No. 2 英知の境地
彼女は"叡智"のソフィスト。
スベテとは、文字通りの、全てだ。
「無駄なんですよ……、時間の……」
彼女の口癖も、それ故であった。
其れを無駄と知っているが故、出来るだけ簡潔に、分かり易くまとめる。
世界、宇宙。そんなもの、彼女の脳内が大洋であるとすれば、そこに浮かぶ微生物の細胞ぐらいにしか満たない。
言い過ぎだろうか?
ならば是非、彼女の脳内に一度入ることを試みてみると良い。もっとも、命の保証はしないが……。
俺がそう考えることも、貴方がそれを聞くことも。
彼女は全て知っている。
そんな彼女は、今、一つのゲームを観戦中だ。そう、ひ弱な青年と、奇術師のカードゲームである。
試合は今まさに、≪第_惨ラウンド≫に突入しようとしている。
はあ……、彼女は心の底から、億劫そうに、とても憂鬱そうに……。
溜息を吐いた。
手にしているのは、先程皆に配られたカード。これが、実際試合開始とともに光だし、表面の絵柄みるみる歪んで消えた。
「小細工が……」
彼女は一言そう言った。
そして映り込む、彼らの向かい合う立ち姿。
新鮮さが無い、何もかも。だって全部、知っているんだから。結末だけでない、その途中経過。彼らの心拍の合計値まで……。
「手向けの花に、鋭利なナイフは隠れてる。気を取られると、横を彼は通り過ぎて行ってしまう。彼は女神の棺桶のすぐ傍に。けれど気付く、自分が並んでいた列は、葬列などでは無かったの。もう遅い、彼は棺桶に入って一人死にました」
こんなもんだ、結局。
だからこのゲームに参加している意味も、もう無いのかもしれなかった。
けれど彼女は、此処にいる。何故か、そんな言葉は久しく使う物だった。
でもその何かは、この2人の試合には無い。
青年が勝つ、いや。
青年は勝てない。まあ、どちらでも良いか。
私が何を言ったところで、動き出したものは変わらないのだから。
私はただ、知っているだけ……。
彼女は溜息を吐く。
「繩が私を、絞め殺す」
その台詞に、溜息は無かった。
* * *
≪第3ラウンド……、≫
今までと変わらない……。強いて言うならば、段々とテンポが上がっている。
ゲームに慣れてきた、そう取れた。
俺の優勢が続いている。
卓上中央には、積み重なった献花の束。そして、裏返された一枚。
「さあ。青年の
初めて急かされ、俺は彼を見る。
彼は相変わらず笑っているのだが、何処かおかしい。なんとなく、だが。
自分の手札は、既に5枚までになっている。実に、相手と30枚差。
それも、可笑しいに決まっているんだけど。
「じゃあ、僕は……」
可能性として、順なら11、一文字飛ばしなら12。あと二文字だと13になる。怪しいのは、一文字飛ばし……。
何故なら前に、彼は二文字を出し当てられている。
まさか選びづらい二文字を、とは言っていたが。ここで重ねてくるのだろうか?
それに、手札の数が多いということは、その分二文字の難易度は下がるってこと。僕がそれを読み、変えてきている可能性が高い。
とまあ、無駄に近い堂々巡りの後に。
僕の豊かな感受性は、変化の兆しを感じ取っていた。
それが、
危険な舟、しかし彼には遊ぶ節がある。そんな見え透いたもので罠にかかった、そんな単純にも見えない。
決めなくてはならない。
13の札、即ちKに手をかける、が……。
イッテェェェェェェ。
手が震える、思わずカードが手から離れ、机にカランと落ちた。
「いけませんね。危うく、見えてしまうとこでしたよ」
彼は嗤う、先よりも口角を上げ、裂けんばかりに。
僕を襲ったのは本来、カードゲームを仮にも
鋭く、刺されたような。
カードの角、などでは無い。もっと鋭利で、つら観ばかりの痛みが、突如として右手を走ったのだった。
僕は顔を
「すいません、ちょっと失礼」
痛みの根源を、即ち犠牲になった右手を見る。傷は、赤は?
