32 神々は不可解で残酷な遊戯を好む

「そんなこと……!」と感情的に椅子から飛び降りたものの、有り得ないとの否定を続けられず立ち尽くした。

 声が出ない。はっと短い息が洩れただけの唇が痙攣する。喉がひりつき、眩暈を感じた。


「オレ達の世界で言う人柱神様と、お嬢さんの言う作者神様は別。けれど同等の立場で互いに同じように茶会世界主催管理していたら……」


 シャルルマーニュの推測は、ツタが絡むようにアリスの脳髄に巻き付いた。


「オレ達とお嬢さんの、互いの神の認識が噛み合わないのも辻褄が合うのでは?」


 シャルルマーニュの発想はとても腑に落ちる。水が流れ込むようにアリスの身に抵抗なく染み込んでくる。

 有り得ないとアリスが信じたいだけであって、有り得ないことはない。

 いままで別の神様作者がいるという発想がなかったのでそういう考えができなかったが、万が一、万が一にも神様作者が複数存在していた場合、有り得ない話ではない。

 神様作者はアリス達のことをなんでも知っているが、アリス達は神様作者についてなんでもは知らない。

 アリス達にとって神様作者とは自分達の物語を管理し、観察し、楽しむ者であり、気まぐれで飽き性で退屈嫌いな気分屋。

 言ってしまえば、アリス達は神様作者についてそれしか知らないのだ。


「そ、んな……まさか。いえ、しかし……でも」


 アリスは祈る思いで懸命に否定と拒絶の言葉を探す。けれども、どんなに頭を捻ろうが呻こうが残念ながら発見することはできなかった。心臓がうるさい。冷や汗が滲む。


「…………」


 震える手を誤魔化すようにアリスは落ちた肩紐を握り締めて。


「それなら……確かに色々とあいますわ」と、納得した。

 奥歯を噛み締め、納得するしかない。

 シャルルマーニュの言う通りならばナレーションがいないのも、案内がないのも、アリス達がこの世界についてまったく覚えがないのも、こちらの住人が誰もアリス達に微塵も覚えがないことも、いままでのなにもかもの不可解な出来事について理解ができてしまう。


「ああああっなんてことですの! 他の方にまでご迷惑をかけるなんて!」


 アリスは小さな頭を抱えて振り乱す。


「ジリリー。オレ達の世界の人柱が仕組んだことかもしれませんよ?」

「いいえ! 絶対にわたし達の神様作者が仕組んだことですわ! いつも、いつもこうやってなんでもかんでもひっちゃかめっちゃかになさるのです! それに、この世界の神様人柱は安寧を願うと言ったのはシャルルマーニュおじさまですわよ!」

「リンゴーン。そうでした」

「ああっ! もう! もう! なにをお考えで……っ! いえ、そうよね。どう退屈しのぎをするかしか考えない方だわ……でも、それでも!」


 アリスはダンッ! と床を靴底で強く殴った。


「迷惑を考えてくださいましー!」


 アリスの叫び声は店内に反響して反響して反響して、消えた。

 どこからも、誰からも、返事は返ってこない。

 肩で息をするアリスをシャルルマーニュは飾り棚に体重を軽く預けながらはにかんで眺め、ローランは眉間の皺を濃くした状態で斜め上を仰ぎながら腕を組んでいた。


「オレ達からすれば、神同士がなにをしようとこちらに被害がないのならどうでも良いのですが。お嬢さん達には不都合が起こるのですか?」

「いいえ。これと言ってありませんわ。どうなろうとも、わたし達の目的は『めでたしめでたし』を迎えることですもの。……ただ」

「ただ?」

「ついに、他の方まで巻き込んだかと思うと心の痛みが……っうう……」


 あまりの申し訳なさにアリスは目尻が熱くなった。

 いくらなんでも他人のテーブルに自分の混ぜ合わせたオリジナルブレンドティーを置くなど、どうかしている。テーブルの持ち主に許可をされているのなら良いが、神様作者が許可を取るような性分とは思えない。むしろ無許可で勝手にやらかしている可能性だって考えられる。もしくは相当な我儘を言ったのかもしれない。

