第3話

目が覚めたらそこは、知ってる場所なのに少し違う場所だった。

あそこのレンタルビデオ屋がない。あそこの弁当屋はある。あそこの家で飼っている犬がいない。いつも道を歩いていると出会う猫はいる。あそこのスーパーがない。代わりにコンビニがある。近所の子ども達が元気に走りながら私の横を通り過ぎた。私は…

あれ?元気だ。息は苦しくない。私も走れる。

これは夢なのかな?なんだか変な夢。それにしても町のみんなは手元ばかり見ているし、みんなゲームしてるのかな。

不思議な夢の町を歩いていたら、ギターの音が聴こえてきた――――――











「おはよう!また来てくれたね!」

始まりはいつも日向の元気なあいさつからだ。

そして俺はいつものようにチケット代である水を差し入れる。

「おはよう、まあここまで来たらいまさらやめるわけにもいかないかな。」

日向の練習に付き合う約束をしてから1週間が経っていた。彼女もだいぶ人前で歌うことに慣れてきたようで、一人で歌っている時と大差のない声量と楽しそうな笑顔を見せるようになってきた。

「ありがたいねえ。なんだか自信も付いてきた気がするよ。」

「始めよりはかなり良くなっていると思うよ。顔が真っ赤になってぼそぼそとお経を唱えているかのような時が懐かしく感じてしまうくらいだ。」

「ちょ、ちょっと!そんなにひどくはないでしょ!……そう、だよね?」

実際本当にひどかった。小さすぎて聞こえない声、崩れるリズム、そして歌い手は客ではなくずっと空を見つめ続けていた。初めて聞いた時とは別人のようでかなり唖然としてしまったことを覚えている。でも俺だって人前で歌うのには抵抗があるし、ましてや客は一人でそれも偶然知り合っただけのほぼ他人。日向の立場になってみれば緊張するのも無理はない。そんな中ここまで歌えるようになったのだから、素直にすごいと思う。好きこそものの上手なれというように、彼女にとって歌は好きなもので非常に大事な部分を占めているのだろう。

「それでね。今度は自分の歌を作ってもっと大勢の人の前で私の歌を聴いて欲しいんだよね。って、ねえ聞いてる?」

「聞いてるよ。もっと多くの人の前で歌いたんだよな。まあ、俺一人が相手で問題ないレベルになったんだから次のステップってことでいいと思うよ。」

「そうだよね。うん、頑張ろう。あと歌もね、頑張って作らなきゃ。」

ん?歌を作る?なんかステップアップしたと思っていたら1段だけでなく3段飛ばしくらいで階段を上っているような気がするが。

「え、歌を自作するの?いきなりハードルが高くないか?」

「そうかな?なんとかなるんじゃない?」

「いやいや、楽器の経験とかは?作詞とかはしたことあるの?」

「え、どっちもないよ。」

日向は挑戦心というか、行動力がすごくあるように感じる。まあ作詞には言葉選びのセンスがあればできなくもないだろうが、少なくとも作曲に関しては楽器経験がないのは厳しいのではないだろうか。

「そういえばいつも歌ってる曲じゃだめなのか?」

俺の前で歌っている時は有名な曲を2、3曲と知らない曲を1曲必ず歌うのだ。俺が屋上で初めて聴いた歌もその知らない曲の方だった。しかし、知らないといってもどこか馴染みがあったり、懐かしさを感じるところもあったのでどこかで聴いたことがある曲なのかもしれない。

「あの曲は私を助けてくれた曲だから…今度は私の曲、私の歌で同じように助けられたらいいなって思うんだ。」

あの曲がそんなに大切なものだとは知らなかった。俺にはそんなものがあっただろうか。

「それにね、あの曲は音源もないからアカペラしかできないんだ。あの曲はギターの弾き語りの曲なんだけど、ギターの音もあって完全な曲になるからね!」

つまりもう完成された曲は日向の中にしか存在しないということなのだろう。それにしても音源がないとは一体…

「ものすごく古いインディーズの曲とかそういうことなのか?」

今の時代、かつての曲も配信という形で手軽にダウンロードができる。それがないのであればよほど古い曲、さらにはメジャーではなくインディーズで活動していた人なのかもしれない。俺はなぜだかこの未知の曲に対して謎解きをしているような感覚になって少し楽しくなってきていた。

「そういうことでもないんだよね。」

違うのか。他に考えられるものは…

「昔の彼氏が作ってきた自作のラブソングとか?」

「…。」

俺の質問を聞いたあと日向はじっとこちらを見ていた。これは当たったのか、どうなんだ。ファイナルアンサー。

「い、いやいやいや。か、彼氏とかいままでいたこと…ない、し。」

「そ、そっか。」

日向はとてつもなく顔を赤らめて恥ずかしがっていた。そして俺も恥ずかしくなっていた。俺もそしておそらく日向も恋バナというものには慣れていないのだろう。自分から質問しておいてこれはさすがに反省だ。

「じゃ、じゃああの曲は何なんだ?」

一端仕切りなおすように、普通にまっすぐに質問してみた。

「そうだね。あの曲はね、昔動画投稿サイトに投稿されてたアマチュアの人の曲なんだ。私が中学2年の頃かな。たまたま動画投稿サイトで見つけてすごく好きで何回も聴いてたんだけど、その1曲を投稿してから何も投稿がなくってそのままいつの間にかアカウントも消えちゃってたんだ。」