「何にもないじゃないか、ビックリさせるなあ。大丈夫だよ、続けよう」
冷ややかな声で、彼はそう言った。
血が垂れるどころか、何の変化もない手を見つめながら、僕は確信する。
『これが、アイツの称号、‘‘罠”だ』
今更気付いても、一度踏み抜いてしまったということは、作戦は成功したのだ。
そして僕は、机に落ちたカードを現に拾えない。怖いのだ。
「A~3段階」
かろうじて、
彼は満足そうに、イイね、と笑う。
「答え合わせだ。と言っても、君は運に味方されているとみた。俺が出したのは、二文字飛ばしで、K。もし君がそのカードを出していたら……」
そう言いながら、彼はカードを増やす。それはそれは、嬉しそうに。
これは、カードを増やすゲームだったかも。
そう不安にまでなる。こうなると、もうJokerぐらいしか……。Joker?
この時点で、魔術師の手札=40枚!
「俺は、こう出るしようか……」
彼は4枚のカードを出した。
変化、ここで見るならば、カードを増やしたこと。……、4枚。
即ち3以上の階段というルールをクリアし、一枚分の余白も作り出せる数。
ピタリで出すのも、彼なりのエンタメと思われた。
「この中に、Jokerを入れてきましたね。勝負ってことですか、貴方らしいのは、敢えてそれが分かるようにしたとこですね」
「分かってるじゃないか。流石、覚えが早いな、若いのはさ」
このゲームを通して、砂からず相手の思考が読めるようになってきた。彼のエンタメ思想、そしてその裏の狂気まで少し……。
「さあ、どうするよ。青年」
どうする、も何も……。
それは一択、彼が出したカードに合うカードを出せばいい。つながるカードを出す、即ち彼のJokerをこの手に掴む。つまり、彼を暴く。
「いや、それはどうかな。君は既に、一択の敗北に傾いている」
彼はここで、敢えて笑わなかった。
笑わない、つまりは真顔なんだが。それが理解できるまでに、数秒を要するほどに彼は、物静かな淋しい印象を受ける顔をしていた。
日照りの日、その夜みたいな。
砂漠は昼は熱いけれど、かと言って夜も負けないくらい冷えるとか。
とにかく、僕は手札を見た。
手札は4+Joker、4枚は順に、A. 3.Q. K.
……思考する、……辿り着く。…また思考する。……辿り着く……。
彼の言いたいこと、一択の意味が理解できた。
彼が行っていた、一連の動きが腑に落ちた。
彼は自ら解説でもしてくれそうであるが、聞こうが変わらない。
『つまり、お前の手札はヤツに、筒抜けになっていた。
ヤツはお前に落とさせる中で、大体のパターン、そして残っている数の中で予想を立てたんだな。
そりゃあそうだ、お前とヤツの合計は44枚にも上る、残った母体数が違うんだな。正確な予想をもとに、2択に絞らせた。』
そう、2択という一択。
KかQ、このどちらかを出せ。しかもどちらかが、当たりになるように、彼はその数多の
Kからは、まだ痛みの感覚が残っている。
持つこともできない
最終的には、動物の勘という奴が生きるのかもしれない。いいや、生きる。絶対に、上手くいく。いける、いける、いける。
「僕は……」
Qのカードが、ゆっくりと降ろされる。
彼は嗤う、真顔は消えていた。
「と、長い前触れでしたが……」
オレはそう言った。確かに、そう言った。言ったはいいが、分からなかった。
突如、誰かに突き落とされるように、激しく体を押し飛ばされる感覚。
これが、視界正常・体温正常、神経系異状なし。
外的要因無く、内側で起きた。
「俺はこんあんじゃあ、騙されねえぜ。というか、言われてねえのに、何で知ってんだよコレ? 俺の隠し道具、とまでは言えねえが、平和じゃねえよなあ」
青年は肩を組み、喧嘩腰な眼差し。
対する魔術師は、この上なく不快そうに、思い切り顔を歪ませて言う。
「誰だ、貴様は? 俺はお前を、呼んだ記憶が無いんだが……?」
そう言われ、彼は言う。
「俺はオレだよ。そんなこたあ、今はどうでも良い。勝ちゃあ良いんだ、勝てばな。俺は勝つ、これは絶対だぜ」
魔術師はまた彫りを深くして、一言。
「邪魔をするな、部外者が」
「部外者じゃねえ、列記とした挑戦者さ。お前はお客と呼んでいたっけか。まあ、良いんだ。ここで、ケリを付けるぜ」
そう言って、青年? はKを手に取って……。その手を目の前に伸ばし、ゆっくり手を放そうと……。
「良いのか、お前の
その表情は、必死そのものだった。
青年は、ニヤリと笑っている。形勢逆転だった。
