2019年8月6日(その2)ハチロクの日

2019年8月6日


「ふっ……」


 衣玖いくは部屋に帰るなり、口角と釣り上げて笑った。


「ルーも甘いわね。確かに今日の日めくりネタで広島を取り上げるのは良かったでしょう。でも日めくりカレンダーが毎日1枚ずつだけだと誰が決めたというの……私はIQ3億千万京の大天才。読者の方に日めくりを1日に2回捲らせる事も躊躇なく実行する……!!」


 そう言って、衣玖いくはイニシャルDのイケイケ音楽ディスク、ノンストップDセレクションを再生し始めた。ジャラジャラとするカギの音と、そして点火されるエンジン、ブーストサウンド……車の発進したような音に合わせてノリノリのユーロビートが始まった!


「これよ……この感じ!全身の血が沸騰したようなハイテンション!これこそイニDユーロビートよ……!!スピースピッボー!」


「というわけで……私一人だから思う存分ハチロクの日を楽しむわよ。名前だけは聞いたことがあるという人は多いんじゃないかしら。ハチロクと呼ばれる車には色々あるんだけど、ここではスプリンタートレノ、AE86という車種について語ろうと思ってるわ。言わずもがな、イニシャルDの主人公が乗り回す車ね。そうだわ、主人公を語らないとね。彼の名前は藤原拓海、中学生の頃から父親の手伝いで車を運転していたんだけど、高校生になっても続けていた手伝いの帰り、拓海はとある車を抜いてしまう……それは公道最速を掲げる走り屋チームの2番手だったの。しかもハチロクに比べるとめちゃくちゃ早い車だった。馬力でいうとハチロクは150。相手のFDは当時260だったかしらね。そんな大差あるスペックを、慣性ドリフトというドラテクでポーンと抜き去っていってしまった……これはそう、例えるならザクがガンダムに勝つとか、きっとそういう表し方をするような状況での勝ちだった。そこから彼らの伝説は始まるのね。相手のFDは当然リベンジをするわ。でもハチロクは勝っていくの。どんなに相手のスペックが高かろうと、卑怯な手を使われようと、彼の積み重ねていたドラテクはそれらを凌駕していく……戦いの中で成長しながらね。それはそう、まさに異世界モノにも等しいストーリー展開を持ってるの。拓海くんは元々レースのために運転していたわけじゃなくて、父親がお豆腐を運べというから運んでいただけ。ドラテクが身についたのも早く終わらせたいからという、彼のどこか面倒くさがりな性格がそうさせただけなのよ。でもそれが峠レースという場所で、誰も追いつけない技術となっていたということね。そこにはもちろん峠用にチューンされていたハチロクの凄さもあったんだけど、拓海くんはハチロクの半分くらいの馬力しか無いハチゴーって車種に乗っての初運転でガラの悪いドライバーをけちょんけちょんに抜き去っているからね。やっぱり作品きっての頭脳派である啓介さんがハチロクを見て『モンスターなのはドライバーか』って思わせるほどの何かを持っていたのよね。そんな拓海くんもギリギリの戦いを強いられることはもちろんあるんだけど、その中でも私の印象に残っているのはS2000との戦いね。相手は熟練のドライバーで、ゴッドハンドとも呼ばれるドラテクの神……運転中のゴッドハンドはその異名の通り、どんなレースでも片手しか使わないの。片手でも誰にも追随できないラインで走っていく。拓海くんは目いっぱいで走らされているのに、ゴッドハンドは全然本気じゃなかったのよ。これには拓海くんも負けを確信するところまで追い詰められたわ。……その結末には賛否あるの。勝敗の付き方はまさかの理由だったからね。でも私はあれで良かったと思ってる。それは拓海くんが熟練ドライバーの精神にまで影響を与えるほどの走りを見せたからにほかならないのよね……あの戦いでの抜いて抜かれてという技術の応酬、そして雷に撃たれたように始まるユーロビート、ケミカルラヴの存在があのシーンを印象深いものにしているわね。そしてブラインドアタック、あの演出……本当に最高にかっこいいわ。他にもいくつか、ファンの間で議論される勝負の結果はあるんだけど、私はどれも必然性を持って表現されたものだと断言できるわね。それともうひとつ魅力的な部分といえば、拓海くんとハチロクの絆の物語でもあるってことね。序盤は車についての知識が全く無い拓海くんは、まぁ端から見ればオンボロにしか見えないハチロクの事をただのトヨタの車としか認識してないし、ハチロクを指して『ボロ』って呼んだり、ただのクルマ程度で愛着を感じられないのよ。でもそれがレースを通じて、段々と呼び方がハチロクに変わっていく……その信頼の高まりから生まれた名言『曲がる!曲がってくれオレのハチロク!』のシーンはとてつもなく熱かった……エンジンブローを起こして煙を吹いた時には彼の涙にこっちまでもらい泣きしてしまったわ……やっぱり三木さんの演技が光るのよね。『よし、ゴーだ!』とか、日常のシーンでは静かでぼんくらっぽい拓海くんとレース中の攻めっ攻めになったときの拓海くんの演技の幅がすっごくかっこいいの。そしてその信頼がこの作品の最終決戦で発揮されることになる。あの最後の演出は単にクルマとそのドライバーの話では済ませられない凄みがあるの。それは拓海くんのレース後のセリフに全て込められているんだけど……本当に最高のエンディングだったわね……世界観は現実的でありながら、ストーリーラインは私みたいな今時のアニメ好きにも絶対受け入れられる内容なのよ。さっきも言ったけど導入は完全に異世界者のそれだしね。でももうファーストシーズンのアニメは20年前だし、正直クルマの3Dも含めて見るに堪えない部分はあるんだけど、声優の豪華さとユーロビートのかっこよさはここだけのものだし是非ここから見てもらいたいとは思うわ。それでもどうしても絵柄が気になるという人は2016年に完結したファーストシーズンの新劇場版を見ると良いわ。声優も音楽も全変更されているんだけど、映像技術とクルマのかっこよさの表現は抜群にかっこよくなっているの。ここからアニメのセカンドシーズンに違和感なく入っていけると思うし、シーズンスリーに当たるエピソードは映画だからすぐに終わるし、そこから先は映像のパワーが上がって今でもさほど違和感なく受け入れられると思うの。それにクルマを題材にしてるけど男向けのアニメって感じでも無いのよ。もちろん専門知識を持って解説されるシーンもあるんだけど、全然わからなくても大丈夫なように映像とキャラの会話でフォローされているし、よく出来た友情と恋愛の要素も含んだアニメなの。全話見ているといくつか似た展開が目につくことはあるわ。でも逆に言えば前フリが丁寧ということなのよね、それも拓海くんの不敗神話への必要な要素と受け取れる。私のオススメのエピソードはさっきのS2000とのバトルも良いんだけど、やっぱりハチロクのエンジンブロー、それからハチロクの完全復活と、名曲であるデジャブの流れるハチロク対ハチロク戦、それから……」


