第15話 与えられたもの
「気分はどないや?」
「はい。なんとか大丈夫です」
ガタガタと揺れる車内、いつもの、リビングでする会話のように長さんは僕に聞いてくる。
あの案件から一週間、ようやく僕は身体を動かすことが出来るようになっていた。
出来る……というのは大げさで、実際は療養しろという長さんからのお達しで、少し入院するはめになった。幸いにも茂木から受けた力で骨折した左腕の骨は、手術をしなくてもどうにか回復させる事が出来るという事で、本当にただ寝るだけの一週間になってしまったのだけど。
「さよか。まぁ大事なくて良かったわ」
そして今日ようやく退院の許可が下り、朝一番で自宅に帰ろうと思っていた時、ちょうど長さんが車で迎えに来てくれたというわけだ。
「すいません、へまばっかり」
「謝るのは……何てゆっとったかな?」
「き、気を付けます」
病み上がりの相手にでも容赦がない。
まぁこれが彼だと理解しているので、甘んじて受けとめよう。いや、違うな。怒られでもしないと、正気を保っていられないというのが、正直なところだ。
入院中、自分の不甲斐なさにどうにかなってしまいそうだった。
あの件を思い出すだけで血の気が引いて、何も出来なかったことに嘆き苦しんでいた。
だからこんな風に、長さんから何か言ってれるのが、本当にありがたかった。
それでも強がりはやめられない。恩師に、長さんに心配をかけることは出来なかった。
「それにしてもあれや……しんどい目あわしてもうたな」
正面をずっと見続ける長さんの表情を読み取ることは出来ない。
「いや、長さんのせいじゃないですよ」
そうだ。長さんのせいじゃない。
「全部、僕のせいだ……」
ポツリ、気付かぬ内に弱音が零れ落ちていた。
「なぁ。何でもかんでも抱え込むなや」
アクセルを踏む足は変わらず、車は前に進み続けた。
でも長さんの発する声は苛立ったように感じられる。
「抱え込んでは……ないです」
「いや、しとる! 無理しとる!」
狭い車内で、長さんの声は僕の発した言葉を消し去り、反響を残していく。
次の瞬間、車は急ブレーキをかけ、路肩に一時停止する。
あまりに急なことに驚き、長さんの顔を窺ってしまう。
しかし彼はこちらの方に顔を向けてくれることはなく、ずっとハンドルを握ったまま、正面を見たままだった。
車を停めて少しの間、塗り込められたような沈黙が車内を覆う。
ここから逃げ出したい気持ちと、逃げても意味がないという諦めが同時に頭を駆け抜け、どうしようもない虚無感を与えてくる。
そんな中、口を開いたのは長さんだった。
「まぁ男の子やからな。多少の無理はいるやろ。でもな……それだけやったらアカン」
「アカン……ですか?」
確かに僕は無理して、あの男に相対した。でも、それは結局無意味に終わったと思う。
長さんが来なければ、僕はきっと、この程度の怪我では済んでいなかったから。何より真白ちゃんの事だって。
「せや。無茶して、何がアカンかったか考えろ」
胸をドンと叩きながら彼は続ける。
「そしたらな、ここんところが強くなってくるんや。折れそうなっても、例え折れたとしても、また強くなれるんや」
思い返せば、僕は自分の不甲斐なさに溺れただけで、その時どうすればいいかを全く考えていなかった。
経験して、考えて、それの繰り返しで強くなる。
きっと長さんはそう言いたいんだろう。
でも……僕には。
「ここんところが弱いままやとな……」
弱い僕は、真白ちゃんを守る資格なんてないじゃないか。
「ここんとろこが弱いままじゃ、一人で立っていかれへんぞ?」
長さんの言うように、心を強くすることが出来ないければきっとまた彼女を危険に晒してしまう。
彼女を守れないと思うと、すごく怖い。
「守るって誓いを、果たせんくなる」
「果たせない……」
「あぁ、それでえぇんか?」
守れなくなる。約束を果たせなくなる。今言われた何よりも、それが何より怖い。
平穏を装っていた手が、ガタガタと振るえ、あの夜の恐怖を思い出させる。
「好きな女一人守れんで、それでえぇんか?」
「いや……です」
震えを抑さえつけながら、彼に言葉を返す。
まだ、まだ少なからず僕の中に強い火が残っていた。
彼女を守りたいと思う、強い光が。長さんがまた奮い起こしてくれた。
そうだ。まだきっと、強がることは出来るから。
大丈夫だと小声で呟く。
すると長さんはようやくアクセルを踏みこみ、車を走らせ始めた。何時でも唐突な人だなと苦笑いしながら、窓の外を見ると、僕と真白ちゃんの通う学校の近くに差し掛かっていた。
「まぁ辛気臭い話しててもしゃぁない……休んできっぱり忘れることやな!」
ケラケラ笑いながらとそう告げる長さん。
とりあえずまだまだ休みが必要だなと内心考えていると、
「まぁ学校は行けよ」
と、意味の分からない言葉。
今、休めって言ってたよな。それで学校行け?
一体この人は何を言っているんだ。
僕の混乱した顔をミラーで確認し、説明が必要だと思ったのか、長さんは咳払い一つ、こう切り出した。
「いや~一週間も休むゆうたら色々問題でな。色々追及されんのもアレやったから、一週間くらいで出席できます~ってゆってもうたんや。で、今日がその一週間目ってゆう、またなかなかナイスなタイミングってことなんや」
申し訳なさそうに言うのだが、結局学校に行けってことですよね?