「俺が手を降ろす。つまり、カードが落ちようと空気に曲がる瞬間に、手がそれに触れること。それがお前の、条件ってヤツなはず。Qの時も、指が強く握り、曲がった瞬間に、お前は花の香りを出した……」
ウツボカヅラの、あまーい香りを。
青年の手に、もうカードはない。
ひらひらと、まるで木の葉が落ちるように。
あるいは、血の
「クククッ……、ククク。面白い、面白いですよ。まさか私が、逆に驚かされようとは。楽しませてもらえるとは、イイですよ。
しかし、もうお遊びは終わりです」
ピンッ、それは指を鳴らす音。それ自体に、意味なんて無いのかもしれない。
が、彼に決断させる一区切り、にならなったのかも知らない。
バンッ、それは幾つも連鎖して轟音と化した。
バンッバン、バンバンバンッ。
教室中から、上からも下からも轟音が響く。それを2人は、睨みあいながら聞き流していく。
しかし、視界の端に飛び出した、カードは見逃せなかった。
2人は、ニヤリと似た笑みを浮かべた。
「仕掛けてたな」
「罠、ですからね」
罠は発動した。四方八方から、風船の爆発で飛び出したカードたちが、2人の方に降りかかる。その量は凄まじく、桜吹雪というより吹雪。
やがて2人は、カードの嵐に見えなくなる。
「私の
Qは花の絵柄に、あまーい香りを入れてみました。私はこれを、
パラパラパラパラパラパラパラパラ……。パラパラパラパラ。パラパラパラ。
「ふうん、じゃあその
パラパラパラパパラパラパラパラパ……。
「抜け殻、空っぽになるんですよ」
パラパラパラ。
「ふうん」
呑気な会話だった……。端から見れば、何をしているのかという話だが。
この会話は、単なるカードの中で行われているのではない。
鋭い痛み、
平常のような会話を繰り広げる、2人は超人と言って良かったと思う。
パラパラパ……。
嵐が止んだ頃、そこに2人の姿はあった。
お互い、後ろと前の壁に寄りかかっていて。
笑いあった。
「なあ、お前がさっき言っていた話だけれどさ」
魔術師は疲れた笑みを浮かべる。
まだ、話せんのかよ……。そう思って、自然に。
「ああ、何だ」
「
「ああ……?」
理解できていないのか、しばし考えこむように黙って。彼は口を開く。
「ああ……」
「そうかい、そう言うことだったのか」
青年のような何かは、一人理解したように頷くと。
背に隠していた右手を、正確には握っている物を、見せ付けるように突き出した。
「こいつは、Jokerだ。しかし、今までのとは明らかに、絵柄が違うって話だ。しかも、俺は今聞こえてんだぜ」
シクシクシクシクシクシク、出してくれよ。
出してくれよ……。
「これが、お前のエキスなんだろ」
正確には、消したい過去を背負った自分。彼が彼になるに至った、そのために捨てた彼。罠にかかった、被害者の自分……。
Jokerを取られてはいけない。
言わば、それは依代であり、自分自身。
「ああ、完敗、に近い形になったな」
彼は言う。
「そうさ、それがこの抜け殻にいた、俺。踏み
そいつが俺に戻るっていうことは、中和されて、此処からは消える。俺の詭弁は、破れれる」
しかし……。彼は、あの笑みを浮かべて言う。
「この魔術師、サム1の復活ショーは終わりませんよ。
あの時……。家を焼かれ、いざ放火魔の法廷に、被害者として出て」
荘厳な空間、その中央の哀れな子ネズミ。
男は何か怯えるように、目は泳いでいて焦点を持たない。
よくもまあ、罪を犯せたな。
彼は、その台の上で言った。
『俺は、取り返しのつかない罪を犯しました』そんなこたあ、分かってるよ。
次に台に立つために、俺は拳を固く握りしめていた。いたが……。
動機は? その質問に、彼は震える声で言ったのだ。
『許して下さい、ほんの僅かな……。魔が差したんです。俺は、その時は疲れていて、ええ、仕事の事とかで。だから……、気晴らし……、アクセントが欲しくて』
スパイス、そう彼は例えた。
俺は固まって、台の上でも、何も言えなかった。
「俺の人生は、その一言で大きく変わったのさ!」
そんな俺も、ここで終わりか……。
いや、
「もう、いいだろう?」
その一言に、彼は頷いた。
それを見届けてから、しっかりと、しっかりと。青年は、手にしたカードを真っ二つに折った。
シクシク、シクシク……。
もうそこに、彼はいなかった。いるのは、悲しく哀れな男。
それを見届けて、彼は息を吸った。
「ありがとう……」
その一言を、聞き届けて。
「Doubt(ダウト)!!」
彼の姿は、跡形もなく無くなって。
