第10話 すれ違う気持ち
目が覚めた。かなり眠ってしまっていたのだろう。
外を見ると、空の青に橙色が混じり始めていた。
この風景が目に入ると、どうしても郷愁の念にかられてしまう。
見覚えのある路地。学校帰りに行った店。それらがより、その思いを膨らませていくのだ。
「……起きたの?」
「あぁ。おはよう、ございます」
不意に横の座席から声をかけられる。
その言葉に頷きながら頭を振って、寝ぼけた思考を揺り起そうとする。
ゆっくりとはっきりしていく思考。それと引き換えにぼやけていくのは先程までの夢。少し名残惜しいな……折角あの人に会えたのに。
「あと少しだね……」
「そうですね。確か長さんも現場入りしてるんですよね」
「うん。そのはずだよ」
真白ちゃんは無愛想にそう言い捨てて、窓の外へと視線を向けた。
普段とは全く違う彼女の表情に、どうしようもないほどのぎこちなさを感じていた。
間違いなく、戸田とのやり取りが尾を引いているのだろう。出来るなら現場に着く前に彼女とのわだかまりを解消しておきたかったのだが、そんなに甘くはないようだ。
「アズマ。着いた」
「……アズマ。外で待ってる」
「アズマ。急ぐ」
動き続けていた車が停まり、三人の声が僕を現実へと引き戻す。
これ以上何もしないというのは、悩みを更に肥大化させていくだけだったので、彼らの声は僕にとって救いだった。
「はい。ありがとうございました」
三人に頭を下げ、車外へと踏み出す。その頃には周囲を徐々に黒が侵食し始めていた。
車が停まっていたのは、人通りの少ない橋の上。数秒で渡れるほどの短い橋。その橋の向かい側、小さな赤い光を見て取ることが出来た。
「お、待ってたぞ」
スーツ姿の男性が手を上げて、こちらに手招きしている。
馴染みのある訛り。その響きを聞くとすごく安心することが出来る。
「遅くなりました、長さん」
「ごめんなさい~」
「いや、えぇよ。で、今回の件やけど……」
遅くなったことに対する謝罪を述べながら、彼の傍へと駆け寄っていく。
長さんの周囲に人がいないことを鑑みるに、他の人員は先行して任務に着いているのだろう。
煙を吐き出しながら正面に並んだ僕たちに声をかけようとする長さん。しかし言いかけていた言葉を止め、ジッと僕たちの方を見てからこう口にした。
「なんや、お前ら。どないしたんや?」
少し乱暴な口調だったが、そこからは僕たちに対する懸念が伝わってきた。
「いえ、特には……」
「何にもありませ~ん」
それぞれに長さんに返答をするが、彼はより納得のいかない表情。
口に咥えていた煙草を携帯灰皿に乱暴にしまいこみ、渋い顔をしながら煙を吐き出した。
長さんは渋い表情と違わぬ低いトーンのまま、
「シロ……ちょっとえぇか?」
彼女を手招きしていた。
「は〜い。何です、長さん?」
彼女は何を言われるのだろうかと、少し期待しているのだろうか。ソワソワとどこか落ち着きがない。
そんな彼女の方に手を置き、長さんは告げる。
「――今回は踊んな。力、絶対に使うな」
それは僕にとっても、そして彼女にとっても信じられない言葉だった。
「え……? な、何で?」
「今のお前に力は使わせられん」
「そ、そんな! 私にはそれしかないのに! なんで……なんで長さんはそんな意地悪言うの?」
しどろもどろになりながらも、彼女は長さんに問いかける。
理解できないのだ。何故好きなモノを制限されたいといけないのかを。
それは話を聞いている僕とっても同じだった。
確かに、真白ちゃんが踊ることと力の発動は連動している。でもその力の恩恵があったから、昨日だって『発現』してしまった人を呼び寄せることが出来た。
だからこそ、彼女の能力は必要不可欠のはずなのだ。
「そ、そうですよ……それに彼女の力があればーー」
「――カナ! 頼むから今は黙っとけ!」
長さんはこちらを見ず、真白ちゃんの瞳を見つめたまま僕の言葉を遮った。
咳払いを一つ。落ち着きはらって、
「シロ。今の気持ちで踊って、おもろいんか?」
