第5話 僕の守りたいもの 〜夢の中へ〜
「あ……早く行かなきゃ」
どれくらい惚けていたのだろうか。何人かの生徒が僕の脇をすり抜けて行った頃、ようやく正気を取り戻し、僕は踵を返して階段を下って行く。
今日は常に誰かに振り回されてしまっている気がする。人と関わりを持つ頃が出来ていることは非常にいいことだと思う。とりあえず明日朝一番に鉄ちゃんと龍馬に一は言物申さなければいけないだろう。友達としてやる時はやらないと。
昇降口に着くと、僕と同じように帰宅する生徒、練習の準備をする部員たちで昇降口は溢れかえっていた。それに目をやりながら階段を降り切り外へ出る。
陽はまだ高く、青空が視界いっぱいに広がっていた。少しだけ暑さも和らいでくる時間帯だ。足取りも今朝よりも少しは軽快なものになっていた。
「真白ちゃん、どこら辺にいるのかな」
独り言を呟きながら彼女を探す。
あの小柄な体格だ。見付けるのには骨が折れるかと覚悟していた矢先、すぐに彼女を見付けることが出来た。
「ホント、踊っている時だけはな……」
守衛の詰め所の前、クルクルと舞う一人の少女の姿。
やはり彼女の踊りには人を引き付ける何かがあるのだろうか、帰ろうとしていた多くの生徒たちは足を止め、彼女の踊りに見入っていた。
「ホント朝もそうだけど、本当に綺麗だ」
僕も同じように彼女の動きに見惚れてしまう。
そもそも彼女の踊りに、彼女の一挙手一投足に僕は夢中になっているのだ。
何の覚悟もせずにこんな場面に出会ってしまっては、見惚れてしまうのも無理はないだろう。
「お~カナタくん、待ちわびたよ~」
パタリと動きを止め、僕に向かって手を振る真白ちゃん。一瞬、彼女を見ていた生徒たちの視線が一気に僕に集まる。
ダンスが終わってしまったからだろうか。彼女を見ていた生徒たちはようやく帰路に着いていく。
ようやく本来の下校時の風景が校内に戻ってきた。
「お待たせしました。どうしたんですか。こんなところで踊っちゃって」
謝罪の言葉を告げ、地面に置かれていた彼女の鞄を手に取る。色々と聞きたいこともあったのだが、僕は一番の疑問を口にする。
長さんから口酸っぱく、僕と一緒にいない時は踊ってはいけないと注意されているだけに、簡単に忘れていることはないと思うんだけど。
「いやね、守衛さんに踊り見てもらおうと思ったんだけど……」
アハハと苦笑いを浮かべながら彼女はバツの悪そうな表情を作っていた。
あ、この人完全に忘れてたのか。まぁ何事もなかったし良しとしておこう。
「凄いダンスだったね。綺麗で、見ているこっちも楽しくなったよ」
声のする方向に目をやると、詰所の窓から守衛が僕たちに手を振っていた。
顔には浮かべているのは優しい表情。
どうやら真白ちゃんの踊りを心から楽しんでくれたのだろう。素直な反応に、僕の方も少し嬉しくなってしまった。
「さ、帰ろっか」
「そうですね。明日は朝から学校に来れるといいですね」
手を差し伸べてくる真白ちゃん。僕たちは彼に会釈をし、帰路に着く。
「そうだね~それで明日一日いい天気だったら言うことなしかも」
空を見上げてそう口にする彼女はあまりに晴れやかで、やっぱり見ていてすごく面白い人だなと心から思った。
こんな彼女と一緒に過ごすのだ。
明日も、彼女が言った通り、燦々と太陽の輝く天気であってほしいな。
不思議な夢を見た。
一人の男の子が、蹲りながら何かに悶えていた。
周囲は漆黒に染め抜かれ、唯一彼だけがスポットライトで照らされていた。それが彼の孤独をより色の濃いものにしている。
「分かんないよ!」
少年は僕に何かを語りかけようとしているのか。
声を荒げたと思うとこちらを睨みつけているようであった。それは怒りと悲哀が混ぜあいになった表情であった。
「何でだよ。自分勝手にしちゃいけない理由がどこにあるんだ! 僕の思うように行動して、僕の望むように欲して何が悪いんだ! 何で誰かに遠慮しなくちゃならないんだよ! 理由があるなら教えてよ!」
這いながら僕の方に少年はやってくる。
零れる涙を拭うこともせず必死に、ただ必死に言葉を発し続けていた。
