第4話 心優しき少女

 それはマコーミックと名乗る貴族街の伯爵が七度目の浮気を理由に妻に二つ目の金の玉を潰された清々しい朝の事である。


 学院への入学を一週間後に控えたアルティナは父に連れられて役所へ来ていた。


 当然女の子の恰好で。


 学院への死の片道切符もとい推薦状はこの役所で受け取ることができる。推薦状を書いてもらう条件は貴族であること、一定以上の財を保有していること、そして入学する対象が十二歳以上の娘であること、以上の三つである。

 最後の一つは難関である。

 魔王討伐より難しいかもしれない。

 何せ自分は男だ。調べられればあっという間に犯罪者の仲間入、


「これで手続きを終わります。お疲れ様でした」


 役所勤めのお姉さんはそう言ってにっこりと笑った。

 

「よし、これで学院に入れるぞ」


 父がアルティナの頭をぐりぐりと撫でる。

 拍子抜けというかなんというか。身の潔白を証明するための取り調べもなく、推薦状はあっさりと書かれてしまった。父の根回しがそれほど周到だったという事だろうか。しかし見れば他の子達も取り調べらしい取り調べを受けている様子もなく、流れ作業のように推薦状が作成されていく。


「随分と、あっさり推薦状を頂けるのですね」


 アルティナが素直に疑問に思ったことを口にすると、サルヴィンはわははと笑い、


「そりゃそうだ。家紋を提出しているのだからな。疑われるということは名誉にかかわる。役所の連中も貴族相手に事を荒立てたくないというのが本音だろう」


 そんなもんか、とアルティナは思う。 

 

「さてアルティナよ、パパと手を繋いで帰ろう」


 手を繋いで帰ろう。

 呪詛の言葉ともとれる父の提案を受け、アルティナは照れくさそうに首をふり、


「人前でお父様と手をつなぐのは少し恥ずかしいです」


 サルヴィンははっはっはっと笑い、


「恥ずかしい事なんてないさ。なにせ家族だ」

「家族であればこそ、です。いつまでもお父様に甘えてはいられません」


 ふむ、とサルヴィンは少し考えた素振りを見せてから、


「ならば選ぶがいい。パパと手をつなぐのとパパとお風呂で一日を過ごすの、どちらがいい?」


 悪魔の二択だった。


 アルティナは青ざめる。父は本気だ。本気で手をつなぐかお風呂に一日入る気でいる。一日中父と風呂に入って自分はいったい何をされるのか。そもそも生きて浴槽を出る事が出来るのか。そう考えるとまだ手を繋ぐ方が……いや待て待て、思考誘導されている時点ですでに父の術中だ。ここはあくまで憮然とした態度で父の申し出を断、


「ふ ざ け る な!!」


 耳をツンめくような嬌声に、アルティナは思わず振り返ってしまう。

 でっぷりとした男と、その娘と思わしき少女が役所のお姉さんに詰め寄っていた。


「どうして我が娘、ガルベナに推薦状を書けないのだ!」


 机越しとはいえ今にも襲い掛かってきそうな剣幕なのだ。お姉さんは明らかにビビっていたし、周りの貴族達も面倒事にかかわりたくないのか遠巻きに見守るばかり。

 お姉さんは明らかに及び腰で、


「ででで、ですからラグナ―ド様は資産の額が規定を下回っている為、」

「一時的な投資故にだ! 数か月後には資産は倍に膨れ上がっている!」

「で、でしたら来年にでも……」

「我が娘に一年暇を持てというのか!!!!」


 厄介な輩というのは何処にでも現れる。周りの連中は明らかに迷惑そうにそのデブを睨みつけていたし、侮蔑と嘲笑の入り混じったような目を向ける者もいる。

 そしてサルヴィンは、


「迷惑な男だ。アルティナよ、五秒で終わらせてきてやる。父の雄姿をその目にとくと焼き付けるがいい」


 そう言って受付で喚きたてる男の下へ勇敢にも歩み寄り、

 肩をとんと叩き、


「失礼、次の方がお待ちのよ、」

「なんだぁあああ貴様はぁあああ!!!!! 殺されたいのかぁあああ!!!!!!」

「いえ、はい」


 サルヴィンが踵を返し、アルティナの下へ戻ってくる。


「お、お父様⁉」

「身の危険を感じた」


 最悪だった。

 

「アルティナよ、今の光景は目に焼き付けなくていい。早急に忘れてパパとお風呂に入ろう」


 そして何故かお風呂に入ることが決定事項となっていた。さしものアルティナも怯んだ様子で一歩あとずさり、しかしサルヴィンはどの口がほざくのか「レイフォールド家の長女たるもの、覚悟が必要になる時もある。それが今だ」と精悍な顔つきでアルティナを諭しにかかる。


「あ、あの方を放っておいても宜しいのですか⁉」

「宜しい。あれはもう私の目には見えない」

「お父様!」


「いい加減にしろ!!」


 肩が跳ねた。

 アルティナは再び、声のした方へと振り返る。

 一人の少女が、喚き散らしていた男を睨みつけていた。男は今度はなんだという顔で振り返る。しかしそこにいたのは自分の娘ほどの背丈しかない少女で、腰まで伸びた深紅の髪があまりにも綺麗で、剣を腰に携えていて、

 

「なんだお前は! どこのガキだ!」

「貴様のような不貞な輩に名乗る名はない! 資格がないならとっとと消え失せろ!」


 少女がびっと入口をさし、顎でとっとと失せろと促す。

 もちろん男の堪忍袋の緒はぶちぶちぶちと完全にはち切れる。有無を言わさず少女を組み伏せようと手を伸ばす、

 よりも早く男の足が宙に浮いた。

 女の子が男のベルトを力任せに引き寄せ、ふらついた足に踵を押し込み、思いっきり投げ飛ばしたのだ。


 背中から叩き落された男は「グァ!」と魔物のような声を上げ、しかし少女はゴミでも見るような目で男を睨みつけたあとすぐさま視線を切り、


「何をしている! 早くこの者を取り押さえろ!」


 その声で我に返った周りの大人達が倒れた男の手足を抑えにかかる。見ればサルヴィンもそれに参加していた。流石は父だ。抜け目がない。褒美に一緒にお風呂を生涯禁止の刑に処す。


 事が終わると少女は何事もなかったかのように、場を離れ、

 アルティナと目が合う。

 しかし興味がないとばかりにすぐに視線は交わらなくなり、少女はアルティナの脇を悠然と通り過ぎる。

 耳元で、


「愚鈍な親だ。家の程度が知れる」


 振り向く。

 深紅の髪の少女は歩みを止めず、役所を後にしてしまう。

 しかしアルティナは確かに見た。

 少女の手に握られた、封でしっかりと閉じられた青い筒。

 学院への推薦状。


「アルティナよ、パパの雄姿を目に焼き付けてくれたかな?」


 おこぼれで手柄を立てたサルヴィンが何かほざいていたが、アルティナは最後まで少女の後ろ姿を眺めていた。

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