第8話 大切な人たちの大切な想いと



 その後、悶々としたさっぱりしない気分を抱えたまま、僕は授業を受け続けた。

 休み時間になる度に、鉄ちゃんと龍馬が何やら絡んできりバカ騒ぎをしていたのだが、どんなことを話していたかは、ほとんど頭の中に入ってこなかった。しかしそんな彼らの言葉が煩わしくなり、昼休みになった途端に教室から逃げ出して、そのまま午後の授業もサボってしまった。

 あと数分で最終の授業が終わるのだろうか。

 部活の時間にならなければ誰も寄りつかない、七階の廊下の隅に身を隠したままだった。

 逃げだして、誰のいないところで答えを探しても、何も出てこないと既に実感しているのに。

 ぼんやりと乳白色の壁を見つめる。

 そうすると戸田が、彼女の言葉がぼんやりと僕の中でずっと頭を擡げてくる。

戸田の夢乃という少女の事。考えてみればそこまで考えたこともなかったように思う。

 女子の中で一番仲の良い友人。

 勉強の面ではライバルだった人。

 どれだけ一緒にいても飽きない人だと、そんな風に考えていたのだ。

 しかし今日、戸田からのあの言葉は大きく自分を揺り動かしていた。

彼女が欲している言葉、それはもう分かっているんだ。

でも彼女が行っていた通り、勢いでその思いを告げても良いのだろうか。

だから思い悩んでしまうのだ。一体僕はどう言えばいいのか、どう伝えればいいのか。

「いきなり……ホントいきなり過ぎだよ」

投げ出した言葉が受け取り手のいないまま、壁に反響して消えていく。

 こんな時、真白ちゃんならどうするだろうか。

 こんな時、長さんならどうするだろうか。

「……こんな時まで、『人ならどうするか』かよ」

 そうだ。いつもそれを逃げ道にしてしまう。

 自分の大事な人がどう思うのか。

 自分の目標とする人がどのようにするか。

「分かってたじゃないか。逃げても、人のせいにしても何にも変わらないって」

 そう言葉にすると、少しだけ気が楽になった。

一人で考え続けても何も出てこないのなら、もう一度彼女の前に立ち、その時の気持ちで全てを決めてしまえばいい。

立ち上がり、グルグルと肩を回す。

何かを始める時の通過儀礼。

 強い自分に変わるために必要な行為。

 決心し、いざ彼女に向き合おうと階下に降りるために誰もいない廊下を歩いていく。

 聞こえてくるのは僕の靴音だけ。

 きっとあと数メートルも歩けば生徒たちが廊下を行きかっているだろう。

 あと少し、あと少しで……そう心の中で思っていた時だった。

「……こんな時に、お呼び出しかよ。タイミング、良過ぎでしょ」

唐突に、ポケットに収めていた携帯がブルブルと震えたのは。




 電話は言わずもがな、長さんからのものであった。

少し乱暴な説明であったが、一刻を争う状況で、今すぐ合流してほしいということだけはハッキリ伝わってきた。

少し気が引けたが、教室に戻ることなくそのまま外に出ることにした。

戸田との約束も自分の中で引っかかっていたのだが、今はそれよりも現場に行くことが一番重要だろうと割り切っていた。

「すいません、遅くなりました」

 校門の前に停まっていたワンボックスのドアを開け、中に声をかける。

「アズマ。少し急ぐ」

「……アズマ、速く乗る」

「アズマ。のんびりなヤツ」

 僕を出迎えたのは、いつもの三人組。

 彼らに軽く頭を下げながら、ワンボックスに乗り込む。

「あの、真白ちゃんは……」

「アズマ。サカキの事忘れてきたか」

「……アズマ。あの子の担当、お前」

「アズマ。本当にダメなヤツ」

 親指で外を指し示しながら、三人とも僕に真白ちゃんを捜しに向かうように指示を出す。

 折角戸田や鉄ちゃんたちに会わないように出発できるだろうと胸を撫で下ろしていたのに、結局こう言う展開になってしまうのか。

 はいと一言。僕は車のドアを開け、外を見る。

「あ! ちょうど来てるじゃないか!」

 そう。ちょうどいいタイミングで校門から出てくる真白ちゃんの姿を確認することが出来たのだが、何やら様子がおかしい。

 車の中からでは確認することは出来ないのだが、おそらく誰かと口論をしている様子だった。

「アズマ。早く呼ぶ」

「……アズマ。何してる」

「アズマ。とりあえず行け」

三人は口々に僕に対して、早く真白ちゃんを連れてくるように僕に言ってくる。

間違いない。今までにないような危険な状態になってしまっているのだ、

 僕は急いでドアを引き、外に飛び出す。

 真白ちゃんにも同じ内容の連絡が周っているのなら、何故急いでくれないのだろうか。

ぼんやりとそんなことを考えながら小走りで真白ちゃんの傍に急ぐ。

「真白ちゃーー」

「何でなんですか! 何で先輩ばっかり優先されるんですか?」

 放課後の、生徒の和やかな会話が繰り広げられている中、女の子の悲鳴にも似た大声が響き渡った。

 その声は一番会いたくなかった女の子の声。

「先輩が独り占めするから! だからわたしの事見てくれないんです!」

「ど、どうしたの? 何のこと言ってるのの? 私、全然分かんないよ……」

 戸田は鋭い瞳で、真白ちゃんは困惑した様子で互いに見つめ合っていた。周囲は下手に関わるまいと遠巻きにその様子を見守っている。

訳が分からない。ホント今日はタイミング悪過ぎるだろ。

「ちょっと! 何してるのさ、二人とも!」

 駆け足のまま二人の間に割って入る。二人は一瞬驚いた表情を作った。

 しかし次の瞬間、二人はそれぞれ先程まで見せていた表情に戻ってしまう。

「とにかく、東くんと関わらないようにして下さい」

 慇懃に真白ちゃんに向かって言葉を放つ戸田。

 まさか僕の名前が出てくるとは思わず、一瞬混乱してしまう。

「カ、カナタくんの事?」

「えぇ。貴女がいると東くんはわたしのこと考えてくれない! 折角……今日だけはわたしの事考えてくれるって約束したのに!」

 間に割って入っていた僕を押しのけ、言葉を続ける戸田。

もうここまで聞けば、戸田が俺に求めているモノがハッキリ分かってしまった。

そして僕が彼女にあげられるものではないとも理解出来てしまったのだ。

「いや、何言ってるんだよ。真白ちゃんは……」

「そうだよ。ただ私は、カナタくんと仲が良いだけで」

「ーーッ! 仲が……仲が良いのだけで一緒に住んでるんですか? 仲が良いだけで一緒に遅刻までしてくるんですか?」

 戸田の口から予想もしていなかった言葉が飛び出す。

 しかしまさか戸田が僕と真白ちゃんの事をここまで知っているとは、正直予想外だった。鉄ちゃんや龍馬ですら、真白ちゃんの事について知らないことの方が多いというのに。

「そ、それは……でも、お仕事が……」

 困惑しながらでも彼女と向き合わなければと理解しているのだろう。

 真白ちゃんはブルブルと震えながらではあるが言葉を紡いでいく。しかしそれがいけなかったのかもしれない。

「なんなの? 分かんないですよ! 二人でばっかり……二人だけで……!」

戸田が再び大声を上げる。瞳には大粒の涙を浮かべ、真白ちゃんに掴みかかった。

 戸田の運動神経もかなりのものだ。いくら身のこなしの軽やかな真白ちゃんであっても、簡単に逃れることは出来ない。

「――戸田!」

 いけない。

 心の中でそう叫び声を上げながら、再び二人の間に入り飛びかかってくる戸田を正面から受け止める。

 やはり女の子の力だ。男の自分が少し力を加えてやればいとも容易く止まってしまう。

「あ、ずま……くん?」

「頼む、やめてくれ戸田!」

「何でよ! そんなに先輩の事が大事なの?」

 声を荒げながら、彼女はジタバタと手足を動かす。

「わたしとの約束も破って、また先輩を優先するんでしょ! なんでよ、何でわたしも見てくれないのよ!」

最早力の加減も出来ないほどに、怒りで自分を抑えられないのだけなのだ。それが分かるから、だから僕は抱きしめてあげることしか出来ない。

 きつく彼女を抱きとめながら、耳元で、戸田だけに聞こえるように僕は声を発した。

「ゴメン、ちょっとだけ時間くれ。必ずちゃんと話すから」

 途端に戸田の身体から力が抜ける。

「……」

 しかし彼女から言葉が返ってくることはない。

 ゆっくりと彼女を見遣ると、顔に張り付いていたのは茫然とした表情。

 きっと僕が今放った一言も、彼女を傷つけてしまったのかもしれない。

 それでも戸田が悲しんでいるのだと分かっていても、僕は優先しなければならないことがあるのだ。それに僕は見付けていたのだ。

 取り巻きの中にこの場を任せてもいいと思える、信頼出来る友人たちの姿を。

「真白ちゃん……行くよ」

 僕は真白ちゃんの手を取り、この場から立ち去ろうと歩き始める。

 しかし彼女はまだ全く何も理解できていないのだろう。

 彼女の視線は茫然と座り込む戸田の方に注がれていた。

「ーーほ、本気なの? 本気であの子のこと、置いていくの?」

 視線をそのままに、彼女は疑問を投げかける。

「……早く、行こう」

「何で? 私まだ分かってないもん! あの子が怒ってる理由も、泣いてる訳も!」

 初めて見る。初めて彼女から嫌悪の眼差しをぶつけられる。

 そうだ。彼女の手を取った時、覚悟していたのだ。

戸田が自分に敵意を向けてくる理由。

彼女が今、涙を流している理由。

そして涙を流す彼女を見捨てて立ち去ろうとする僕。それら全てがきっと、僕に対する不信感に置き換えられているのだろう。すべて事実なのだから、僕に弁解出来ようはずがない。

それでも今だけは自分の我を通す。

「頼む……今は、僕に着いて来てくれ」

真白ちゃんの手を引く。自分でも考えられないほどに、弱々しい力で。

その様子に真白ちゃんも何かに気付いたんだろう。一瞬唖然とした表情を見せたが、すぐに俯き、僕が腕を引くままに歩き始めてくれた。

「……ゴメン、戸田」

 どうしようもないほどにダサいも理解できていた。

 でも、僕が口にできるのはその一言だけだった。

「謝らないでよ……」

 ただ、小さな声で戸田がそう言ってくれたことだけが、僕にとっての救いだった。

その言葉に頷き、真白ちゃんの腕を引きながら、車へと戻って行く。

気付かぬ内に僕らを取り囲んでいた生徒たちの間を通り抜けながら進むのは非常に骨が折れる。それに真白ちゃん自身も、未だに険しい表情のまま、戸田の方を見つめている。

何も説明をしないままという罪悪感が胸を過ったが、とにかく今は移動することを考えよう。

 生徒を掻き分け、ようやく車の前に戻ると三人組の内の一人がドアを開け、すぐにでも出発できるように準備してくれていた。

「ごめんなさい、遅くなって!」

「アズマ。もう時間ない」

「……アズマ。とにかく急ぐ」

「アズマ。速くする」

 相変わらずの皮肉を見舞われながら、でもそれがひどく嬉しかった。

 最悪の自分がどこか、いつもの自分に戻れるような気がした。

 三人に返事をしながら、僕たちはワンボックスに飛び乗る。

それと同時に燻っていたエンジンは音をたて、車は一気にその場から急発進する。

一気にスピードを上げ、車は進み前を行く車両を抜き去っていく。運転の荒さから、もうほとんど時間がないのだろうということは読み取ることが出来た。

しかし車内はあまりに静かで、居心地の悪さすら感じていた。

「状況はどうなってるんです? あと目的地って?」

 僕がそう言うと、三人は言葉を選んでいるのか、すぐに答えが返っては来なかった。少し待ったが、なにも返ってこない。僕がもう一度質問をしようと口を開いた時。

三人はようやくいつもの調子で話し始めた。

「アズマ。落ち着け」

「……アズマ。目的地はお前も知ってる場所」

「アズマ。お前の故郷」

 三人の言葉に、気が遠くなるような印象を受ける。

 出身地。僕がかつて住んでいた場所。

 最近の忙しさにかまけてすっかり忘れてしまって……いや違う。忘れたふりをしていた。

 僕があの場所を、大事なあの場所を忘れるはずがないのに。

「あそこって、結構ここから離れてますよね?」

 混乱する中、どうにか真っ当である様な質問を切りだすことが出来た。何だろう。何かに揺さぶられるような気がする。視点が定まってくれない。

「アズマ。今は落ち付け。」

「……サカキ。お前もしっかり休む」

「二人とも。少し大変になるかもしれない」

 その言葉を発したきり、三人は何も言わなくなった。彼らが押し黙っている理由が何となくではあるが分かる。ただ僕たちを少しでも休ませたいと思っているからなんだろう。

実際、戸田とのやり取りで少しばかり疲れてしまった。

真白ちゃんも押し黙ったまま、口を開こうともしない。ただ真白ちゃんの浮かべる暗い表情は、どうしようもなく僕を不安にさせた。

 今はとにかく目を閉じよう。

少しでも気持ちを上向きにさせるために。少しでも正確に力を行使できるように。

 そう言い聞かせながら僕は瞳を閉じた。

少しでも抱えた不安を忘れるために。少しでも恐れを打ち消すために。

 ぼんやりと意識が薄れ始めていく。

これで一時的に忘れることが出来るんだ。

 今日の戸田とのやり取り。

 真白ちゃんの、僕に対する嫌悪を籠めた瞳。

 しかし一つだけ、全てが薄れていく中で、それだけがいつまでも消えない。

それは僕の脳裏に焼き付いて離れないモノだから。

だから、どうしてもそれだけは思いだしてしまうのだ。

生南(いくなみ)。僕がかつて住んでいた場所。

僕が『発現』してしまった土地。

そして僕が家族と、じいちゃんと最後に過ごした街。



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