らしく、大人になれば多くの男性を魅了するだろうことは想像に容易い。


 実際、再会したときは見違えるほど美人になっていたし。


  正直、レスターに嫉妬しなかったと言えば嘘になるが、それ以上に二人が結ばれたことが嬉しかった。

  俺のよく知る幼なじみの二人が幸せとなった。その光景は、俺が掴めなかった幸せを叶えてくれたという嬉しさでいっぱいだったんだ。


  なのに、なんでこうなった。なんでこうなる。どうしてこんな結末になるんだよ。


  決してジェシカはこんな無表情を晒さない。ジェシカは常に感情豊かで、表情をころころ変えては皆を楽しませる。常に微笑みを浮かべ、皆を暖めてくれる。


  だが、今のジェシカは無表情。凍り付いたかのように何もない。冷たい瞳にはただ俺とレスターが映っていた。


「……今のジェシカは器だけだ……魂はまだ戻っていないんだよ……お前を引き渡せば……ジェシカの魂も戻してもらえる……だから……死んでくれよ……俺達……幼なじみなんだからさ…………」


  レスターの言葉が綺麗に耳を通って脳に響く。確かに、今のジェシカはまるで死人のようだ。

  死人が無理矢理動いて俺に剣を突き立てている。そんな印象を受ける。


  合点がいった。レスターがアークスに与する理由が。


  全てはジェシカのため。ジェシカを助けるため、アークス教に入信し、ジェシカを甦らせてもらったんだろう。

  アークス教の奇跡は死者を甦らせる。あの噂は本当だったんだな。なるほど、入信する者が多いのは納得する。


  もし、ルーナを助けてくれるというなら、俺も…………。


  黒い炎に包まれるカルダー村。焼け焦げた両親。爆炎に焼かれた村の皆。無惨に死んだバッシュ。妊婦がことごとく死んだイフリム。

  俺を庇い、剣に貫かれたルーナ。


  駄目だ。俺はアークス教を否定する。奴らが起こす奇跡に頼らない。


  そして、俺にとって、アークス教は頼るべき場所ではなく、滅ぼすべき対象でしかないのだから。


「……ぐっ……あぁぁ!」


  上半身を前に傾け、無理矢理剣を引き抜く。強烈な痛みを伴うが、刺さったままではなんともならない。

  叫び声をあげながら剣を引き抜き、その場を離れる。


  大量の血が胸から溢れ、身体の中にも溜まっているようで、不快感に顔をしかめてしまう。


「抵抗するのは苦しいだけだよ。大人しく楽になったほうがいい」


  レスターの言葉が耳に届く。しかし、耳を素通りするかのように意味を理解できない。

  痛みから、まともに思考出来ず、足がふらつく。かなり危険な状態だ。


  ポーチからポーションを取り出し、飲み込もうと思ってやめる。勢いよく口から吐血したから。

  どうやら肺に血が回ったようで、咳き込んでしまう。ポーションを飲み込むのは不可能のようだ。


  ならばと胸にポーションをかけるが、この傷は貫通している。背中にもかけねばいけない。

  けど、無理そうだ。意識が遠退く。姿勢を保てない。前に倒れ……。



____________________



『ふむ……相変わらず死にそうになっておるし、瘴気に思考が汚染されとるぞ』


「……てめぇは……ウガルか……」


  白い空間にまた俺はいた。

  胸の痛みはなく、出血の後もない。息苦しさも消え去り、血を吐き出す衝動もなくなっている。


『こらこら、何を嫌そうな顔をしておる。まったく、失礼な奴だ』


「うるせぇ。俺は死にそうなんだよ。最後に見た顔がてめぇなのは無念で仕方ねぇ」


『随分な言いぐさ……まぁ、その言葉は忘れよう。喜べ、ようやく我が馴染んだぞ』


「は?  それが俺になんの関係がある?  寝惚けたこと言ってんなよ、トカゲ」


『ほんと、失礼過ぎるのう……其方に大いに関係あるわ。何せ、我の力の一部が使えるようになるのだからな』


「……で?」


  こいつは一体何を言いたい?  もう死ぬ寸前の俺にお前の力が使えようとも、目が覚めればくたばる結末は変わらんだろう。

  あれか?  超パワーのおかげで助かりましたってご都合展開でもあるのか?  だったら無条件で掴みとるぞ?


『反応うっすいのぉ……ま、そんな反応するとは薄々思っておったがの。少しくらい喜んでもよいのだぞ?』


「……いやいや、勝手に変なことされて喜べるほどお気楽じゃない。自分の身体を知らない内になんかされてたら嫌だろ?」


『……まぁ……そうだの……うむ、難しく考えるのは後にしたらいいのだ。悩み過ぎたら老いるぞ。かっかっかっ!』


「……お前……そんな性格なのか?  前会った時はもう少し落ち着いたイメージがあったんだけど……」


  ありもしない威厳を頑張って出そうとしてた気がする。今はこう、ファンシーな感じだな。

  明るくなったように思う。


  いや、前も威厳はなかったな。俺にびびってたし。


『……記憶の追体験は性格に影響を及ぼすということだの。気にするな』


「いやいやいや、誰の?  誰の記憶追体験してんの?  勝手に記憶見られるとか、プライバシー侵害も甚だしいよ?」


  前も確か記憶を見てたって言ってたけど、流石に許容できん。やっぱここで締めたほうがいいな。


『こら!  その目はなんだ!  また我を潰す気か!  やめぃ!  にじり寄るな!  その手を下ろせ!』


「…………はぁ……で、説明」


『其方……我に対して辛辣すぎぬか?』


「当然でしょ?  勝手に人の中に入り込んできた寄生虫だぞ?」


『……もうよい…………端的に話せば竜継りゅうけいの儀が完了したということだ』


「……へ?」


  おいおい。また訳の分からんことをのたまい始めやがった。なんだ、竜継の儀ってよ。

  不穏な匂いがプンプンする。すんげぇ臭ってきやがる。


『古くから、高位の竜の生き血は病を癒すと言われている。実際は滋養強壮に効果があるんだが。しかし、竜の心臓から溢れる生き血。これだけは違う。心臓の生き血を啜った者はその竜の力を継ぐのだ』


