第3話 麗しき友

 それはロズウェルと名乗る辺境の侯爵が妻に二本目のナスを突っ込まれたすがすがしい朝の事である。


 十二歳になったアルティナは父に連れられて市場へと来ていた。

 

 当然女の子の恰好で。


 ふりふりの赤いドレスでキメて、お化粧もキメて、ここまで来たらもうクスリもキメたい。だが父からすれば自分は淑女であり、世界で一番の自慢の娘であり、生まれながらの乙女(♂)なのである。そんな自分が白い粉に手を出すことを父はよしとしないだろうし隣を歩く父の息は少し荒い。興奮しているのだろうか。何に?

 アルティナが小さなため息を吐くと、父は「ん?」という顔をして、


「どうした? 女の子の日か?」


 父は何処まで本気なのだろう。


「いえ、少し疲れてしまって……」


 嘘である。

 むしろ体力は有り余っていた。

 アルティナは思う。もし父の静止を振り切りおちんちん丸出しで町を疾走したらいったいどれほど気持ちいいだろう。多分父はショックで死ぬだろうか、もし全てが嫌になったら最後の手段として一考しておこう。

 そんな娘(♂)の企みもいざ知らず、父は心配そうに辺りを見回し、


「それは大変だ。なら少し向こうで休も、」

「おや、これはこれはサルヴィン殿ではありませんか」


 身体を半分あらぬ方向へ向けていた父が固まる。

 父の名前はサルヴィンという。実際猿みたいに毛深かったし、一緒に風呂に入ると肌をべたべた触ってきて挙句には「アルティナは女の子だからしっかり身体の汚れを落とすんだぞ」とほざく狂人だ。息子の股間に生えるキノコから逃げるな。


「これはこれは、カタール殿」


 サルヴィンを呼び止めた男はカタールという。

 隣には人形のように無表情な女の子を連れていた。娘だろうか。それとも娘(♂)だろうか。すっかりサルヴィンに毒されてしまったアルティナはあらぬ事を考えてしまう。

 しかしカタールという男のことはアルティナも知っていた。この町にいれば少なからず耳にする名だ。

 なにせこのカタールという男はサルヴィンと同じく子爵の身でありながら、家の名は国中に広く知れ渡っている。

 それもそのはず、カタールは魔術における論文を九つも発表しており、魔術協会への貢献度は他の貴族と比べても頭一つ分抜きんでていた。

 一方、寝ても覚めてもふたなりの研究をしていたサルヴィンはあくまで俺とお前は対等だとばかりに腰に手なんてかけて、

 

「本日も魔術協会へ?」


 カタールは「ええ」と頷き、


「これくらいしか取り柄がないもので。何れはアイルフィールド様のように後世に残るような魔術式を考案してみたいものです」


 自慢げにふふんと笑うカタール。

 アイルフィールド。

 懐かしい名前だとアルティナは思う。

 アルティナは記憶の玉手箱をひっくり返す。アイルフィールド。奴は痴漢の常習犯であり、旅先でも毎日のように娼婦を宿に呼ぶろくでもないくそ爺だった。

 そこらへんのろくでなしエピソードは後世に残らなかったのだろうか。

 それとも一応は英雄という事で変に脚色されてしまったのだろうか。


 気になって少し調べてみたが、今の世界は自分が生前に暮らしていた世界のおよそ百年後とのことらしい。


 百年の間に四英雄はこれでもかと美化されていた。

 特にレヴァンテはひどい。

 図書館にあった英雄譚によれば剣の一振りで天を割き、大陸の魔物の半数を一人で討伐してみせる。金色に輝く千の龍を従え、万人の女を虜にしたが最後まで妻一人だけを愛し続けた男の中の男。


 すごいね。


 とてもママのおっぱいをちゅぱちゅぱして女装して町を歩き回る変態野郎と同一人物とは思えないね。


 そう思うアルティナの表情は明るい。吹っ切れたのかもしれない。


「ところで、その子が噂のアルティナちゃんですかな?」

 

 カタールと目が合う。

 アルティナはスカートの裾を摘まみ、少しだけ持ち上げ、

 

「アルティナです。名を覚えていただき光栄でございます」


 優雅に、女の子らしくご挨拶。


 人間、慣れようと思えば慣れる。


 アルティナの、どこからどう見ても女の子な仕草にカタールはほうと顎に手を当て、


「なるほど、サルヴィン殿が自慢したくなる気持ちもわからないでもない。美しく、それでいて気品もある。はたして本当にサルヴィン殿の子ですかな?」

「はっはっはっ、それはどういう意味でしょう?」


 サルヴィンが笑う。目は笑っていなかった。

 カタールは負けじと不敵に笑い、


「しかし、うちの娘と同期というのは不運ですな。同じ時期に学院に入学したとなれば、必ず格付けというものは起こる」


 カタールがそう言うと、今まで人形のように黙して佇んでいた女の子が一歩前に出て髪が揺れる程度の頷きを見せた。

 率直に、美しい子だなとアルティナは思った。

 長いブロンドの髪、陶器のように白い肌。目はくりくりと大きく、それでいて内巻きの髪に縁どられた小顔は人によっては嫌味に感じる程整っている。

 何より胸。

 大きかった。

 アルティナは自身の胸に視線を落とす。

 ない。

 当然だ。あってたまるか。


「今年から学院に入るシャリオールです。若干十二歳ですでに魔術の論文を一つ発表している自慢の娘ですよ」

 

 カタールがシャリオールの肩をぽんと叩く。


「……………………」


 シャリオールは感情の読み取れない顔でじっとアルティナを見据えていた。


「シャリオールには魔術師としての力がある。それは学院でも遺憾なく発揮されることでしょう。さて……そちらの娘は学院に入るにあたり、どのような形で学院に名を残すおつもりですかな?」


 カタールは笑みを絶やさない。

 貴族とやらはやたら上下関係にこだわる。それは何時の時代だって変わらないし、サルヴィンとて例外ではなかった。サルヴィンは少しだけ躊躇ったようにアルティナへと目を向け、

 しかし自分の中に確固たる芯を持っているのだろう。あくまで憮然と、正面からカタールの目を見てこう答えた。


「アルティナはかけがえのない私の宝です。価値があるとするならば、それはアルティナと言う存在そのものに他なりません」

「つまり、明確に秀でているものは何もないと?」


 カタールが勝ち誇ったように笑う。

 しかしサルヴィンはあくまで自分を曲げなかった。アルティナの肩に手を置き、真っすぐにカタールを睨み返す。

 少しだけ、サルヴィン、いや父の事を誤解していたのかもしれない。

 アルティナは独考する。確かに最近は大人しくし過ぎていたかもしれない。生まれて間もない頃は少しやんちゃにしていたが、女装してからというもの、どうも目立つ事を恐れて狭い世界で自分を抑制、自粛してしまっていた。

 それ故か、最近のサルヴィンはどうも自分の事を早熟な凡才だと思っている節がある。

 少しだけ、父の手助けをしてやろう。


「例えば……、」


 おもむろにアルティナが口を開く。

 視線がアルティナへと集中する。

 しかしアルティナは意に介した様子もなく淡々と、


「一つの分野で成功を収める。それはとても大切な事であり、誰しもが出来る事ではありません。そういった意味でシャリオール様はとても優秀な方なのだと伺えます」


 カタールはほぉと感心したように顎髭を撫で、


「なるほど、父親と比べて君はやはり解ってい、」

「ですが、」


 カタールの言葉を割るように、アルティナは力強くカタールを射るような目で睨みつけ、


「成功し続けられる人間というのはとても少ない。それこそ一つの成果だけで終わる人間が多いのもまた事実です。シャリオール様がその限りとは思いませんが、過度の期待が人を腐らせるのもまた事実。父親であるカタール様がその様子では、シャリオール様もたいそう苦労なさっている事でしょう」


 にっこりと、悪魔のような天使の笑み。

 その時のアルティナを見る目は三者三様だった。驚いたように目をぱちくりとさせるサルヴィン、あくまで無表情のシャリオール、

 そしてカタールは面白いものを見たという顔で、


「…………本当に、父親とは違うのだな」


 カタールが踵を返す。もう話すことはないとばかりにサルヴィンに背を向け、

 しかし首だけで振り返り、


「学院が楽しみだ」

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