第2話人間機械
小説家にとって、読者などいらなかった。読者がいるから金が入ってくる、という市場論理とは別に、彼は生きていたのだ。もし内容について糾弾されて断筆を迫られても、真の断筆など彼にはできない相談だった。彼にとっては、小説がすべて、活字がすべてだからだ。
過去のことなど、小説家には無縁だった。人気小説家につきものであるエッセイなどは、まったく手をつけることができなかった。仕方がないから編集者が偽の「小説家の日常」を綴り、小説家に書き直してもらう。糊塗された小説家の生活は優雅だったが、小説家自身の生活は荒れ果てていた。彼は極限の状態でしか、小説を書けないと思い込んでいる。
目を覚ましたときには、小説家は他の何者でもなく、「小説家」という肩書きをもった人間であった、と彼は語る。幼き日々があったはずなのだが、彼には記憶はない、と。そんなはずはない、と初めて会った編集者は一蹴したのだが、エッセイの原稿だけは遅々として進まぬ様を見て、顔が青ざめていった。締め切りをかたくなに守る小説家が出来ない仕事があることに驚愕した。
小説家は信に足る編集者一人を選んで、出版社と専属契約を交わした。編集者は小説家の世話一切をすることを命じられている。編集者は人気作家の原稿のための生け贄になった、というわけだ。
小説家はただただ小説を書き続ける。それだけが生きる意味であり術なのだ。小説家にたった1通の手紙が届いた。どこから来たのかは分からない。彼の作業場の上に、そっと置かれていたのだ。編集者が置いたのか。小説家には読者などいらぬ、と編集者にはきつく言っていたつもりだ。小説家はおかしいと思いながら、手紙を開く。
小説家は手紙を読み、あるインスピレーションを得た。とある家で幽閉されている一人の人物。
あの家にとって、「本以外に懸想する」ということは罪です。小説家という「人間」を愛してはならないのです。本当はあの家の者はみな養子であって、誰も血なぞ繋がっていないのに。ああ、かわいそうな××。
ちらと甦った記憶が、そう小説家に語りかけた。小説家は、キーボードを打鍵しはじめた。
これを書ききることが使命だとばかりに。
小説家は死にものぐるいで物語を紡ぎ、やっとそれは完成した。不思議と懐かしさがあった。どうしてなのかはわからない。ただ、この手紙の主には会いたくとも会えない、という直感だけは強く働いた。
はたして、彼は生きる力を長編に使ってしまった。虚弱だった上に生活習慣がたたり、彼は死んでしまった。最期の彼は、絶食状態にあったという。
その一部始終を編集者は自作の小説として発表し、名声を得た。
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