「……はぁ……けど、俺は血なんて飲んだ…………あ……」


『思い出したか?』


  ウガルの中に入り、心臓を滅多刺しにしてたとき、俺の口に血が入ってきた。そんでもって、吐き出す時間すら惜しいと飲み込んでいたな。

  あん時は必死だったから気にも止めなかった。もしかして、それが原因でこの寄生虫が入り込んできたのか?


  やっぱ加熱処理は大事なんだな。今後は気を付けよう。


『条件は整い。其方には竜の力の一部が授かった』


「……もし……もしお前の言葉を信じたとして……どんな力が俺に?  一部と言われても分からん」


『まず膨大な魔力。竜の膨大な魔力だな。魔力炉心と言ってもよい』


「……魔力炉心って……これまたヤバげな……」


『あとは身体能力の強化。以前とは比べものにならないほど、ステータスが上昇しておるはずだ』


「へぇ……」


『最後に竜化かの。魔力を消費して竜の肉体を鎧のように身体の表面に出せる。とはいえ、質量をいきなり増やせぬから我の様に大きくはなれんがな』


「……ほう」


  聞くだけなら恩恵が素晴らしい。伝え聞く英雄譚の中で、大英雄ヘクトスが得たという竜の力ってのは、恐らくはこのことなんだろう。

  勿論、邪魔者もいるのだが、非力な俺にとってはとても有難い。


「で、お前はどうやったら消せる?」


『其方、我を嫌いだろう?』


「当たり前じゃん。お前がしたことを考えれば、友好的に接する理由が一切ない」


  王都を燃やし、俺達を殺そうと襲いかかってきた相手。そいつが明るい声でフレンドリーに話し掛けてきても、心の狭い俺は友好的になれん。


「それに、マスコットキャラを狙ってるかのように子竜の姿で現れる奴は、あざとうざすぎて気に入らない」


『……え?  そこ?  我を嫌う理由はそこなのか?  この姿は仕方ないんだが……其方の中では元の姿になれんのだ』


「うっせぇ。可愛くねぇぞ」


『え、そう?』


「取り敢えずお前の説明は分かったから。消せないのもな。それで、どうやって竜化とやらを使えばいい?」


  使えても、使いかたが分からないのでは意味がない。妙な落とし穴に嵌まって命を散らすなんて、一番笑えないおちだ。


『最早其方の身体の一部となっておる。故に使い方は無意識に理解しておるから安心せい』


「ご都合主義ありがとうございます」


『……投げやり……其方、気が立っておるな……あのレスターとやらか?  ……あれは瘴気に汚染されておる。正常な思考を奪われておるのだ。先程の其方のようにな』


「……あぁ……確かにさっきの俺はおかしかったな」


なんていうんだろ、全部が気に入らないっていうのか、何もかもが悪いって気持ちになってた。

そんでもって、妙に気分が昂揚したんだよな。


『瘴気は思考を歪め、感情を歪め、最後には肉体すら歪める。其方は何度もそれを経験しておるだろう』


「……瘴気ねぇ……」


  その瘴気の正体が明確に分かっていない。あの黒いモヤというか、霧みたいなのがそうなんだろうけど。

  駄目だ。下手に追及すると頭がパンクする。


『とはいえ、其方の魔法ならば瘴気に対抗しうるがな』


「……魔法?  なんの話し?」


『ぬ?  其方が扱っておる白い炎は魔法だぞ?  知らぬのに使っておったのか?』

「便利だったからな」


『……その力を我は必死に追い求めておったというに……其方は内に眠っていた神性を引き出した。その光る黄色い目が証だ。故に魔法を使えるように……』


「あぁ!  もういい!  これ以上新しい情報が入って来たら頭痛が痛くなる」


  俺のちっさな脳ミソでは情報を処理しきれん。このゴタゴタで頭がごちゃごちゃしてるんだ。これ以上かき回されたくない。


『……狙ったのか?  ……まぁよい。気を付けるのだぞ。其方、染まりかけておったからな』


「っ…………分かった」


  自覚はあった。途中から自分がおかしくなっていたことは。けど、止められなかったんだ。

  感情が濁流のように溢れ、抵抗すらせずに流されていた。


  レスターの言葉が起爆剤になったのは確かだが、それを抑制出来なかったのは俺の弱さだ。

  もし、ジェシカが現れず、あのまま殴っていたら……。


『竜の生命力も継いでおるから、戻ってもあの程度で死にはせぬ。だが、感情に呑まれるな。其方は汚染されやすいうえ、瘴気を増幅させやすい。一気に瘴気に染め上げられるぞ』


「忠告有難うよ。取り敢えずやれるだけやってみる」


  意識が浮かび上がる感覚。眠りから覚めるように、徐々に切り替わっていく。

  それと同時に、背中の痛みをじくじくと感じ始め、不快な感覚が肺に現れていく。


  目が覚めれば、俺は倒れ初めている場面だった。


 

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