15 首をお刎ね
振り上げられた反対側の細腕。アリスの右手には、凶暴な斧が握られていた。
真っ白な姿に、華奢な姿に、小さな姿に、幼い姿に見合わない無骨な大斧。飾り気の一切ない、ただただ実用性のみが追求された殺傷力に特化する暴力の塊。
ぶ厚い刃はどんな者の首も一瞬で刎ねるだろう。
処刑人の大斧。
元来ならば両手で握るべきそれをアリスは易々と片手で扱って「首を!」
叫ぶ。
――――アアアアアアァアァァァァ!
潰れた喉から薔薇の悲鳴が迸る。
口などないのに絞り出された絶叫は辺りに激しく響き渡る。鼓膜を破く勢いの大絶叫を間近で受けながらもアリスは眉ひとつ動かさない。動くのは大斧のみ。
茨がアリスを狙った。が、真下から迫る茨の槍を一瞥もせずアリスはドライアドの首を力一杯手前に引っ張った。
勢いにドライアドの身体が曲がる。
バランスを崩したドライアドをアリスは乱暴に引っ張り、引きずり下ろす。手を離し、入れ違いでドライアドの真上へと飛んだ。
重力を完璧に無視し、空中で行われた素早い動作。ドライアドのほうが対応しきれず、茨の動きが止まる。
茨だけでなく、ドライアド自身も固まっていた。
それもそうだろう。
ウッドペッカー曰わく精霊とは人間が生身では触れない存在。こうして直接的に触れられるのは初めてのはずだ。
災害として一方的に人間を蹂躙したことはあれど、蹂躙されたことは初めての様子。
「駄目よ! 駄目だわ!」
ならば、見せてやろうとアリスは嗤う。
「薔薇が咲くのに首から下はいらないわ!」
ヒステリックで身勝手で、残酷な女王を見せてやろうと。
斧を振るった。
彼女はアリス。
アリスと呼ばれる物語達がひっちゃかめっちゃかに混ぜ合わせられたアリスの集合体。
アリスを軸にすべての住人が混ざった国そのものであり、世界そのもの。
ハートの女王や首狩り役人は勿論、その他の住人達の在り方も小さな身に混ざっている。
「首を刎ねましょう!」
処刑宣告。
斬首の合図。
華奢な腕が、一振りでドライアドの首を跳ね飛ばした。
空間を引き裂く断末魔。実際に空間が激しく振動した。
「……あら?」
落下していく赤薔薇のブーケが地に触れる前に風船よろしく破裂した。アリスはなにもない空中を蹴り、頭よりも一拍遅れて崩れ落ち始めたドライアドの身体から距離を取る。
「なにかしら?」
白銀の髪を揺らし、亡霊のように、幻影のように、白昼夢のように囁く。
次はなぁに?
と、アリスは三時のおやつを楽しむ少女の笑みを愛らしい顔に携えて、好戦的に斧を握り直す。
轟ッ! と空気が唸る。
巨大な暴風の波がアリスの身体を嬲った。
「……っ!」
自然に発生したものではない異質な風圧。
角砂糖を擦るかのように端から綻んでいたドライアドの胸に穴が空いた。
穴のはずなのに、向こう側が見えない。
暗い、黒い、虚。
覗き込む気すら失せる深淵。
そこに、空気が喰われている。
巻き上がる枯れて黒茶になった花弁が夜気と腥さを含んだ冷たい風とともに母の胎へ戻っていく。
周囲を覆い尽くす黒茨も砕け、死体達も干からびて灰となると皆が虚へと飲まれていった。例外なくレッドスコーピオンも飲み込まれていき、アリスはその瞬間だけ「あ」と声を上げてしまった。
空腹に喘いでいた薔薇は、死して尚も世界を貪ろうと足掻くらしい。
アリスの瞳が吸血鬼の心臓を貫く銀の杭以上に鋭利な輝きを放った。
けれども、呆気なく――――
アリスの警戒心を裏切って、呆気なく最期の晩餐は終了した。
「え?」
呆けた声を洩らす。
すべてを喰い尽くす勢いで周囲を吸い込んでいたドライアドは自らを吸収した。