シンプルにその一言を告げた。
思わずきょとんとしてしまう。
僕ですらそうなのだ。真白ちゃん自身も納得のいかない表情を見せて、ゆっくりと口にする。
「……おも、しろい?」
きっと彼女にとって、それは踊る中で垣間見えるものだったのだろう。
最初に抱えた気持ちなどは全く関係がない。だからその精神状態で踊ってしまっても問題はないと思っているのだ。
しかし長さんの、僕らの恩師の意見は全く違うものだった。
「あぁ、そうや。今の気持ちで踊って、それを目にした全員を楽しませる自信があるんやったら止めへん。好きなだけやってこい」
「……」
相変わらずの口調で長さんは続ける。
彼の言葉を聞き、彼女自身も思うところがあったのだろう。最早彼女に反論の言葉は残っていない様子だった。
彼女に残された術は、ただ俯いたままジッと俯いていることくらいだった。
「でも、踊れないと……私は……」
今にも泣き出しそうになりながら彼女はもう一度それを言葉にした。
そう。彼女自身が言っていた。
自分にはそれだけしかないのだと。
そのためだけに生きているのだと。
それを取り上げられて、彼女が正気でいられるはずがない。
「とりあえず! お前らは探すだけや。それ以上はしたらアカン」
そう言った長さんの顔もどこか悲しげに見えた。
乱暴に今回の対象となる人物について纏められた書類を僕に押し付け、苛立ちを顕わにしながら、胸ポケットから煙草を取り出し、火を点け三人の待つワンボックスの方に歩き去ろうとする。
いや、長さんを見送っていいのか。理由も告げられずに頭ごなしに禁止を言い渡されただけでは、きっと真白ちゃんは力を使う。
だからせめて、その理由だけでも告げてあげてほしかった。
「ちょっと! 何で真白ちゃんにあんな風にしか……!」
歩き去ろうとする背中に、僕は少し棘のある声を発していた。
待っていたと、そう言わんばかりに彼は踵を返してこちらを振り向く。
彼の表情は怒りと悲しみが混ぜあいになったモノ。そんなモノを見せられては、何も言うことなんてできないじゃないか。
「おぅ、お前。シロに何した?」
僕の耳元、僕にしか聞こえないくらいの声で長さんは問う。
「……ぼ、僕は」
「シロはな。ちょっとやそっとじゃ折れへん女の子や。お前もそれは知っとるやろ! それがあんなにも……今にも泣き出しそうな顔して」
そうだ。分かっていた。
原因は、彼女が浮かない表情をしている原因は、僕にあるのだと。
長さんはそれを分かっていたから、力を使えば何か不都合があるかも察知したから彼女を止めたのだ。
それくらい少し考えれば分かるはずなのに。
「悲しませんなよ……ホンマ、悲しませんなよ」
「僕だって、そうしたいと思ってるのに……」
彼の吐き出した声はすごく苦しそうだった。
そうだ。きっとこれは長さんにとっても苦渋の決断だったのだ。
僕たちはただの仕事上の部下というだけなのに、ここまで気を使わせているなんて。嬉しい気持ちと悔しい気持ちが僕の中で溢れそうになる。
「今はシロの事、お前に任せる……絶対守ったれ」
僕の肩にポンポンと二度手を置き、長さんは片方の手に持っていた煙草を咥え、深く煙を吸い込んだ。
「……」
煙草の先から立ち昇る煙を目で追う。
「――そうや。男やったらたまにはそうゆうギラギラした目をしやなあかんわな」
そう言いながら煙を吐き出す長さん。
周囲はもう完全に黒に染まっているため、彼の表情を読み取ることは出来ないのだが、声からするとおそらく意地悪そうな顔をしているのだろう。
「言われなくても……真白ちゃんは僕が守ります」
踵を返す。俯いたままの、落胆してしまった彼女の手を取ってあげたいから。
自分の好きなこと、やりたいことを制限されてしまった時、人は喪失感に耐えることが出来ないことを、僕はこれまでの生活の中で痛いほど思い知っているから。
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