第四話「肉まんは正義」
時は同じく、一か月前、ショコラティア王国。
リリアが去り、晩餐会崩壊五分後。
***
銀の皿は残像を引き、葡萄酒は気まずさで香りを引っ込め、礼法教師はまだ椅子の下で小さくうめいている。
王はこめかみを押さえ、楽士は楽譜を裏返して無音の演奏に切り替え、侍従は巻物の端でまた鼻をぺちんとやった。
――主役は退場済み。星を見に行った。
「ケータリングお持ちしました〜……って、ありり? なんすかこの雰囲気」
場の空気に似合わない軽さで、黒髪の青年が両手に木箱を三段重ねて登場した。
長髪を後ろに結い、旅塵を払った上着、手には白い布手袋。
帷野 簾――レン。城下で“屋台を正しく太らせる男”として知られる、噂のあいつだ。
「誰だ」
「入れろと言った覚えはない」
「今は取り込み中だ」
王族たちの圧を気にも留めず、レンは飄々としている。
「それぞれごもっとも。ですが飛び込み営業に来ました。料理長に!」
「料理長だと?」
「はい。さっき裏口から土下座の勢いでお願いして、試供品兼ケータリングで搬入の許可いただきました。“場が荒れてたら、温かいの一発で”って」
レンはにっ、と笑って木箱の留め金を外す。ぱかん。
湯気が拍手の代わりに立ちのぼった。
竹のせいろが段々に積まれていて、蓋の隙間からむっちり白い丘が顔をのぞかせる。
「ショコラティア城下で話題の“肉まん”でござい。今日は特製『王家割り』。割って二人で仲良く半分ずつ、の意」
「……肉、まん」
「城下の行列のアレか」
「蒸し器でふわふわになるやつ」
ざわつきが“食卓のざわつき”に変わりはじめる。
王がわずかに眉を上げ、葡萄の徽章を付けた公子は遠巻きに鼻で笑った。
「屋台食だろう」
「屋台は罪じゃない。粗末にしなければ」
レンは手早く髪を高く結い直し、せいろの蓋を持ち替える。
道具に触れる時は、邪魔をしないのが流儀だ。
「中は刻んだ肉に葱、生姜、甘めの醤。皮は小麦、水、塩――以上。難しいことはしない。ただ手を惜しまない」
ぱくり、と一個を割る。肉汁がふわりと香って、湯気が銀糸の天蓋の下で小さな雲になる。
レンは近くにいた給仕の少年の手に半分を乗せた。
「はい、まずあなたが味見。今日いちばん走った顔してる」
少年は恐る恐る齧る。途端に目が丸くなって、耳まで赤くなった。
「……おいしい」
「でしょ。温かいものは“人を座らせる”力がある」
せいろが次々と長卓へ。
楽士は音を戻し、今度は湯気に合う音量で弾きはじめた。
礼法教師はそっと椅子に戻され、頷きのリズムが咀嚼に同期するまで三十秒もかからなかった。
「待て。晩餐は崩れた。誰が金を払う」
侍従長が眉間に縦皺。
「まずは無料の試供品。落ち着いたらお話を。定期的にケータリングが必要でしたら“サブスク”ありますんで!」
「……け、けーたりんぐ? さぶすく?」
王がカクン、と半拍遅れて聞き返す。
「定額制の配達です、陛下。“毎週○回、温かいのを決まった本数お届け”って仕組み。
胃袋の平和って、継続が大事なんで。途中解約OK/お休み月OK、余った分は城門前の配膳に回せます」
「よ、よくわからんが……温かいなら良い」
王はひと口。目尻の皺がほんの少し動く。
空気が、わずかに解けた。
「公子殿」
レンはくるりと向き直る。
「さっきちょいと盗み聞きしちゃいましたけど、王女が仰ってた“捨てる前に直す”――これ、まさにそれです。
余った煮込みの救済先として包み、余った皮の救済先として蒸す。誰も傷まない」
公子は薄く笑う。
「見栄えは?」
「見栄えの良い湯気でご容赦を。冷えた政治に温度を足す道具です」
王の視線が、公子とせいろの間を往復する。
レンはすかさず配膳を回す。
「配膳は“余ってる手”から。はいそこの彼、片付け止めて二皿持って。そっちのあなた、切れ端は鍋へ――もう一品できる」
視線の矢印が“怒り”から“温かいの”へ変わっていく。
王は二個目を静かに割った。
「……温かいな」
「はい、陛下。温度は味方です」
レンはせいろの蓋をもう一段、開けた。
湯気が広がり、崩れた晩餐会は、いつのまにか大きな賄いになっていく。
「では、改めて。王家ケータリング・サブスクのご案内です」
レンは手元から小札を出す。
「ライト(週1回)/スタンダード(週3回)/ロイヤル(毎日)。
お支払いは後清算、払えない月は“余り”を次に回すでチャラ――胃袋の平和のための相互扶助です」
「ふむ……さぶすくとは、妙な言葉だが、趣旨はわかった」
王がうなずく。
侍従長は小声で「清算所に新しい勘定科目を……」とつぶやき、書記官が慌ててメモを取る。
その時、公子が一歩、湯気のほうへ出た。
白手袋の人差し指で徽章をトンと叩き、レンを射抜く。
「貴様、名を何という」
レンは片手を胸に、もう片手でせいろの蓋を押さえたまま、にっ。
「……帷野 簾、じゃなくて、レン・トバリーノ。屋台とケータリングの者
今後ともご贔屓に」
「我は――ルマール・ド・ラズベリル。ラズベリル公国の公子だ」
レンは軽く頭を下げ、せいろを半歩押し出す。
「名刺代わりに半分どうぞ
“王家割り”で仲良く半分ずつ」
ルマールは視線だけで断った。
白手袋がピシと鳴る。
「――屋台の湯気で政治は曇らない。覚えておくといい」
近習が慌てて外套を整える。
公子は肉まんに指一本触れないまま、踵を返した。
銀糸の外套が肩でシャッと鳴り、従者たちが葡萄の列を引いて続く。
扉がドンと閉まり、宵風が湯気をひと撫でしていった。
レンは一瞬だけ目を細め、すぐ笑顔に戻す。
「はい次、蒸したていきまーす。温度は味方」
湯気が天蓋の銀糸に触れて、やわらかくほどけていく。
崩れた晩餐会は、いつのまにか大きな賄いに変わっていた。
星を見に行った王女のいない場で、それでも人は座り、食べ、少し落ち着く。
湯気はそういう魔法を知っている。
――城下で“肉まん”の行列が、翌朝さらに伸びたのは言うまでもない。
誰かが言った。「湯気は正義」と。レンはただ、うん、と笑った。
政略結婚なんてまっぴらゴメンよ!!!〜王女は婚約を破棄して、冒険者として生きるようです〜 黒瀬環 @tokinotabito
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