「なるほど、動画投稿サイトのアマチュアの曲ね。」

「いいねも私がつけた分しかなかったし、曲作るのを諦めちゃったのかなって。私はもっと聴きたかったんだけど…。すごくショックだったなっていうのは覚えてるよ。」

「そうか…中学2年の頃にね…。ちなみにその人のアカウント名って覚えてる?」

「確か、『刹那』だったかな?昔は漢字が読めなかったけど『セツナ』って読むんだよね。」

「せつな…ね。」

「どうしたの?もしかして心あたりあるの?」

………………

俺だな、それ。

中2、動画投稿サイト、弾き語り、おまけにこじらせていた時代の自分がつけたアカウント名、まさに俺だった。どうりで曲に聞き覚えがあるはずだ、なにせ自分が作曲していたのだから。

かつてギターを弾けたらかっこいいと思って少し練習していた。俺はなんでも割とすぐにある程度にはできるようになってしまうため、いつものごとくさっさと弾けるようになったことで変な自信がついていた。そしてこれをどこかに披露してみたいと思って、弾き語り動画を投稿したのだ。しかも曲を自作して…。

もちろん、素人の自作の曲で弾き語りだなんて視聴数も伸びるわけがないし、いいねだってもらえない。確かに日向が言うように1つだけいいねをもらっていた記憶はあるが、あの時の俺にとっては0も1も変わらない。評価されていないのと同じだと思っていた。だからすぐに飽きてやめた。どうせこれ以上やっても評価はされないだろうし、うまくもならないだろうと思ったからだ。そしてすぐに動画もアカウントも消してしまった。まさに刹那といったところだ。

俺はいつもそうだ。何事もある程度までできるようになるのは早い。でもあくまである程度まで。その後絶対にうまくいかないことが出てきて壁に当たる。普通はそれを乗り越えることでより上達していくのだろうが、俺は目の前に壁が現れたら踵を返して、別の道を探してしまうのだ。だから常人以上になることもないし、それを一生懸命になって続けていくこともない。いつもそうだ。そんな自分が嫌いだ。でも変えられない。変えることすらめんどくさいと感じているのかもしれない。

「…くん。ぉーぃ、…藤くーん。」

しかし、なんでこんなことを忘れていたのか。確かに短い期間だったし、別に良い記憶でもない。もしかしたら黒歴史として封印していたのかもしれない。刹那というアカウント名を含め。…だって、中学生だし、かっこいいだろ刹那…

ああああああああああああああああああああ!

「あああああああああああああああああああ!」

「うわ、びっくりした!何、急に大声だして」

「あ、ああごめん。ちょっと嫌なこと思い出して。」

少し深く考え込んでしまったせいで、心の中の声が漏れてしまっていたようだ。反省反省。

「なんかぼーっとしてたから声かけても反応なかったのに、急に大声だしてびっくりしたよ。刹那と関係あるの?」

「ああああああああ!」

「あはは、関係あるんだね…」

苦笑いする日向に対して過去のことを白状するように、自分が刹那であることを日向にぽつぽつと伝えた。

「え、ええええ!?君が刹那だったの?そんなことってあるんだね!私もっと大人だと思ってたけど、同い年ってことはあの時刹那も中2だったってこと!?すごいじゃん!そんなこと前は言ってくれなかったのに!初めて知ったよ。」

前は?よくわからないが日向はとても興奮気味に話していた。俺も忘れていたとはいえ、確かにこんな偶然は驚くべきことだよな。

「そっかあ、じゃあさ!曲作ってよ!」

……え?あまりにも急に突飛なことを言い出すので一瞬フリーズしてしまった。

「いやいやいや、さすがにそれは無理だろ。あれは4年も前だしそれ以来ギターもやってない。それにあの時だってど素人が適当に考えて誰にも評価されなかったただの駄作だし。」

「駄作なんて言わないで。」

日向が突然真剣な顔で食い気味に答えた。

「少なくとも私には届いてる。メロディーも歌詞も私には響いてるし、素敵な曲だと思ってるの。」

「いや、まあ…うん。」

あの曲が誰かに届いている…か。当時はそんなこと全く思ったことはなかった。しかし、実際にあの時いいねをくれていた人が目の前にいると思うと、なんだか不思議な気分だ。嬉しい…のかもしれない、少し。

「だから私の好きな曲を作った人に協力して欲しいの。全部とは言わないよ、あくまで私は私の曲が作りたい。だから作詞は私がやるから作曲を佐藤くんにお願いしたいの。どう、かな?」

日向はまっすぐに俺のことを見てお願いしていた。ギターはもうやってないし、当時だって別に上手くはなかっただろう。正直今、曲を作るなんて全く自信はない。でも、あの時作った曲は真面目に当時の俺が作ったものだ。始めた理由は適当だったが、曲に関してはあのときの気持ちをすべて真剣に込めていたのを思い出した。なにもない退屈な毎日、なにも変わらない自分自身。そんなことに対するもやもやを曲にして、何かが変わることを、何かが始まることを期待していたのかもしれない。結局なにもないと思ってやめてしまったが、世界のどこかで少しでも変化があったのだとしたら、それは悪くない気分だ。

まあ、乗りかかった船だ。日向とならできそうな気もしてくるから不思議だ。さんざん巻き込まれてばかりだけど、なんだか不快ではない。もしかしたら、まだなにか期待してしまっているのかもしれない。

「分かった。やってみるよ。」

「ホント!やった、ありがとう!」

本当に嬉しそうに笑っていた。やっぱり眩しいな日向は。この笑顔にはしっかり応える必要がありそうだ。

「まあ、でも期待値は低めにしといてくれ。ギターの感覚を戻すことからしなきゃいけないし。」

「大丈夫だよ。それに私も作詞を頑張らくなくちゃ。では、改めてこれからよろしくお願いします。」

日向は深々とお辞儀をしていた。俺はちょっと照れくさくてお、おうと会釈をする。なんだか締まらないが、俺たちの始まり方はこんなものでいいだろう。

蝉がジージーとうるさく鳴きだした。本格的に夏が暑くなってきたようだ。

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