第4話 僕らの日常3


 みたいだ。というのは僕がまだ長さんたちに面倒を見てもらうようになって、一年ほどしか経っていないので過去のデータをよくは知らないからだ。

ただ僕が真白ちゃんとコンビを組んでから今日まで、両手では数えられないくらい現場を処理してきたことから考えるに、大変な状況にあるのは事実だろう。

そもそもこの状況の根底にある原因は、近年の『発現』してしまった者の増加にある。

あまり難しいことは分からないのだが、いわゆる社会不安が広がってしまった時にその兆候がよく見られるそうだ。

ちなみに最初に『発現』してしまった人が確認されたのが、ちょうど五十年前。昨今のように社会不安がささやかれていた時代だ。

 そんな不安な状態にあれば、自分自身を律することが出来なくなることはある意味仕方のないことなのかもしれない。

 ただ最近よく考えてしまう。

 『発現』とは、普段とは異なる自分自身との対面であるのではないかと。

 それを自分として受け入れることが出来なかった者や流されてしまった者が、今朝の男のような凶行に走ってしまうのだ。

「でもな、誰かがそれに歯止めをかけなアカンのや。誰か力のあるもんが第一線に立って壁になったらなアカン。傷付かんでえぇ奴が傷付く前に止めたるんや」

 真剣な表情を見せながら長さんは語る。

かつての自分がそうであったと、誰にも止めてもらえない苦しみを知っているからこそ、彼は行動している。社会から外れようとしている者を、在るべきところに戻すために彼は己の信念を貫き通しているのだ。自分には、自分の仲間にはその力があると確信しているから。

「それが、俺らの仕事や」

 そう。それが僕らの仕事だ。

大きな力の波に流されるのではなく、受け入れることが出来た者。

そして受け入れた先に、普通の人が有しない力を手に入れた者。

 つまり僕たちのように『発現』したことを経て、能力を得るに至った者たちが創り上げたもの、そしてこの国における『発現』した者の管理や処理など受け持っているのが僕や真白ちゃん、そして長さんたちが所属する組織なのである。

 ついでに余談ではあるのだけれど、この国には全国を全部で七つの地区に分け、その地区ごとに管理組織がある。その中でも長さんはかなりの影響力を持った存在なのだそうだ。

ちなみに入口に書かれてあった『くみあい』という表記であるが、長さんがいたく気に入っているらしいそうだ何でも僕らの組織の名称を本当に『くみあい』にするとこの間話していたのは夢だと思いたい。うん。凄くそう思いたい。

「まぁ力み過ぎんと、楽にしてやればそれでえぇはずや」

もうそんなこともあってか、目の前でニヤリと口元を歪めるこの人からがとてつもなく偉い人だなんて全然想像もつかないのだけど。

とにかく『くみあい』に属する僕と真白ちゃん、そして長さんも固有の力を有している。


 僕の場合は、今朝の男に見舞った、『穿つ』力がそれだ。

 発動条件は二つ。


 僕から相手に触れること。

 そしてそれを穿ち貫き通すという意志を持つこと。


 その条件が揃って初めて僕は能力を行使することが出来るのである。

ちなみにどの能力者にも言えることなのだが、前提条件として作用を起こしたい対象に『触れる』ことが必要なのだ。『触れる』ことが出来なければ何も起こることはないし、することも出来ない。

つまり魔法のように手から火を出したり、呪文を唱えて雷を降らせたり、離れたものを念動力で動かしたり、この世のものではない生物を呼び出すなんてことは出来ない。

 変化を起こしたいと思う対象に触れなくては何もすることが出来ないのだ。

何と使い勝手の悪い力であろうか……まぁ唯一それに当てはまらない人物もいる。それが我が守るべき相棒、真白ちゃんなのである。

まぁとにかく僕としては、自分の力はあまりに暴力的過ぎるので、あまり使いたくはないし、使う際も慎重にならざるを得ないのだ。

「お~いカナタくん。お待たせなのです」

 僕たちが通ってきた廊下の方から響いて来る鈴の鳴り響くような声。

 ブンブンと手を振りながら小走りでかけてくるのは言わずもがな、我が相棒の真白ちゃん。

 紺のブレザー、緑のストライプ柄のスカート、白のシャツに赤のネクタイというどこにでもある、小綺麗な制服に身を包んだ姿もさっきまでと赴きが違ってなかなか可愛いではないですか。

「ん。じゃぁ行きましょうか」

 でも可愛いとは決して口にしない。

 何となくそれを言葉にしてしまうと気恥ずかしくなって、彼女のことを真っ直ぐに見ることが出来なくなるような気がするから。

だから出来る限り、僕は特別な感情を籠めずに言葉を選ぶのだ。

ちょうどいい距離感を維持しながら。

「シロ。車に気を付けるんやで」

「長さん、また後で~」

 こちらに掌を見せながら、映画に出てくるネイティブアメリカンのように別れのあいさつを告げる長さん。

 彼女も同じように手を上げてそれに応じる。

 さながら映画のワンシーンだけれども、パソコンが所狭しと設置されているこの場所では違和感しかない挨拶だ。

「カナもな。気引き締めていけよ。お前も間の抜けたヤツやからな」

「ひ、一言余計ですって! もう勘弁して下さいよ」

 意地悪な笑顔を浮かべながら僕をからかう長さんは凄く楽しげで、このまま言わせておいてもいいかと一瞬思ったのだが、さすがに言われるがままというのは精神的によろしくないし、今日はずっと怒られっぱなしだしからかわれているだけなら言い返すのもありだろう。