何故だろう。今すぐにでも駆け寄りたいはずなのにそれが出来ない。縛り付けられているように身体が動かないのだ。
「僕は……何なんだよ」
少年の手が僕の足に触れた。
その瞬間、何かに刺し貫かれたような痛みが脚部を駆け巡って行く。
あぁ、そうだ。この痛みだ。
何故少年が涙を流しているのか、何に苦しんでいるのか。
この痛みを受けて僕はそれを理解した。いや、思い出した。
「僕、ここにいちゃいけないのかな」
彼の掌が僕の腕に触れた。強くはない、身体を揺すればすぐにも振り払えるほどの強さ。
ただどうしようもない痛みが腕に、そして全身を駆け巡って行く。
今にも崩れ落ちてしまいそうなのに、この動かない身体ではどうすることも出来ない。膝をつく事すら許されていない。
再び大粒の涙が零れ落ちる。
あぁ、違う。これは少年が零したものではない。
「そんなこと、ないに決まってるじゃないか……」
この涙は僕が流したものだ。
この痛みは僕が今もなお、人に与え続けているものだ。
「まだ何にも始まってない」
いつもダメだと思っていた。
覚悟の仕方なんて知らなかった。
諦める方法すら分からなかった。
ただ僕に出来るのは、溢れ出る感情を押し止めることに必死でもがくだけだった。
そして、それら全てが出来なくなった時、自らを終わらせようとした。
「――なぁ。僕はまだ少しだけ先を歩いているだけだけど、少しはマシになったよ」
そう。僕はただ先を進んでいるだけ。
この少年の数歩先を歩き続けているだけなんだ。
「だからさ、前見てくれよ。今をしっかり見てくれよ」
腕が動く。痛みに痺れるその腕で少年を抱きしめる。
出来る限り優しく。かつて大好きだった人がしてくれたように。
一瞬ビクリと少年の身体が震える。
怯えているんだ。
そう。いつ誰かを傷つけてしまうかも分からないのに、人と触れあうことなんて、そんな勇気を持てるはずがない。
そう。それが分かるんだ。
この少年は僕。『発現』してしまった頃の僕。
周囲の全てを傷つけてしまうかもしれないと恐れて、しかしその感情に逆らうことの出来なかった僕だ。
「あった、かい……じいちゃん、みたいだ」
ぽつり。涙が流れるように、言葉が零れ落ちていく。
「あぁそうだな……きっとお前もじいちゃんみたいになれるよ」
僕もそれを目指しているんだから。
そう付け足しながら、次は強くしっかりと少年を抱きしめる。
傷つけると分かっていても誰かと触れあいたいんだ。
触れあって、傷つけて、欲して、愛していく。
誰にでも優しく出来る人は、それをきっと知っているから。
「だから、受け入れることに怯えちゃいけない」
彼に言葉を贈る。
これは僕を救ってくれた人がくれた言葉。
「いつでも、僕らは一緒だ」
徐々に空間が白み始める。
覚醒の時が近い。ただ、ただ最後に少年の表情を見たかったけど、覚醒の光は一瞬で僕の視力を奪い去って行く。
「歩き続けて、幸せになったの?」
それは今にも掻き消えそうなほどの小さな響き。
あぁそうだよな。それがどうしても不安なんだよな。
「何言ってんだうよ……」
だから僕は答えるんだ。
あの人が、長さんが僕にしてくれたように。
「幸せじゃないはず、ないじゃないか」
笑顔。自分が出来る最高の笑顔で僕は、かつての僕へ言葉を返した。
「僕が今持っているモノは……全部お前のために用意されてるモノなんだ。お前が手に入れるモノなんだよ」
まだ道の途中なんだ。
今までも、そしてこれからも、楽しいことや幸せなことなんて両手じゃ抱えきれないくらいあるはずなんだ。
「――だからお前はさ、安心して僕になれ」
だから素直にそう言える。
今僕の周りには支えになってくれる人も、守りたい大事な人もいるから。
陳腐な言葉になってしまうかもしれないけれど、でもそれが、僕の心からの思いだから。
今の僕は、かつての僕は一体どんな顔をしているだろう。
もう何も見えない。
だからせめて幸福な表情をしていることを信じて、僕はゆっくりと目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます