第11話 ただ踊る彼女を見ていた



 生南。町工場と住宅地がほぼ大半を占める街。

 僕の故郷。以前住んでいた家や周囲の家屋はその大半が取り壊されて新築の戸建になっているのだが、やはり馴染み深い光景が広がっている。

入り組んだ路地と、低い建物や高い建物乱立している街だ。

他所から来た人が、一度も迷うこともなく大通りに出られるなんて事はそう簡単にない。だからこそ、どこにいるかも分からない人を見付けることはかなり骨が折れることなのだ。

 今回、僕たちの捕獲対象となるのは先日と同じく、一般の社会人。

 名前は茂木重雄(もてぎしげお)。厳めしい名前だが二十代前半。年齢だけを見れば昨日の男と特に変わりはしない。

 しかし質の悪いことに、その男は傷害事件を起こし、ここまで逃走してきているとの事だった。そもそも通常の事件であれば、僕たち『くみあい』の人間が出張ることはない。

 しかし今回の場合、それを引き起こした加害者とその犯行方法に問題があった。

 加害者が『発現』してしまい、他人に危害を加えてしまったこと。

 そして犯人である茂木に襲われた人の腕の骨は『まるで重機で踏みつけられたように粉々になっていた』ということ。

 発現してしまう事は仕方がない事だ。誰に懸るのかも分からなければ、予防の使用もないのだから。しかしそうであっても、人を傷付ける行為を容認して良い訳がない。

 その上、犯人に襲われた人の外傷。それは明らかに僕や真白ちゃん、そして長さんが有するような固有の力を以て傷付けられたのだろう。

 そう。彼は力に目覚めているのだろう。しかしそうであるならば、更に無為に人を傷付ける事を見過ごすわけにはいかない。

 何より、この二つが揃った瞬間権限は『くみあい』に移り、共同で捜査を行う。

 まぁ実際そんなことは建て前で、警察機関は僕たちに尻拭いをさせたいだけなのだろう。結局の所、僕たち『くみあい』は犯罪者予備軍とでも思われているのだろう。

 確かに、否定することの出来ない事実なのではあるが。


「暗いから、気を付けてね」

 真白ちゃんの腕を引く。

 いつもなら逆に僕の腕を引いていってくれるほどなのに、それは見る影もない。

 いつもなら溌剌とした声で笑いかけてくれるのに、その響きを聞く事は出来ない。

「見つからないですね……」

 細い路地を歩きながら、独り言のように呟いた。

 相変わらず返される言葉はない。それでも前を見て対象を探さなくてはいけない。彼女が危険であれば守らないといけない。

 だからくじけている事は出来ないから、掴んだ手をより強く手を引いた。

「なんで……踊っちゃいけないのかな」

 ポツリと、涙を流すように一言。

「分からない……ですけど」

 本当は分かっている。

 彼女の力の性質上、今の精神状況で力を使っては何が起こるのか分からない。

「なんで……カナタくんは、あの子を無視したのかな」

 もう一つ。言葉は震え始めている。

 きっと、また泣いているんだ。

「今は……言えない」

「言えないこと、ばっかりだね」

「ゴメン……ごめんなさい」

「さっきから、そればっかり……」

 口を開く事が出来なかった。

 全て本当の事だったから。

 本当ならば長さんの言っていたことを僕がフォローしてあげないといけないんだろう。しかし戸田の件もあって、彼女と面と向かって話をすることがどうしても出来なかった。

 今、泣いている彼女を抱きしめてあげないといけないのに。

僕は、どうすることも出来ないんだ。

 次の時、掴んでいたはずの温もりがそっと離れていくのを感じた。

 軽くなってしまう手がどこか寂しく、理解が及ばないままに僕は後ろを振り返る。そこには間違いなく彼女が、真白ちゃんがいた。

 目尻に溜まった大粒の涙は頬を伝い、彼女の足元に跡を残している。

 こんな表情をさせたくないのに。頭の中に自責の念ばかりが浮かんでは消えていく。

 あぁ。こんな時にどんな言葉をかけてあげればいいのか。

 いや。今の僕が彼女にかけていい言葉なんてあるわけないじゃないか。

「もう……いいや」

僕が言葉を見付けられず黙りこくっていると、そう呟き彼女は顔を上げた。

「もういいって、どうゆうこと?」

 それは文字通りの意味だということはすぐに理解出来た。それでも口にしてしまったのは、きっと真白ちゃんがそんな風に言うわけがないと心のどこかで思っていたから。

「自分のやりたいようにするの。私には踊るしか出来ないもの! それだけが私の望みだもの!」

 彼女は言葉を続ける。

 最早それは自暴自棄からの言葉だと分かってしまった。

 かつて自分が経験した、感情を抑えられない状態。

「それじゃぁ……それじゃ同じじゃないか!」

 『発現』してしまった人と同じ。

能力を使うことの出来る者が、必ず経験しているはずのもの。

 でも全ての能力者が知っているそのことを、きっと彼女はそれを知らないんだ。

 

