第9話 夢 斯くして彼はその祝福(呪い)にその身に受ける
最初に思い出すのは、優しく穏やかな笑顔だった。
いつも笑顔を浮かべ、僕を見守ってくれていた。
気が付いた時には僕、そしてじいちゃんの二人暮らしで侘びしい生活だけれど、さびしいと思ったことは一度もなかった。すごく頼もしかったのだ。
両親がいつ亡くなったかは、あまり興味がなかった。
だって写真でしか知らない人たちだ。この人が貴方のお父さんとお母さんだよと言われても、全く実感が持てなかった。
でも、それを悲しいと思わなかったのは、じいちゃんが傍にいてくれたからかもしれない。友達から聞くお父さんの話がどれだけ格好良くても、お母さんに作ってもらったからあげが美味しかったと自慢されても、僕は羨ましいとは思わなかったんだ。
いや、羨ましくないなんて本当は嘘だった。
それよりも、自分には優先しなければならないことがあったんだ。
そう。僕はずっと急いていた。早く早く、誰よりも早く前に進みたいと思っていた。
その思いは年を重ねるごとに強くなっていった。
必死に勉強して成績を上げた。それが人生の選択肢を広げていくことだと、学校では教えてくれていた。
事実、それは本当の事だった。
知識を得るごとに視野は広くなっていった。
人が喜ぶであろうことを分析出来るようになれば、自然と僕の周りには友人と呼べる人が増えていった。
でも、僕の目的は一つ。
頭が良くなることでも、多くの仲間を得ることでもない。
ただじいちゃんに楽をさせてあげることが、僕の唯一の望みだった。
賢くなって、お金を稼げば楽をさせてあげられる。
安心させてあげられる。幸福にしてあげられる。
その為に早く、早く大人になりたかった。
今の学校に入った当初も、その気持ちは消えることはなく、むしろより大きくなっていった。
だから入学当初から常に成績トップを維持し続けた。
誰にも負けないように、自分を鍛え続けた。
その中でライバルと認めることの出来る人を見付け、そして本当に心を許せる友が出来たことは幸運なことだった。
でも僕はすぐにそんなモノにうつつを抜かしていたことに、後悔することになる。
無情にも僕の夢には時間制限があるということを、僕自身全くと言っていいほど理解していなかったのだ。
夏の暑い日、じいちゃんは亡くなっていた。
玄関に座り込み、眠るように息を引き取っていた。
その日もじいちゃんは僕を玄関まで見送ってくれた。
きっと、僕を見送ってすぐに息を引き取ったのだろうと、お医者さんは言っていた。
理解、出来なかった。
じいちゃんは大きな人だったのだ。
どれだけ僕の背が伸びていっても、どれだけ彼の腰が曲がっていっても、どうしようもないほどにじいちゃんは頼もしかった。
だからじいちゃんだけは、僕のじいちゃんだけは絶対に死なない。心のどこかでそう思っていた。
テレビや、新聞に報じられている悲惨なニュースも、近くでお葬式があったという話も僕たちの身には降りかからない。
少し浮世離れした、遠い世界の話だなんて思い込んでいたのだ。
その愚かしさを悔いて、能天気な自分を恨んで、僕は大事なモノを失ったと実感した。
それからだった。
自分と、世界が、ずれ始めていったのは。
最初はただ、少しの我慢が効かないだけだった。
例えば眠りを妨げる蚊を執拗なまでに追いかけることだったり、気に入らないテレビ番組に悪態をつき、チャンネルを消すことだったり。
誰もがしてしまうようなことだった。
それが徐々に悪化していく。
気に入らないモノに唾を吐きかけ、罵声を浴びせかけるようになった。
今だから言える。これが『発現』するということだったのかもしれないと。
だから良く分かるのだ。僕たちが今まで捕獲してきた、『発現』した人たちがどんな精神状態になっていたのか。
人を傷つけることに歓喜し、そして恐怖する。
人に関わることを恐れ、必要以上に欲する。
そして、自分が自分でいるということに、不確かさを覚え、絶望と希望の両面を抱いてしまう。
不確かさが自分の中で肥大した結果、選ぶことの出来る行動は一つ。
