その8

 文集に応募する原稿を提出する期限の日の前に、先生に内容を確認して貰った。もう、原型の小説部分はほとんど無いけど、私のものは原作の文章までも使用してしまっていたのだから。


「これなら問題ないわよ。お金を取るわけでもないから」


 先生に太鼓判を押してもらってホッとしたけど、「今度は書き始める前に確認しに来てね」と釘を刺された。確かに。

 コンクールとかだったら手遅れになるのだから、事前に聞く癖をつけなければいけない。小説が仕事になった今でも、これは基本中の基本であり、一番大事なことだ。先生の釘には今でも感謝している。


「それにしても、まさか乙木さんが応募するなんて正直驚いたわ」

「どうしてですか?」


 先生の言っている意味が正直よく分からなかった。そして聞くと、一年生で応募するのは私だけらしい。


「え! でも、みんな夏休み前に書いてましたよ!」

「まぁ、毎年こんな感じだから、みんな優しいのよ」


 どう言う意味?

 私は優しくないの?



「まぁ、途中までは書いたけど……てか、三年生のこと考えると……ね」


 部活の時に尋ねると、みんな、そう言って目配せをし始めた。


「どう言う意味?」

「三年の先輩って十人だから、もし私たちのせいで誰かが漏れたらって考えると……ねぇ」


 そう言われて、ハッとした。

 三年生の先輩にとってはこれが最後の文化祭で、多分、この文集は卒業してからも思い出になるのだ。

 万が一、先輩の誰かの作品が漏れてしまったら……自分の作品に自信が出て来た矢先に、文集に載れなかった先輩の悲しさをリアルに想像してしまった。作品に夢中でそう言う事をちっとも考えていなかった。


 二年生の先輩にも聞いてみたら、同じ理由で辞退する人がほとんどらしい。それが余計に「私は取り返しのつかない事をしているんじゃ?」と不安に駆られた。


「でも……暗黙の了解みたいなものらしいから……そんな思い詰めなくても大丈夫だよ」


 と、先輩は目を逸らして言っていた。


 私が三年生の時、私の作品だけが載っていなくても、橋本さんの作品だけが無くても、それはやっぱり寂しくて一生、その子に気を使うかも。そして、無神経に割り込んできた一年生の事を卒業しても恨むかもしれない。


「マユちゃん、なんで言ってくれなかったの!」


 私は強い口調で橋本さんを問い詰めた。正直、一緒に出すものだと思っていたので、この時、橋本さんの事を本当に怒っていた。


「だってサクラ、凄い張り切ってたし、水をさしたら悪いかなって、みんなで言ってたの」


 一瞬、カッとなったけど。

 確かに。頭からアイデアが溢れ出て来ていた、あの時に急ブレーキをかけられていたら「なんでそんな事するの!」と、今よりももっと橋本さんのことを怒っていたと思う。


「それに、みんな、本当にサクラの作品、良いって思ってたから。だから……」


 再三、相談に乗ってもらっておいて、部活の仲間を自分勝手に怒鳴ってしまった事を恥じた。


「でも、どうしよう。もし通っちゃったら……」


 一番丸く収まるのは、私が落選することだけど。あんな一生懸命書いたものが落選するところは正直見たくない。と言うか、落選するなんて考えられない。


「今回は……諦め、ようかな」

「え、出すの止めるの?」


 橋本さんに聞かれ、うんと頷いた。


「マユちゃんとか、みんなに褒めてもらえたし。私としては、ちゃんと物語を完結できた事で満足したし……先輩たちもみんな一緒に載りたいよね」


 そう言うと、橋本さんの表情が明るくなった気がした。口には出さないけど、彼女も心配していたのかと思ったら、応募を止めるのが正解だと納得した。


 でも、二次創作である以上、コンクールなどには応募できないので、この作品は日の目を見る事なく終わる事になると想像したら、少し寂しく感じた。


──文集、楽しみにしてるね──


 アナタの言葉の意味、その時は私には全く分からなかった。「見せてって言われたら、原稿を見せればいいや」くらいにしか思っていなかった。


 私は、浅はかだった。


 私は、28歳になった今でも後悔している。アナタの言葉をあの日、通り過ぎって行った風と同じにしか思っていなかったことを。


 結局、三年生は十名、そして二年生からも三名、文集に採用されていた。辞退しなくても良かったと分かるのはそれから二週間後のこと。


──私は、サクラと出会った時の桜を思い出すの──


 今の私にはその言葉の重みも意味もわかる。

 