教室は元通り、どこか寂しい空間を取り戻す。そこに、青年は倒れるように眠っていた。
* * *
とまあ、こんな風になった。
私がまとめるならば、この勝負はゲーム全体に、大きく2つの変化をもたらした。
一つは、『
二つは、『勝利条件が実例をもとに、提示されたということ』
どちらも知っていたから、わざわざ説明などいらないし。これにも、新鮮さなどなかったのだが。
これくらいしか、私は残せないらしいから……。
第5戦/女教皇vs吊るされ人
『長い後置きは終わるが、謎々に包まれた異様な5試合は、既にに終わろうとしているのだった……』
「貴方は、全てを知っていたんですよね」
嗚呼、勿論だとも。私は全てを知っている。全てというからには、そう全てを知っているのだ。
「嗚呼」
例えば、私がこのゲームの中で、どんな終わりになるのか、とか。
「繩に絞め殺されることも……」
「ふうん、知っていたんですよね」
彼は、少年は無邪気に尋ねる。
無邪気というのはこの場合、自分の業に嵌って、繩に絞め殺されようとしている女に対して。いたぶる趣味からでなく、抑えきれぬ好奇心で訊いているということだ。
私が、どこかで失くしてしまった物。
犠牲、確かにそうかもしれぬ。
シャンッ。突如として足元から繩が現れ、彼女に残されてた口までも塞ぎきる。そんな彼女は、体中を縄で縛り包まれ、もう見る影もない。
少年と会話をすること、それはこういうことだ。
「改めて言うと……。僕の
彼女はもう、喋ることもできない。
「では、全てを知っている貴方が、何故その
彼女はもう喋れない。
それどころか、全てを投げ打って手に入れた全てさえ、今失おうとしているのだ。
何と、なんと哀れな事だろう。
けれど私は、私よりも哀れなものを知っている。
では、何と淋しいことでしょう。
だけれど、私は私よりも寂しい人間を知ってしまっている。
じゃあ、何でしょうね。
じゃあ、私は何でしょうか?
「ああ、すいませんでした。もう、すぐに楽にしてあげます、最後に聞いていてくれませんか。
もう、訊けないから、僕なりの考察になってしまうのですけれど」
そんなこと、端から分かっていよう。
それこそ、一番分かりえたはずだった……。
私が私になった時、全てを知った時。
私は私が、私でしかないことを、全知識を
私は、全てを知っている。
しかし、それで何かを変えることはできない、という事も、同時に知っている。
万物の大いなる流れに、流される小さな笹船。
それだけを、知れたのだ。
「僕は、こう思うんです」
無駄なのに……、その声も出せず、繩は喉を強く締め付ける。
しかし、彼女は苦しみを知っていたから、それを嫌いだとは思っていないから。
苦であっても、久では無かった。
「僕は、貴方が優しい人だから。貴方が全てを知っていて、全てってことは当然、人の負の側面も、良い面も。
自分が動く、その波が他の何かに、どう影響するのか。それも分かっていて、ということは意識せざるに負えないから。
他人のことを、思いやってしまう。そうですよね!」
少年の声は、変わらず快活だ。
命のやり取りをしている、そんな自覚が果たしてあるのだろうか。それとも彼は、日々、そういう環境にいたから、ここまで強いのだろか。
私は、優しく人想いな人。
だから私は、何も変えられなかったのか。
答えはnoだろう。
それは、全てを知っている私だから。
ただ、悪くはない。もしかしたら、そう思う分には、誰も叱ったりできないはずだ。嗚呼、なんだか少し、救われた気分だ。
不思議だな。
「ありがとう」
彼女はきっと、そう言った。忘れていた笑みを、小さな少年に向けて。
それを聞き取ったのか、いやそんなはずは無いんだけれど。
「いえ。こちらこそ、楽しかった」
少年は微笑む。
この少年にも、私は何もしてやれない。それだけは分かっているから。
君は強い、だからこそ。
其れは、それを見逃さないだろう。自分の邪魔になるものを、容赦なく潰すだろう。そこし、勝機などないというのも、分かっていて……。
「絶対に、言わせるな」
聞こえただろうか。届いただろうか。
おかしいことだ、自分は全て、知っているというのに。
「Doubt(ダウト)!!」
彼女の姿は、跡形もなく無くなって。
繩は持ち主のほうに、少年の体躯にまとわり、しがみ付いていく。
小さな公園に、小さな少年が残った。
『これは、個人の感想です』
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