自らを傷つけることだけだった。
そしてまさに自分で自分を終わらせようとしていた時、僕に手を差し伸べてくれた人がいた。
それは自分には踊るだけしか取り柄がないと笑う女の子。
そして心根の強い、真っ直ぐな意志を持った男の人。
彼らが僕の前に現れてくれたから、大丈夫だと声をかけてくれたから、僕は心を落ち着けることが出来た。
暴れようとしてしまう僕を止めてくれたから、冷静に自分を見つめることが出来た。
そしてじいちゃんの死を受け入れ、感情を抑えられない自分自身を、普段とは異なる自分として受け止める。そして目の前にある困難を打ち崩し、自分を貫き通す意志を僕が得た。
それが出来た瞬間、僕はそれまでの自分の中にはなかった力に目覚めることが出来たのだ。
「与えられる能力っていうもんはな……人とどう関わりたいか、人と人との間でどう生きていきたいかって願うことから生まれるもんなんや」
能力に目覚めてすぐに、長さんが僕にそう教えてくれたことがある。
僕の場合は人と関わる中で、自らの意志を貫いていくことが望みとなり、それが対象を『穿つ』能力になっていった。
そして長さんはこうも言っていた。
「力を与えられた者は、苦しむ人を救わんとアカン」
シンプルな言葉だったけど、それは僕の中で大きく響いた。
生きる意味を失いかけていた僕にとって、それは一つの光になりえる。
そう実感できたから。彼が僕を救ってくれたように、僕もそれを誰かにしてあげることが出来れば、悲しむ人が少しでもいなくなればと思った。
そして今隣にいる人を、一人の女の子を守りたい。
自分には踊ることしか取り柄がないと笑ったあの女の子。
僕より年上なのにすごく子どもっぽくて、でも自分の好きなモノだけは絶対に譲らない女の子。
今パートナーとして隣に立ち、守り続けていたいと思わせてくれるこの女の子を。
真白ちゃんを、僕は守り続けたいんだ。
だから今、僕はこうして力を使い続けている。
大事だと思う人を守れない男は、何も成すことが出来ないって知っているから。
「あぁ。だから迷ってちゃいけない」
自分の声が頭に響く。
直にこの短い眠りからも覚めてしまうのだろう。
あまりに懐かしい光景ばかりを目にしていたから、僕はこれが夢であるということを必死に忘れようとしていた。
あまりに幸福で、忘れたくないものだったから。
それに目覚めてしまえば、そこには辛いことが待っているのかもしれない。
身体的に傷付くかもしれない。精神的に痛手を負うこともあるかもしれない。
「確かに……確かにそうだよ。でも僕はアイツに言ってやったじゃないか」
そうだ。確かに僕は彼に向って、夢の中で出会った『発現』した僕に向けて言ったではないか。
「安心して僕になれ……か。なんかヒーローみたいなセリフでカッコいいじゃないか」
意識が覚醒していく。
自分が何者だったのかを思い出した。その幸福感を手放してしまうのはあまりにもったいないものであると感じたが、それは後生大事にしていてもくすんでいくと僕は知っていた。
「今はここに置いていくよ。また、迎えに来るから」
抱え込んだ思いを静かにそこに置き、僕は出口へ向かって歩き出した。
その瞬間、目の前にはあまりに懐かしい人の影。
「うん。結構楽しいかな」
影の問いかけにこう答える。
腹を抱えて笑うことも、悔しくて涙することも、それはそれで全てが楽しい。
「無理は……してるよ。でもさ、その分楽しいんだ」
生きていくってことは少なからずそう言う事なんだ。
それから逃げられることの出来る人なんてきっといない。
「きっと、これってみんながいるからだって思う」
だからずっとここにはいられない。僕は影の脇を通り抜け再び歩き始めた。
その時、影に優しい一言をかけられたのだ。すごく嬉しくなる一言を。
手を振る影にもう一度、大きく手を振る。
もう何も見えなくなるまで、僕は大きく手を振り続けた。
「ありがとう、じいちゃん」
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