第5話 穏やかな兄

 

 叫び声で目が覚めた。

 意識があって天井もある。窓からの日射しはカーテンをぶちぬきアルティナの左ほっぺをじりじりと炙っていた。寝ぼけ眼を擦りながらむくりと起き上がり、カーテンを開ける。

 窓。

 開ける。

 外に目をやると庭には三つの人影。

 一人は父サルヴィン、一人は長男アクティム、一人は三男ローファン。

 何をしているのだろう、とは思わなかった。稀にあの三人が早朝稽古なるものを行っているのをアルティナは知っていたし、今日がおそらくその日だったのだろう。

 地べたに仰向けで転がっているローファンに、アクティムが長い棒のようなものを突き付けている。それを遠巻きに眺めていたサルヴィンが、


「ダメだローファン! もう一度だ!」


 都合がいい。

 アルティナはそそくさと着替えると部屋を出る。階段を降り、玄関を出ると、いの一番にサルヴィンに声をかけられた。


「おお、アルティナ! おはよう! 今日も美しいな!」

「おはようございます。お父様、お兄様方」

 

 アルティナが頭を下げると、サルヴィンははっはっはっと笑い、

 急に真顔になり、


「本当に……美しいぞ」


 本当に怖い。

 アルティナが引き顔で一歩後ずさる。しかしサルヴィンは早かった。速足でアルティナの隣を陣取ると、肩に手を回し、


「よかったら少し見ていくか? 美しい妹に見守られているとなればローファンも少しは身に入るだろう」

「いや……あいつは男……」

「殺すぞ貴様」

「も、申し訳ございません」


 ローファンの物言いに冷たい目を向けるサルヴィン。親が子に向けていい目ではない。アクティムははぁとため息交じりに、


「アルティナ、どうする? 見ていくか?」

「はい!」


 二つ返事で答えるアルティナ。

 意外そうにアクティムが目を丸くする。


「意外だな。剣に興味があるのか?」

「はい」

「そうか、やはりお前もおと………………うさまの子なのだな」


 今おとこって言おうとしたな。

 サルヴィンの殺気すらこめられた視線をよそに、アクティムがどうにか言葉の軌道修正に成功する。サルヴィンは一つ頷き、


「ローファンよ、今一度構えろ」

「はい……」

「女神、いや可憐なる妹の前だ。せめてアクティムに一太刀はあびせてみせろ」

 

 ローファンは絞り出すような声で、


「お、お言葉ですがアクティム兄さまはスターニア様直属の親衛隊の命を受ける程の腕前です」

「そうだな。とても名誉な事だ。で、それがどうした?」


 サルヴィンが鼻息を鳴らす。ローファンは縋るような目で、


「自分に限らず、兄さまに一太刀浴びせられる者など限られておるのでは……」

「かもしれぬな」

「では……」

「では、構えろ」


 それ以上はローファンも何も言わなかった。木剣を手にアクティムにかかんに挑むが、軽くいなされ何度も地面に転がされてしまう。

 アルティナの目から見ても差は一目瞭然だった。アクティムはその場からほとんど動かず器用に木剣一つでローファンの太刀をいなしていく。

 しかし、けっしてアクティムは自らの力を必要以上に誇示している訳ではない。

 現にアクティムはこの立ち合いにおいて自分からは一度とて打ち込まなかった。

あくまでローファンの木剣を受け、流し、けっして相手に怪我を負わさぬよう慎重に戦ってる様がアルティナにはありありと見て取れた。


 アルティナはどちらかと言えば魔術よりも剣の方が得意だった。いや、もちろん生前、レヴァンテだった頃の話である。アルティナとして生を受けてからは魔術の勉強ばかりでろくに剣など触っていなかったのだが、あの役所での出来事以来、剣を前にするとどうも先刻会った少女の姿が頭に過ぎるのである。

 深紅の髪をなびかせた少女。

 一目ぼれ、という訳ではない。

 むしろ原因は自分にあるといってもいい。生前の自分なら有無を言わさずあの怒鳴り散らしていた男を組み伏せていただろうが、結果はあのザマだ。他人事のようにあれよあれよと流れる場面を目で追うだけの傍観者に成り下がり、挙句の果てにはすれ違いざまに嫌味まで言われる始末。

 あの少女は腰に剣を携えていた。

 魔術学院で剣を奮う機会はあるのだろうか。

 ない気がする。

 でも、それはそれとして今の自分の力がいったいどの程度のものなのか、単純に気になった。


「もういい! それまで!」


 父の一声でローファンの膝ががくんと折れる。


 アクティムは涼しい顔で、


「ローファン、疲れただろ。しばらく休め」 

「……はい」


 項垂れたローファンはそのまま地面にどさっと倒れ込んでしまう。

 ここだ、とアルティナは思う。アルティナはローファンの下に駆け寄る。特別ローファンが心配という訳でもないのだが、兎にも角にも父の手から逃れたかった。残された父はしょんぼりとしていたが見て見ぬふりをする。


「ローファン兄さま、大丈夫ですか?」

「…………大丈夫なら倒れてないだろ」

「見事な倒れっぷりでした」

「お前……」

「ローファンのことなら心配するな。いつもの事だ。少しすれば勝手に部屋に戻る」


 アルティナはふと声のした方へ振り返り、


「アクティム兄さまはお強いのですね」


 アルティナがそう言ってほほ笑むとアクティムはバツが悪そうに笑い、


「まぁ、剣ならこの国で五本の指に入る自信はあるな」


 アルティナはちょっと驚いたように、


「兄さまがお強いのは知っていましたが、それ程の腕前なのですね」

「これでも王女様直属の剣だ。謙遜すれば王女様の名に傷がつく」


 そう言ってアクティムは木剣をひゅんと片手で奮う。

 アルティナはごくりと唾を飲み込み、


「……よろしければ私にも一つ、ご指導のほどを頂けませんでしょうか?」


 ぎょっとしたのはアクティムだけではない。死んだふりを決め込んでいたローファンですら顔を上げ、サルヴィンに至っては目玉が取れるのではと言わんばかりに目を見開き、


「指導だと! アルティナに指導だと!!!! その手があったか!!!!!!」

「お父様……落ち着いて下さい」


 アルティナが窘めるとサルヴィンはぶんぶんと首を左右に振り、


「これが落ち着いていられるか! アルティナに指導だと!」

「はい」

「私以外が⁉」

「……はい」

「そ……その美しい顔に傷がついたらどうする! アルティナよ、考え直すのだ!」


 なるほど、アルティナは思う。

 やはり、サルヴィンはまだ自分を少し低く見ている機雷がある。

 そりゃ大事な娘(♂)の顔に傷でもつけば事なのかもしれないが、度が過ぎた過保護は子の成長を阻害する。死ぬほど嫌だが、順当にいけば自分は女学院にぶちこまれる身だ。この調子では学院にまで干渉してきそうで少し怖い。

 自慢の娘がどの程度やるのかを見せてやるいい機会だ。

 というより、今の自分がどの程度やれるのかを確認できるいい機会なのだ。

 アクティムはこの国でも指折りの剣士。

 前世の記憶を辿ってみても、アクティムは間違いなく強い方に分類される。

 だが、かつての自分と比べれば、


「ケガはしませんしさせません。アクティム兄さま、宜しくお願いします」

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