第7話 不意に変わっていくもの


 予鈴の鳴るにはまだまだ余裕のある時間。昇降口で真白ちゃんと別れた僕は、自分の教室に向かう。まだ少し早いからだろうか、歩を進める廊下にはほとんど人がいない。

誰もいないのだろうと思いながら教室の中に入ると、もう既に数人の生徒の姿。

「お、今日は遅刻ではないのだな」

「あ~カぁちゃんおはよう」

鉄ちゃんと龍馬は元気よくこちらを向きながら挨拶をしてきたのだが、何故か僕の席にへばり付いていた。

何で自分の席についていないのか。少し苛立ってしまうのだが、とりあえず今は飲み込んでおこう。

「……二人とも。昨日は目当てのモノは手に入れられたのかな」

「あぁ。この俺が目的を果たさないことなど、あり得ないだろう」

「あ~からあげ美味かったよ。今日も行こうよ」

「で、昨日僕を置いていったことに対する謝罪は?」

「む? 何やらトぉさんと良い雰囲気だったではないか。我々は邪魔をしないようにと……」

「あ~お腹減ってたからなぁ」

 さも当然であるかのように各々の主張を繰り広げる二人。

 うん。置いていったという理由が斬新過ぎて、頭が凄く痛くなる。

とりあえず、今度からは一言言ってから先に行けよ!というかまた戸田のことをトぉさんだなんて呼んでるよ。ボチボチ聞かれて怒りの鉄槌が下っても知らないぞ。

「へぇ。そうか……そうなんだ」

 冷ややかに、努めて冷ややかに二人に対して言葉を発する。

 僕が苛立っているのをようやく理解したのだろうか、昨日と同じように僕に席を譲る二人。僕たちのこのやり取りが、クラス中から最早コントと思われているんだろうなと苦笑いしながら椅子に腰かける。