 彼女は、榊真白は特別な存在だ。


 彼女の力は現状発見されている力を持つ人間たちの中で、唯一『他者に触れる』必要のない能力を有している。

 それはただ『他者に自分の思いを伝える力』『他者と繋がる力』だ。


 『コーリング』


 『くみあい』はその特異性と彼女の力の発動条件から、彼女の力をそう呼んでいる。

 無条件に他者と繋がり、ただ自らの思いを伝播させていく。

 どんな感情であっても、その身を踊らせるだけで全てを伝えてしまうのだ。それが何の因果か、『発現』した人間を惹き付けてしまうために、僕たちはよく現場にかり出されているのだが、長さんのあの口ぶりを考えるに今の彼女に力を使わせるのは危険なのだと、俺にも理解出来た。

「ただ好きなことしていたいの。クルクル……クルクル踊っていたいの」

強く握られた拳が、見ていてすごく痛々しかった。

 唇をキュッと噛み、恨めしそうにこちらを見つめるその瞳が見ていてすごく辛かった。

一歩彼女に近付き、肩に触れようとする。

しかしその手が温もりに触れることはなく、乾いた音と共に、小さなその手に弾かれてしまった。

「それだけ……それだけなのに!」

 声を荒げて、彼女は僕の脇を抜けて走り去って行った。

街灯のない、細い路地を駆け抜けていった。

 僕は、すぐに彼女のあとを追いかけることが出来なかった。

 頭の中では彼女を追いかけようとしているのに、足がすくんで動く事が出来ない。

 思えばこれは初めての明確な拒絶。

 冗談で手を払われたことはあった。冷たくあしらわれたことはあった。だから今の彼女とのやり取りが夢だったかのように僕には感じられた。

 しかし、手に感じた鈍い感覚は本物だ。ジンジンと、痛みと呼ぶには弱々しいそれが、僕をようやく正気に戻してくれたのだ。

「何で……一人で!」

 駆けだす。

 もう彼女の後姿を見とめることは出来ない。でも彼女がやりたいと言っていた事を、望みだと語っていた事を考えれば向かうであろう場所の候補は自ずと理解出来た。

 彼女が走り去った路地を一気に走り抜けていく。

子どもの頃、遊び場にしていた路地。

 ここを曲っても行き止まり。

 真っ直ぐ行けば油臭い工場の入り口。

 記憶はハッキリしているのだが、成長し高くなってしまった目線では、少なからず噛み合わない部分もあった。何度も、何度もそういったミスを繰り返した。

 また目の前には家の塀。踵を返して彼女を探し続けた。

 しかしどういうわけだろう。土地勘のある僕ですら、こんなにも道を間違えてしまうのに、彼女が間違っている様子はない。

 彼女の速さになら、すぐにも追い付く事が出来ると思っていたのに、大きな考え違いをしていたのかもしれない。

 纏まらない考えを必死に整理しようとしていたからだろうか。僕の足から力が抜けてしまうような錯覚を覚えた。

 何て根性なしなんだ。

幾度目かの角を曲がりながら、自らを叱責する。励ましてくれるモノは何もないのだ。

今はただこの根性なしの身体に、必死に鞭打ちことしか出来ない。

でも根性だけではどうにもできないこともある。

少しずつ動かす足ががくがくと震え、胸を打つ鼓動は酸素を求め、今にも弾け飛んでしまうのではないかと思うほどにその速度を今まで感じた事のないほどに高ぶらせていた。

 いや。ただ酸素が足りないというわけではなかったのだ。

「……いた、よ」

 息を荒くしながら、僕はようやくその三文字を口にした。

 喉が痛い。酸素を求めて呼吸を繰り返しているためだろうか、疲れた時の特有の嘔吐感が身体を駆け巡っていく。

 しかしそんなことに気を回している暇はない。

必死に暴れる肺を落ちつけながら一歩、もう一歩そこに近付いていく。

閉館している図書館の敷地の公園。向かいには大きなガレージ、そして横には小学校。

夜も更けてくると全く人通りのない所に彼女はいた。

子どもの頃、僕もよくそこで遊んだ。電灯が一つしかない、遊具も何もないただの広場。

唯一の電灯に照らされながら、彼女は舞っていた。

昨日と何も違わない。大きくて、軽やかで、繊細な動き。

見る人を惹きつける、僕を虜にするモノ。

 しかし、いつもと一つだけ違う。一番大事なものが違っていた。

「何で……泣きそうなんだよ」

 そう。今にも彼女は涙を流しそうな、悲しみにくれた表情をしている。何時もは弾けるような笑顔をしているのに、それがないだけで胸が締め付けられた。

踊っていれば笑顔になれたのではなかったのか。

悲しみも、全て飲み込んで、笑顔を浮かべることが出来るのではなかったのか。

 辛い表情をしながら踊るだなんて、彼女らしくない。

 彼女が踊るべきものでは、絶対ないんだ。

「……ッ!」

 唇を噛みしめながら、彼女の方に足を進める。

今はとにかく辛そうにしている彼女を抱きとめてあげなくてはならない。

あと数歩、あと数歩で彼女に触れることの出来る距離。


ようやく彼女に触れられるという安心感からか、僕は完全に忘れていたのだ。

 自分が、自分たちが本当は何を追いかけていたかということを。


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