胸に空いた穴を中心にドライアド自身が内側へと飲まれ、最終的には耳鳴りに似た音を発して消滅した。否、正確には結晶と化した。
「……宝、石?」
だが、
ただただ紅い、朱い、赤い――新鮮な臓物色をした結晶を残し、ドライアドは消沈した。
鐘の音に似た重い音を立ててひび割れた石の床に落下したそれを目で追って、三度呼吸をしてからアリスは靴底を地につけた。同時にアリスの右手からリボンが解けるかのように斧がしゅるりと姿を消す。
赤薔薇の花嫁から生み出された頭蓋骨程度の大きさを有する塊の前に両膝をつく。
「いいえ。なにか、力が……」
ああ、とアリスは吐息混じりに深く納得した声を零した。
「これは、命そのものだわ」
優しく銀の瞳を細くして、吹き抜けから射し込む月光にも勝る穏やかな表情でドライアドの力が凝縮された生命の宝石を見詰める。
指先で凹凸のある表面をなぞる。慈しむように、ほんの少し、くすぐるように。
「この世界の精霊は、終わったら命を宝石にするのね」
「面白い設定ですわ」の言葉をアリスは声に出して言った。
赤ん坊を抱き上げるのと同じくらい慎重に丁寧に命の塊を抱き上げて、アリスは死体のように冷んやりとしたそれをポケットの中にしまった。兎穴よりも深く、お城にある宝物庫よりも広く、時間を追い出したポケットの中はどんな宝石箱よりも安心で安全だ。
アリスは落ちていた肩掛けを直す。
顔を上げ、エプロンドレスを大きく翻した。
● ● ●
広間の外に生き物の気配はなかった。朽ちた壁や落ちた天井。亀裂の走る踏み心地の悪い廊下の床には枯れた薔薇の花弁がとほぼ粉末状となった黒い結晶の残骸が散らばっていた。
黙する
それは夜会に出向く者の足音に似ていた。しかし、着いた先に広がっている光景は目の眩む華やかなものとはま逆の寂れた空間。
鉄臭さを含んだ妙に甘ったるい異臭の名残がべったりと沈殿する長い廊下の右側。壁が派手に崩れて向こう側が露わになっているそこに、アリスは足を踏み入れた。
ニオイが濃くなる。
無機質な部屋なのに、なぜか狼の腹の中のように感じられた。石壁のヒビから血が流れてきても、きっとアリスは驚かないだろう。
冷たい室内は廊下と同じように薔薇と結晶の残骸が散らかっている。一角で闇よりも深い黒髪がなにかを憂うようにニオイの濃くなった空気の中でたゆたう。
アリスは改めて視覚を整え直した。白銀の瞳孔が猫のように蠢く。これで暗闇でもしっかと周囲を細部まで見渡せる。
「桃太郎お兄さま」
アリスの声掛けに桃太郎はゆっくりと振り返った。
目元が隠れているので表情が読み辛いかと思うが、彼の場合はそうではない。
引き締められた唇は微かに震えて歪んでいる。
こうして唇や頬の動き、握り締められた拳や全身の所作で彼の感情は簡単に読めてしまう。無論、それは桃太郎がアリスに気を許してくれているから読めるのだが。本気で感情を隠されたらアリスには心を読む以外に彼の感情を知るすべはないだろう。
「ゴ――小鬼は?」
アリスは言葉を言い直した。
二人は
なので発音としてはアリスは常に自分に馴染みのある言語を口にしている。桃太郎もそれに対して自分のいた島国の言語で返す。
そのため、時折専門用語や独特の言い回しなどは互いに説明をし合わないと伝わらない時もあった。
アリスはゴブリンと発音せず彼の言語で小鬼と言う。
文法的なものは難しいが、単語だけならば彼の国の言葉をアリスは覚えている。
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