離れたくない気持ちにタイトルを
桜風つばき
第1話
『ねぇ、ユキ。ユキはどうして”ユキ”って名前なの?』
自分の名前の由来をお家の人に聞いてきて、次回の参観日に発表してください、という宿題が出された時だった。
”和希”という名前の由来を聞いてまとめている時、ふと思ったのだ。
彼はなぜ”ユキ”という名前を与えられたのかを。
『それはですね……』
ニコッと人を安心させる笑みを浮かべてユキは和希に教えたのだ。
『……重く降り積もりながらも、いつか儚く消えゆく者であれ、という意味で”ユキ”なのです』
『……?』
『難しすぎましたか? 今はわからなくても大丈夫ですよ。いつか、和希がわかる時までずっと傍にいますから』
ユキがポンポンっと和希の頭を優しく撫でた。撫でた彼の手は、とても----冷たかった。
(----あれ)
ガバッと、和希は起き上がる。何故かぽろりと眦から涙が零れた。
(なんで、泣いて……そして、あの夢は……?)
小学生の頃の、それこそユキに出会って間もないころだった。
あの頃はお互いのことが何もわかっていなかったから、知らないことをたくさんユキに聞いた。名前のことも他の人はどういう意味を持っているんだろう、という好奇心から彼に聞いたのだ。
けれども、なぜ今になって当時の夢を見たのかはわからない。
(……もう一度、寝ようかな)
時計を見るとまだ夜中の二時過ぎだった。ユキが和希を起こすまで、あと四時間ある。チラリと部屋の片隅を見てから、和希はもう一度眠りについた。
今度は、幼い頃の記憶の夢は見なかった。
* * *
「ほら、和希。起きてください」
「んー……あと……五分……」
「それは先程も聞きました。いい加減に起きないと、学校に遅刻しますよ?」
「……でも、まだねむ……」
「いい加減に起きませんと、おしりペンペンの刑、ですよ?」
「っ! ゆ、ユキのおしりペンペンは嫌だ!」
ユキのおしりペンペンはとても痛いイメージがあり、和希の中ではトラウマの一つとなっている。
だから、ベッドの中でモゾモゾもしていた和希は慌てて起き上がる。
「おはようございます、和希」
「……おはよう、ユキ。ちゃ、ちゃんと起きたんだからおしりペンペンはなしだかんな!」
「はいはい。ほら、早く顔を洗って来てください。朝食はできていますから」
「へーい」
軽く返事をして、和希は洗面所へ向かった。
顔を洗って、身支度をして、和希がリビングへ向かうと、キッチンにはユキがいて。いつもどおりの風景だった。
「ユキ、手伝うぜ」
「ありがとうございます。冷蔵庫からレタス、キャベツ、キュウリ、ニンジンを出してください。それから……」
一つ一つ丁寧にユキは和希に指示を出した。
「頂きます」
きちんと両手を合わせて感謝の礼をする。それから和希は箸を取った。
今日の朝食は和希が切った、少し不格好な野菜サラダをはじめ、目玉焼きにトースト、コーンスープまで付いている。
「美味しいですか?」
「あぁ、やっぱりユキが作る目玉焼きは美味い! 固くもなく柔らかすぎてもいない、絶妙な半熟だぜ!」
「ふふ、ありがとうございます……いつかは、ご自分で作れるようになれるといいですね」
「ん? ユキ、何か言ったか?」
「まだおかわりはありますから、たくさん食べてださいね、と言いました」
「おう! もちろん、おかわりするぜ!」
ニカッと笑って、和希はパクパクと朝食を平らげていく。そんな豪快な勢いで食べる和希を、ユキは笑みを浮かべつつ、切なさを浮かべた目で見守っていた。
和希は生まれも育ちも東京ではない。故郷は九州である。そのため、両親も九州にいる。
高校進学と同時にスポーツの特待生として上京したのだ。もちろん、ユキも一緒に。
高校には和希と似たような地方から来た生徒が多かった。彼らもユキのようなお世話係が一緒に上京してきたと言う。
(小さい時はユキのような存在は珍しいって言われていたけど……案外そうでもなかったんだな)
井の中のかわず大海を知らずという諺はこんな時に使うのだとしみじみ思いながら、家の玄関を開けた。
「ただいまー……ユキ?」
おやっ、と和希は訝しがる。家の中がとても静かなのだ。いつもならユキがいてもおかしくないのに、と思いながらリビングのドアを僅かに開くと、
『……はい、はい。和希は……良好です……はい、もうまもなく次のステージへ移ります。寂しくないのかって? そうですね……寂しいと言えば寂しいです。10何年も傍にいて育ててきた子を手放さなければならないのですから』
(手放す?)
どういう意味だ、と思った。ユキから何を、手放すのか、と。10何年も傍にいたものを、手放す、とは、
「……っ、ユキッ!」
グチャグチャになった理性を見限ったのか、本能のまま和希はドアノブを開け、リビングにいるユキの名を呼ぶ。
和希の姿を見つけたユキは目を丸くしつつ、すみません、と一言電話の相手に伝えた後、通話終了のボタンを押していた。
「おかえりなさい、和希。どうかしましたか?」
変わらない、ユキの声のトーンだった。いつも温かく和希を家に迎え入れてくれる、ユキの声。
しかし、その声を和希は聞いても今日は迎え入れられる気分ではなかった。
「……どういう意味だよ。俺の傍から離れるって」
「盗み聞き、ですか。いけませんねぇ、そんな風に育てたつもりは……」
「茶化すんじゃねーよ!正直に教えてくれよ! ユキは、俺から離れるのか!?」
ユキは黙って和希の声を聞いていた。そして、いつもの優しい笑みを携えて、
「はい。まだ先ですが……僕は君の傍から離れます。離れることを義務付けられているのです」
「義務……?」
「はい。僕……僕たち家事手伝いのアンドロイドは主人たる赤子が高校を卒業と同時にすべての記憶をクラッシュし、新たな赤子を育てるという義務が課せられているのです」
家事手伝いアンドロイド。人と同じ形をした感情を持つアンドロイド。それが、【ユキ】だ。
「そん、な……俺、ずっと、高校を卒業しても、ユキと一緒に居られると、思ってたのに」
「僕もですよ、和希。ずっと、あなたの傍にいられたらどんなに良いかと……」
「そんなの嘘だ!俺が生まれた時から、決まっていたことなんだろ? いつか別れるって知っていながらずっと、ずっと俺の傍にいたんだろ!?」
ガラガラと未来が崩れていく。ずっとユキの傍にいるという、未来が。
和希はその場で崩れ落ちる。泣かまいと思っていたのに、ポロポロと涙がこぼれ落ち始めていく。
「……和希」
そんな和希をユキが優しく抱きしめる。幼い頃ときと変わらず、ポンポンっと頭を撫で、背中を擦る。
「……重く降り積もりながらも、いつか儚く消えゆく者であれ……」
耳元で囁かれたユキの言葉。それは、幼い頃から聞いた、ユキの名前の由来だ。
「和希の中で”僕”という存在はとても重いものとなっているでしょう。その重みを残しつつも、僕は君の元から消え去らなければならない。でもね、雪が溶けたら迎えるのは、春です。僕という鳥籠から旅だった君はアンドロイドではない、温かみのある人とこう言うを深めて行って欲しいんです」
だから、泣かないでくださいと優しく撫でるユキの手は――――幼いころと同じく冷たかった。
(でも、俺は……俺は……)
ユキの傍に居たい。
そう思う気持ちは、家族としてずっと傍にいたという親愛故なのか。それとも、別の感情として芽生えているのか、和希にはわからなかった。
離れたくない気持ちにタイトルを 桜風つばき @ryusei_tsubaki
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