 でも、この時の私はただの馬鹿だった。

 軽率な行動で、大切な人の心を踏みにじっていた事にすら気付かず、呑気に日々を過ごしていた。



 文化祭当日。

 文芸部の部室には、今年作った先輩たちの文集と、去年とか卒業していった先輩たちが過去に作った文集も並べられていた。

 文化祭の二日間、文芸部の部室には卒業生の先輩らが集まり、同窓会のような感じで盛り上がっていた。

 私たちも、売り子として文集を配ったり、休憩の時間は卒業生の先輩の作品をみんなで読みながら、あーだこーだ言い合った。


 そんな楽しい時間に急に穴が空いたみたいに、教室が突然静まりかえった。

 私が「?」と読んでいた文集から顔を上げると、アナタが文集を持って立っていた。


「どう言う事?」

「え?」


 アナタは私の前に文集を叩きつけ、目次の項を開いた。


「なんで、名前がないの?」

「ああ……ごめん。実は直前で応募するの止めたから」

「は?」


 その時の顔、いつも笑顔だったアナタが初めて私に見せた獣のような表情。恐ろしくて私は固まって声が出なくなった。本当にどうしてしまったのかが分からない。


 私とアナタと同じクラスの文芸部員が止めに入ったくれたけど、アナタの怒りは収まる様子はなかった。


「アナタ言ったじゃん、自信があるって! 私、楽しみにしてるって言ったよね?」

「でも……」


 理由を言おうとしたけど、驚いた顔でこっちを見ている先輩たちが見えた。

 辞退した理由は、まるで先輩を上から目線で見ているようだったから、私は俯いてだんまりしてしまった。


「文集に載るのは十人ぐらいだから、自分が応募したら落ちた先輩が悲しむとでも思ったの?」


 思わず顔を上げた。


「なんで?」

「どいつもコイツも、そう言ってたからよ!」

「違う!」

「何が! プロになりたいなら、周りの人の事ばかり気にして遠慮しててなれるわけないじゃん!」


 と、アナタが言った途端、私たちの間に影が入って来た。


「四季さん、止めてよ。サクラだって色々悩んでたんだから」


 橋本さんがアナタのことを宥めていた。


「橋本さんは関係ないでしょ。ちょっと黙ってて」

「関係ないのは、アナタでしょ。ここ文芸部だよ。見たいなら、サクラに頼んで見せてもらえば良いじゃん」


 橋本さんは助け舟を出すつもりでそう言ってくれた。


「ねぇ、サクラ。原稿は残ってるでしょ」

「う、うん……あ、明日、持ってくるから」

「そう言う意味じゃないのよ!」


 アナタの怒りは収まるどころか、むしろ、火に油を注いだ様に余計にイライラし始めていた。

 後ろの先輩たちも「やばいよ」と立ち上がって先生を呼びに行こうとしていた。


「じゃあ、どうすればいいの? 原稿が読みたいんでしょ? 見せるって言ってるのに怒って、意味がわからないじゃない」


 私よりも今度は橋本さんがアナタと言い合いになってしまった。


「違うの……そうじゃないの!」


 その場で地団駄を踏むアナタ。

 今までのアナタの私への行動。馬鹿な私にも、アナタが何を怒っているのかが、薄々わかって来た。


「そうじゃないって、何が! 言ってる意味が無茶苦茶だよ、アナタ」

「ちょっと、橋本さんは黙っててよ!」

「黙ってられないわよ。サクラは、私の親友なの」

「えっ」


 橋本さんがそう言った途端、アナタは突然、電池が切れたみたいに静かになった。


「アナタ、なんなの! サクラとそんなに仲がいいわけでも無いのに。確かに、サクラを紹介してくれたのはアナタだけど、いきなり現れて怒り出すとか、ちょっと普通じゃ無いよ」


 アナタは橋本さんにそう言われ、俯いてしまった。座っていた私にはアナタの唇が小さく動くのが見えた。


──また、これかよ──


 私は重い口を動かして、なんとか場を収めようとした。


「私が文集に応募しなかったのは……あの後、読み返したら、やっぱり作品に全然自信が持てなくなったから……どうせ、応募しても先輩に勝てないと思ったから……尻込みしちゃったからです」


 私はそう言って、「ごめんなさい」とアナタに頭を下げた。

 とにかく、この場を何とかしようと、心にも無い事でも良いから、取り繕って謝る何とかなると……馬鹿な私は本気で思っていて、これが正しいと勘違いしていた。


「心にも無いこと言うな」


 アナタは怒りは、全然、収まっていない。一番怒っている時のお母さんと同じ、穏やかな青い炎の様に怒っていて、アナタの瞳が涙で溢れていた。


「もういい」


 すごく弱々しい声で言った。


「もう、邪魔もしないし、アナタ達には近付かないから。お邪魔しました。ごめんなさい」


 心底誰かに失望した人間の声はとても優しい。でもその優しさが一生、心を締め付けてくる。優しいとは、心の鍵を完全に閉ざした合図だと、私は初めて思い知らされた。


「やっぱり、アナタは乙木サクラじゃない」


 アナタに完全に嫌われたのだと分かった。


 そして、大切なものを知らないうちに私は失っていて、それに気づくのは半年も経った後だ。



 私の小説の新刊が出るたびに、橋本さんも文芸部員の友達は未だに連絡をくれるし、お母さんも感想を言ってくれる。


 でも、私の小説は永遠にアナタには届かない。


 たとえ称賛の声が一億人分集まったとしても埋められない大きな穴が、この時、私の心には空いていた。


 親友でも、友達ですらないアナタが、私にとって一番大切な人だったのに気付くのは、次の桜の蕾が開く春になってからのことだ。























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る