ダメだ。病み上がりのせいか、本当に何にどうツッコミを入れるべきかどうか分からない。
分からないなら、もう、流されるしかない。
「せやな。まぁ無理せんとな」
「そ、それでは……行ってきます」
コクリと頷き外を見ると、まさに目の前には我が学び舎。
長さん、あの時ブレーキ踏んだのって話が長引きそうだったから時間調節しわけじゃないですよね……なんて聞いてみたい衝動にかられたが、久しぶりの学校だ。
目の前にあるならば、やはり行きたくなってしまう。
静かに道路の端に車が止まる。
ドアを開け放ち、生徒たちの登校する流れに合流しようと歩き始めようとした時、車内から声が聞こえてきた。
「おい、カナ!」
「はい、何ですか?」
「大人の役目って……何か知ってるか?」
唐突の質問に、すぐに答えが出てこない。この間同じようなことを言っていた気もするのだが、いくら頭を捻ろうが、何も出てこない。
完全にお手上げだ。
「すいません。分かんないです」
素直に負けを認める。むしろこの問いの彼なりの答えはすごく気になるところだ。
車のドア越しに回答を待つ。
「お前のじいちゃんにしてもらったことや」
ヒントやと付け足しながら、長さんは煙草に火を点けながら呟く。
じいちゃんがしてくれたこと。様々にあり過ぎてすぐには出てこない。
しかし長さんとじいちゃんに共通しているモノ、あるとすれば一つだった。
「言葉にしてまうと、違うとこもあるかもしらへん。でもな、ここは共通してるんちゃうかと思うことがあるんや」
「それって……何ですか?」
「俺はな、子どもがどこにおっても、困ってたら助けにいったることやと思う」
「助けに行く……」
その言葉を自分の中で噛みしめる。
確かに、じいちゃんもそうだった。
小さい頃、困って泣いてしまうとじいちゃんは色々と工夫しながら助けてくれた。
頭の中にその時の光景が浮かんでは消えていく。
「せや。子ども同士で、解決できることは自分らで解決したらええ。でもな、大人が手を貸さへんかったら、解決できひんことってたまにないか? 親はな、その時に手を貸したるためにおるんや」
確かにそうだ。大人の手を借りないとどうにも出来ない時があった。
そしてそういう場面では、いつも大人が何かしらの助言をくれたように思う。直接手を下さなくても、確かに救いの手はいたるところにあった。
「子どもをな、守るためにおるんや」
それはすごく安心感のある言葉だった。
長さんの性格を、行動力を知っているからだろうか。
いや、そうじゃない。いつもそれを頭において行動しているから、言葉に説得力があるのだろう。
やはりこの人は、大き過ぎる。
追い付けないと、諦めてしまうほどに。
「自分で解決できひんことあったら、俺の事頼れ」
頼る……か。
でもこれ以上頼ってしまっては、きっと僕はダメになるんだ。
長さんの大きさにも打ちひしがれかけているのに、これ以上依存してしまってはいけない。
頷き、ドアから離れて、生徒の波に乗っていく。
今日一日気を紛らわせば、もう少しプラスに考えられるはずだ。
きっと今、長さんが言ったことだって。そう言い聞かせても、歩く足取りはどこか重い。
これ以上何も自分の中で好転しないのではないかと思えるほどに、負の感情ばかりが頭を占めていった。
「おい、カナ! 話は終わってない!」
不意に長さんの声が耳に届く。
通学の波の中足を止めてしまったせいで何人かの生徒にぶつかってしまう。しかしそれが気にならないほどに、僕はそれに目を奪われてしまった。
長さんの何かを伝えようとする必死な表情から、僕は目を離すことが出来なかったのだ。
「俺はな、お前はもちろんシロの事も、自分の子どもみたいに思ってる!」
ドキリと、彼の言葉が胸を打つ。
自分の子ども。まさかそんなことを言ってくれる人がいるなんて。
じいちゃんが亡くなってから、家族と呼べる人はいなかった。
確かに友達やライバル、守りたい人がいた。でも僕にとって家族と呼べる人ではなかった。でも彼は、長さんは僕をそう呼んでくれた。
子どもと、思っていると。
「何、で……今、そんな……」
不意打ちだ。これ以上にないというタイミングでの。
でも、この嬉しさを隠すことが出来ない。
だから良いよな。今、涙を流してしまっても、構わないよな。
視界がぼやけ、頬を温もりが伝って行った。
「だからたまには、俺にも背中預けろや」
頬を伝った涙を拭う。いつまでもそんな調子ではいられない。
あぁ。そうだ。この人のように、背中を預けろと胸を張って言うことの出来る人になろう。
否定ばかりではなく、正面から全てに向かい合うように。
「気張りすぎとったら、ホンマ、疲れるだけやろ」
今日以上に、長さんを頼もしいと思ったことはなかった。
僕はその頼もしさに少しでも報いることが出来るようにグッと拳を空に向ける。
急に身体を動かしたためか、肩に激痛が走ったが、今この痛みは逆に心地よいとすら思えてしまう。
「あ……ありがとうございます!」
今出せる精一杯の声にのせる。
歩いていく生徒や一般の人は訝しげにこちらを見つめる。
気恥ずかしさもあるが、どれでも今はこうせずにはいられない。
だって、長さんが自身の恥をかなぐり捨てて、僕に声をかけてくれているのだ。
答えなくて、何が男なのだろう。
「おぉ! ええ声でとるやんけ!」
この言葉と共に、浮かべた笑みは本当に幸福そうに見えた。
だから、僕もこんな風に笑うために決着を点けにいかないといけない。
ここには迷惑をかけたままの友人を残している。
まずは彼らと向かい合うことから始めよう。
踵を返し、再び通学の波の中へ飛び込む。
「ほな。がんばって行って来い!」
この声が力をくれるのだ。
きっと、僕に出来ないことはないはずだ。
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