その7

 夏休みの間、朝から晩まで執筆に費やした。出校日に学校へ行くと、私だけ日焼けしていないのが、なんだか恥ずかしかった。

 夏の楽しみと引き換えに、私的には納得の行く執筆の手応えを感じていた。どこにも行ってないけど、私の中では充実感のある夏休みになった。


 出校日の帰りに橋本さんに家に来てもらって、まだ途中の原稿を読んでもらった。


「すごいよかった。なんかサクラの汁がドバドバ出てる感じするよ、これ」

「いや、意味わかんない」


 なんだかよく分からない感想だったけど。橋本さんは興奮した口調で捲し立てるように良かった所を言ってくれた。正直、こんなに自分の作品で興奮している人を見るのは生まれて初めてだった。

 メールで添付して他の子にも読んでもらったら「先輩たちにも勝てるかも」と言ってくれる子がいたので、私は自信をつけ、残りの部分の執筆に入ることができた。


 ただ、問題がある。


「でもこれ、出だしはあの小説のまんまなんだよねぇ」

「いいんじゃない? 二次創作でも良いって先生言ってたし」

「いや、これ、二次創作っていうか……パクリだからなぁ」

「そうか」


 キャラを拝借して、オリジナルのストーリーを作る二次創作と違い、私の場合はアレンジなのだ。

 この、出だしの部分を変更しないと、流石に先生にも怒られるのではないか?


 しかし、そんな悩みは杞憂だった。


 夏休みまでで初稿を完成させ、二学期が始まったと同時に推敲に入った。すると、「ここはこうしたい」「あそこはもっと」と次々と出てくるアイデアを抑えることができず、小説が生き物みたいに毎日毎日みるみる姿を変えて行き、提出する頃には一ヶ月前とは全然違う話が出来上がっていた。

 だけど、なんとなく言いたい事は前よりもはっきりと形になっているような気がした。なんか、自分でも強い芯みたいな何かを感じた。 

 もちろん、最初の部分もアイデアを重ねて手直しが加わる、もう原型を留めていない形になり、橋本さんも他のみんなも絶賛してくれた。


 文化祭まで一ヶ月。私は自分の作品が掲載された文集を想像しながら、帰り道に柄にもなく鼻歌を歌っていた。


「あっ」


 完全に葉桜になっている桜並木を歩いているとベンチに座っているアナタがいた。浮かれている私とは対照的にアナタは……寂しそうに遠くを眺めていた。


「四季、さん」


 アナタはこっちを見たけど、私の口から出た声のトーンは、アナタに話し掛けるそれではなかった。

 私には目の前にいるアナタが凄く遠くにいるように見えた。まるで、この世界に生きていないような、寂しい遠い表情をしていたので、思わず声が漏れてしまったのだ。


 アナタは、こっちを見てニコッと笑った。いつもと違って無理に作り笑いをしているのが、私にもわかった。


 アナタと話すのが凄く久しぶりなことに気付いた。


「初めてだね。アナタの方から声をかけてくれたの」


 やっぱり、私と距離を取ろうとしている。


「そうだっけ?」

「何か、良いことあったの?」

「なんで、分かるの?」

「嬉しそうだから」


 どこを見て、そう言ってるんだろう?


「小説……とは呼べないかもだけど、文化祭に出す文集に載せてもらえるかもって、思ってて」

「そうなんだ。乙木さんもやっと小説の魅了がわかって来たかぁ」

「なんで、師匠みたいに言うの?」

「だって、私が乙木さんに小説を書くように指南したんだからね」

「本を水溜りに落としただけでしょ」


 アナタはクスクスと笑い出した。振る舞いは四月の時と変わりないのに、呼び方が「乙木さん」に変わっているのが、私は少しショックだった。


 私、アナタに何かをしただろうか?


「……ここで何してたの?」

「桜を見てたの」

「十月だよ、今」

「馬鹿じゃないんですけど」


 アナタは上を見上げた。葉桜になった十月の桜の木が、風でサーッと音をたてた。日がくれると少し肌寒く感じるようになって来た。


「ピンクの花びらが満開に咲いた桜を想像してたの」

「満開。四月の」


 アナタは私の隣で目を瞑った。

 私もアナタの真似をして、葉桜を見上げて、ピンク色の桜を想像してみた。


 次に桜が咲く時は、もう二年生かぁ。ついこの前、入学したと思ってたら、早いなぁ。


「今、アナタが想像した桜って、いつの桜?」


 突然、アナタに尋ねられ、私はハッと我に帰った。


「え、いつって? どういうこと?」

「過去の桜、それとも未来の桜?」


 アナタにそう言われ、意味も分からず考えた。想像したのは来年の桜だから……


「未来、かなぁ」


 そう答えるとアナタは「ふーん」とだけ言った。


「私は、過去の桜をいつも思い浮かべるの」

「過去?」

「今年の桜」


 私の頭にアナタと初めて話した時に咲いていた桜が過った。


「サクラと出会った時の桜」


 「サクラ」という名前に、私はドキッとした。だけど、アナタが呟いた名前は私じゃなかった、アナタは遠くを見て、この場所にいない子を呼ぶ様に言ったから。


 さっきと同じ表情をしたアナタの横顔。


「サクラって……親友の?」


 私はそう言って、ベンチの下を指差した。


「見たんだ」


 ぎくっ。


「ああ……」

「見たのね」

「ごめんなさい。凄い前に」

「そう」


 その時、私はおかしい事に気付いた。


「あれ? でも親友の子と出会ったのが今年の四月って……」

「おかしくないよ。サクラと初めて話したのは、今年の四月の、この桜並木だった」

「え、でも、なら、会えないって、もしかして……」


 私はその後は失礼になるので口籠ってしまった。


「死んでないよ、サクラは。今も生きてるし、アナタと違って、小説家になるために毎日、努力してるよ」

「なら、どうして会えないの? 連絡もできないって。小説家を目指してるなら、日本にいるはずじゃ」


 そう言うとアナタは突然俯いてしまった。


「私ね」


 黒い滴が水面に落ちた様な声だった。

 今まで、私の前で演じていた明るいアナタが一瞬でサッと消えた。気付いたら、あたりは日も落ちて、古い街灯がゆっくりと点灯した。


「ループしてるんだ」

「……ループ?」

「同じ時間を何度も何度も繰り返してるの」


 アナタはそう言って、ベンチから立ち上がった。


「だから、今年の桜しか覚えてない。どれだけ想像しても、未来の桜が想像できないの」


 アナタは「冗談だよ」と笑うこともなかった。それどころか、私の反応を伺うために振り返ることすらしなかった。

 春先のあのウザいくらいに私に絡みついて来たのが嘘のように、あっさりと私の前から去って行こうとしていた。


「文化祭」

「え?」

「楽しみにしてる。アナタの小説」

「いや。まだ、載るかどうか、分からないんだけど……」

「載るよ。きっと」


 そう言うと、アナタはあの作られた笑みで私の方をやっと振り返った。


「ありがとう」

「ありがとうって、私、何もしてないよ」

「久しぶりに未来が待ち遠しくなったから。乙木さんの文集、絶対読むから」


 アナタはそう言って「じゃ」と去って行った。

 残った私は寒さを少し我慢しながら、一人でまた上にある葉桜を見上げた。過去と未来どっちの桜……そんなこと考えた事もなかった。


── 私ね。ループしてるんだ──


 なんて言えばいいのか、言葉が出てこなかった。


 そんな馬鹿げた冗談が、何故か冗談に聞こえなかったから。


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