「おい」


 気持ちよくなっていた衣玖いくの背後から冷たい声。


「偽物の拓海くんが……うわぁ!?ルー!何?!」


 立っていたのはじっとりとした瞳で見つめる留音るねだった。


「いや何じゃねーよ、お前ハチロクハチロクって……イニDの話してるだろ?日めくりはもう終わったんだぞ?」


「別に良いでしょ!日めくりカレンダーが1枚しか捲れないなんて先入観からそんな事を言っているんでしょうけど、1日に2回日めくりネタがあったっていいじゃない!!ロックでしょ?!」


「ロックでしょ?!じゃねぇよ!さっきあたしの広島での思い出を語っていい感じに日めくりは終わったの!!!こんな事してるから新しい話に手が回らねーんだろうが!」


「知らないわよ!天才を止めるのはただ興味のみ!!そして今日はハチロクの日なの!!だから私は思う存分イニDを語るわ!!クルマなんて興味無いって陰キャが多いと推測出来るなろう界隈にイニDの面白さを布教するのー!!!」


「バカ!陰キャ言うな!!勝手なイメージだろ!ってか最悪語るのは良いよ!!!でもお前見返してみろ!!!あんな改行もされてないどちゃくそ長い雑文誰が読むと思ってんだ?!何時間それに費やしてんだよ!!」


「愛の結晶よ!!原作は読んでないけど!」


「読んでないんじゃねーか!このにわか!!」


「でもサントラは買いましたー!!DTV登録してアニメ全話見ましたー!!!イニD関連曲の総再生回数は軽く2000は超えてます~~~!!!MAD漁りもします~~~!!!」


「おい衣玖いく!お前明日からしばらく日めくり出禁!!!」


「私の持ってきた企画なのに!?」


「こんだけ喋ったからいいだろ!どうするんだよ上の文字列見てぎょっとした読者の人が怖がって寄り付かなくなったら!!!」


「なによ!ディープな私の知識に感銘を受けてファンがつくかもしれないじゃない!!イニD見てみます!って人も出てくるかもしれないじゃない!!良いか悪いかは結果のみでしか判断出来ないのよ!?」


「経絡秘孔・定神!!」


 留音るねは最強流武術の習得過程で覚えた北○神拳の知識から衣玖いくの秘孔、定神をついた。これにより興奮した相手は静かに眠りにつく。


「ぐー。」


「ふぅ……やりきった顔で寝てやがる……なんか無駄に疲れたぞ……」



 というわけで、ハチロクの日。

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