 アリスは神様人柱に罪悪感すら抱いた。


「神同士の事情なンざ私にゃ分かンねェわ」


 胸を痛めているアリスの耳にローランの神妙な声が滑り込む。


「いま必要な認識と覚悟は異世界パラレルワールドからの転生者トラベラーが実在してるつーことだわ」


 ローランは左耳の下で結う癖っ毛を落ち着きない手付きでグシャグシャと揉んだ。


「本当に人柱がこの子やあの子を他所からこの世界に転移させたンなら、そりゃこの子らが神と関わりがあるつーわけで……その話が公に出回っちまったら」

「危険でしょうね」


 渋い顔のローランにシャルルマーニュがさらりと言った。


「神たる人柱に楯突こうとする輩がいるのも事実です」


 シャルルマーニュがアリスのほうを意識しながら口を動かす。どうやらローランに答えながらもついでにこの世界のことを知らないアリスへと説明をしてくれているようだ。


「先も言った通り。人柱は人間が強すぎる魔力を得ることを嫌うのです。教団が悪魔憑きに気を張るのも、それが理由。悪魔憑きは契約した悪魔の力を駆使できてしまいます。つまり魔鉱物ジェムなしにその悪魔の有する属性を使えてしまうのです。それは人が膨大な力を得る行為であり、神の機嫌を損ねる行為――禁忌です。放っておいて第三の大洪水でも起こされてしまったら、今度こそ人類はどうなるか分かりません」


 ローランは飾り棚から身を離す。背筋を伸ばすとアリスから拐ったティーカップを持って、戻ってきた。


「この世界には人柱を引きずり落とそうと自ら悪魔と契約する不敬な輩がいるのですよ。人柱と関わりがあるかもしれない……しかも他の世界の神をも知る異世界パラレルワールドからの転生者トラベラーの存在がそんな輩に知られれば」


 アリスの眼前にずい、っとティーカップが押し付けられる。


「どうなるか……ね?」


 シャルルマーニュの微笑みは心配させないために向けられているようには見えなかった。

 彼の笑顔が求めているのは、騒乱。

 アリスはシャルルマーニュの孕む狂気に気が付いた。

 同時に彼になにをされても、なぜか彼を嫌いになれない理由が判明した。

 シャルルマーニュは不思議の国の住人に似ているのだ。

 自分の感情のままに動く人。感情を優先する人。どこかズレている人。

 シャルルマーニュは、きっといかれている。

 向けられるその狂い方はアリスにとっては懐かしく、心地良い。


「気を付けますわ」


 アリスはティーカップを受け取った。


「お嬢さんであればそこらの悪魔憑き程度なら余裕で対処ができそうですけどね」

「ええ。おじさま程度の相手でしたら」

「ジリリー。本気のオレはお嬢さんの腕の一本くらいなら飛ばせます」

「そこは倒せる、ではないのですか?」

「ジリリー。化け物の力量くらいきちんと測れますよ。自分の命は大切です」

「自分のは?」

「リンゴーン。その通り」


 アリスはクスクスと肩を揺らした。シャルルマーニュの腕が伸びてくる。白い頭を撫でる手付きはリボンが乱れないよう気を配った優しい動きだった。やはりアリスは彼を嫌いになれそうにない。むしろその逆だ。


「ただでさえ禁忌領域ケイオスの異常現象と魔獣の活性化に、相次ぐ精霊の目撃情報諸々で手ェ焼いてンのよ! 異端審問官ジャッジメントをそっちまで回したら人手足ンねェわ!」


 にこやかな空気を裂いたのはローランの悲痛な独り言。


 独り言にしては大きすぎるものの、結った髪を引き千切りそうな勢いで握り潰して自分の世界に入りながら戦慄いている姿は誰かに対して言葉を発したようには思えない。彼は険しい面持ちでアリスには理解できない単語を大鍋を煮込む魔女のようにブツブツと呟きながら髪を握る。癖っ毛が余計にくしゃくしゃになっていた。


禁忌領域ケイオス……って、地図の白紙の部分ですわよね?」


 アリスはローランの独り言を拾い上げる。


「この世界の地図は見たのですね、お嬢さん」

「ここに連れてきて頂く際にお姉さまから」

禁忌領域ケイオスは教団関係者以外は立ち入ってはいけない場所です。常識が通じない、とても危険な場所なのですよ。精霊が漂い、魔獣の強さも異常で、階位ランクはすべてが上位指定。退魔師エクソシストでも手を焼きます。お嬢さんが倒したレッドスコーピオンは禁忌領域ケイオスの魔獣で、退魔師エクソシストでも隊を組んで倒す大変危険な魔獣なのですよ。流石は転移者トラベラーですね」


 楽しそうなシャルルマーニュにアリスは手を叩いた。

 話し合いをする前に一旦保留ということでレッドスコーピオンの魔鉱石ジェムはエプロンのポケットに戻っており、思い出したアリスは自分のポケットを一見する。

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