 何を笑っているんだと鉄ちゃんからツッコミを入れられたが、とりあえず今は笑って誤魔化しながら机と鞄の中を整理していく。

「――で、昨日は戸田と何の話をしていたのだ」

 視線を鞄の中に向けている僕に鉄ちゃんは何も隠すことなく、ストレートに昨日の僕と戸田のやりとりについて質問してくる。

 全く、節操がないというかなんというか。

「うん。ノート貸してくれたんだよ。しっかり勉強しなさいよって」

「ほぉ、あの戸田がね」

 意外そうに声を上げる鉄ちゃん。そして隣で立っている龍馬は何故か呆れたと言わんばかりの表情を僕に向けている。

「あ~カぁちゃん、本当にそれだけなのかな」

 珍しく食事以外の事を僕に話しかけてくる龍馬。

 こいつが少し真剣になる時は、絶対に腹に一物抱えている時なのだが、とりあえず素直に答えることにした。

「あぁ、そうだな。鈍感とか言われたような……」

 僕の言葉を聞くと、ピクリと眉根をつり上げながら溜息をつく二人。

 あった事実をそのまま伝えただけなのに何か呆れているというか、苛立っている様子なんだけど、一体どうしたんだろうか。

「あ~鉄くん……この人、本当にダメな人です」

「あぁ。女の敵は燃えるゴミと一緒に焼かれてしまえ、この野郎」

 二人は納得したように頷きあって、僕の席から離れていく。

「え、ちょっと! 何で無視するの? おーい」

僕の呼びとめる声に振り返らず教室の外へと出ていく二人。

まただ。今日も振り回されっぱなしだよ。

僕は二人の後を追うために廊下に出ようと席を立った時だった。


「あら。東くんの方が早いなんて……雨でも降るのかしら」


教室の出入り口、昨日と同じように戸田が立っていた。

「お……おぉ、おはよう」

何故かすぐに言葉が浮かばない。

皮肉られているのに、それに返す言葉が口から出てこない。

何かを言おうとする度に、頭を過る昨日の戸田の笑顔。

次第に鼓動が速くなっていく。おかしい、本当におかしい。

 何故こんなにドキドキしているのだろうか、自分でもその理由が分からなかった。

「どうしたの? 元気ないわね。普段早起きなんてしてないんだから、調子狂ってるんじゃないの」

「いやいや、人を怠け者呼ばわりするなよ。こう見えても規則正しい生活は送れてるはずなんだ」

「その割には遅刻魔だし早退も多いけどね」

「……あ~確かにそこは仰る通りで。何の反論もございませぬ」

 深く頭を下げる。僕の行動に戸田は少し顔を歪ませながら、自分の席に移動していく。

 中央の筋の一番前。つまり教卓の前という、勉強好きの彼女にとっては絶好のポジションに座しながら、彼女は僕の方を見ずにこう尋ねる。

「昨日のノート、役に立った?」

「あぁ。要点も纏められてて、すごく分かりやすかった」

「すぐには、返さなくてもいいからね」

「おぉ、良いのかよ。」

「しっかり勉強してくれないと、貸してる意味もないしね」

 彼女の言葉に自然と口元がほころんでいく。

 憎まれ口ばかりしか聞こえてこないのだが、それでも戸田と話すのは楽しかった。

「東くんにはライバルでいてもらわないと」

「それにしたって、今の僕より成績の良い子はかなりいるぞ。逆に僕につっかかってばかりじゃ、伸びるものも伸びないぞ?」

「違うのよ。東くんは、わざと力抜いてるでしょ」

 それが気に食わないのよと呟く。いつの間にか表情は真剣なものに変わっていた。何だかさらに調子を狂わされてしまう。一体彼女はどんな言葉を僕に期待しているのか。

「確かに成績は落ちていってるけど……」

「何の努力もしてないからよね」

「今更必死に勉強したって、それなりの成績しか取れないと思うんだけどな」

 努めて冷静なままで彼女に言葉を投げかける。本当は今すぐにでもこの空間から逃げ出したかった。ただ事実だけを突き付けられるだけだと分かっていたから。

 それでも、僕の表情が険しくなっているのを分かりながら、彼女は言葉を続けた。

「東くんが必死に勉強した結果のそれなりの成績って、わたしがどれだけ頑張っても追いつけないくらいなのよ。知らなかった? 私、実はすごく頑張って勉強してるのよ」

「戸田が頑張ってるのは、知ってる。当たり前の事じゃないか」

 彼女のすぐ傍まで歩み寄り、そう口にする。

本当に、戸田が凄く頑張っている事は僕だって理解していた。

 テストの度、成績もより上位にランクインしていっているし、授業のときだって誰よりも真剣に受けている事は知っている。

 逆に僕はどんどん順位も下がっている。授業だって全く真面目に受けてない。

 彼女が言うような、僕はすごい人間ではないのだ。

「買いかぶり過ぎだって。僕にはそんな価値ないよ」

 彼女の瞳が大きく見開かれる。

「――ねぇ。わたしが頑張っている理由、本当に気付いてないの?」

 立ち上がり僕の正面に立つ。

 僕を下から見上げる形になるが、見た目よりも大きく見える。

「わたしが、東くんに認めてもらいたい理由、本当に分からない?」

「……」

「つまりね、わたしは……あぁ、ごめんなさい。急にこんな話してもダメよね」

 彼女は自分の両の手を合わせながら、少し悲しげな笑顔を見せた。

「なん、だよ。最後まで言えばいいじゃないか。戸田らしくないぞ」

その笑顔を見ると胸が締め付けられた。

我ながらこうなってしまった時、自分がどうすればいいのか全然わからない。

「じゃぁ、今日の放課後……にね」

「――放課後?」

「そう、放課後。わたしに時間ちょうだい」

 そう言いながら僕にそっと頭を預け、そっと目を閉じた。

 これではまるで恋人たちの逢瀬のようではないか。

 きっと今僕は彼女を抱きしめないと、この両手で抱き締めないといけない。それは分かっているのに、緊張のためか身体は動いてはくれない。

「今じゃ、ダメなの?」

「ーー今は、ダメ……」

 ようやく口をついて出たのはその言葉だった。我ながら、男として情けない。

「理由、聞いていいのか?」

「えぇ。だって……勢いで言っちゃ、ダメな気がする。いや、違うな。絶対にダメなの。今言っちゃっても、東くんには全部伝わらないと思うしね」

そっと身を離していく戸田。

「だから少しだけ考えてみて」

 彼女がどこかに行ってしまう。それがたまらなく嫌で、捕まえないといけないと思った。

 離れていく彼女に、僕は必死に手を伸ばす。

「あ……」

 しかし僕の手は空を切る。ようやく動いてくれたはずなのに、何もなし得ないままにどうするべきか分からぬままに、彼女は出入り口の方に歩いていく。

「少しだけ……今日一日だけ、わたしのこと考えてみてよ」

 悲しげな微笑みを見せ、彼女は廊下へと歩み去っていく。

それと入れ替わるように、大勢のクラスメイトがぞろぞろと教室の中に入ってきたため、すぐに彼女を追いかけることが出来ないまま彼女を見送ることとなった。

 なんだよ……ホント、調子狂っちまうよ。



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