僕の返答に驚きの表情を見せた長さん。

ただ一言「言い返せるやないか」と呟き、すぐに嬉しそうに顔を歪めた。

 怒られると思っていただけに、この反応には正直びっくりしてしまった。

 うん。まだまだ長さんの事、十分には理解できていないということなのだろう。

「そかそか。すまんな。まぁお前も気を付けて行けよ」

「はい、ありがとうございます。では行ってきます」

長さんの見送りを背に受けながら僕たちは一路、先程通ってきた通路を逆に辿っていく。

 学校に到着する頃にはもう昼休みも半ばに差し掛かっているかもしれないけれど、今日は長さんの知らなかった表情を見ることが出来たということで良しとしておこう。

「カナタくん、なんか来る前とは全然違う顔してるね」

「どういうことですか」

「なんかね~。元気いっぱ~い、元気ひゃくば〜いって感じかな」

「いやいや、どこかの子供向け番組のヒーローかよって……まぁそう言う意味じゃないんですよね」

「そうだよ~。私はいつでも真面目なことしか言いません! 『くみあい』のボケ要員などではございません」

 興奮気味にそう口にする人が、ボケ要員じゃないわけないだろうと心の中でツッコミを入れながら、そうですねと一言。

 うん。こんな調子で話をしながら歩いていたから、現場からここに来るまでに一時間以上もかかってしまったんだな。これは反省せねばなるまい。

とりあえず、彼女に会話の主導権を握られないことから始めようと思う。

まぁ、簡単なことではないかもしれないけど。

などと決意してみたものの、とりあえず先に、今すぐにクリアしなければならない問題があることを僕はすっかり忘れていた。

「またあの暑い中歩くんだよね……絶対しんどいよね」

「うん。まぁボチボチ行きましょう」

 眼前には数十分前に降りてきたエレベーター。

 今は何を考えてもしょうがない。

 このエレベーターに乗り、速く外に出なければ学校の次の授業にも遅れてしまうだろう。

「ささ、行きましょう。お姫様」

真白ちゃんの小さな手を取り、僕はエレベーターの内部に向かって自らの足を動かし始めた。

 背後からキャッと小さく驚きの声が聞こえはしたが今は彼女の表情を見る事は止めておこう。

 そもそも手を触れられることが嫌ならば、早々に振り払う。彼女はそういう女の子のはずだ。

とりあえず今後の真白ちゃんへの対抗策を実行する前に、まずはエレベーターをおりた後どんな会話を進めるべきか、それだけに頭を巡らせる事にしよう。

それくらい出来ないと何を思ったところで、きっと真白ちゃんの隣に立ち続けることは出来ないのだから。




 ポーンと優しい音色を奏でながらエレベーターが止まり、僕たちは足早に外へと歩き出す。

 少し歩を進めただけで人通りは多くなり、飽きるほどの人の多さに溜息をつきながら、僕は真白ちゃんの手を引きながら来た道を戻っていた。

 そう。先程まで歩いていた通りに面して、僕らの学校は建っているのだ。

 わざわざ来た道を戻らないといけないと思うと億劫で仕方がないのだが、長さんに見送られた手前無断で休むことなんて出来ようはずもない。

「……にしてもなんですか、この暑さは」

 額に浮かぶ大粒の汗を手の甲で拭いながら、今日何度目になるか分からないがそんな言葉を吐き出してみる。

 決して暑さが和らぐわけではない。ただの気休めのための言葉ではあるけれど、今の僕にとっては言葉にできる唯一のものだった。

 そう。おかしいのだ。

 長さんのところに向かう前に手を繋いだ時はいつもと変わらず、いつもの調子で話を続けてくれていた。

 しかし今はどうだ。

 先程までの快活さはどこへやら、真白ちゃんは俯いたまま僕に引かれるままに歩みを進めているだけだった。

 やはり急に手を握ったのはまずかったのか。それともあの時口にした言葉が気に食わなかったのか。無言の状態ではそれらを推し量ることは出来ない。

とりあえずこの状況ならば誰でもついつい口にしてしまいそうな一言で様子を窺うしか出来なかったのだ。

「……ん? ゴメン、何か言ってたよね」

 パッと顔を上げ、彼女は申し訳なさそうな顔を見せる。

「い、いや。大したことない話ですよ」

「いや~ゴメンねぇ。完全にぼーっとしちゃってました」

 どうやら本当に何も考えてなかったようだ。

 何ていうか、それはそれで凄く悲しいのだけれど。

「お、怒っているわけでは……」

「何故に怒るの? なんかあったかな」

 アウト。自意識過剰な僕、アウト。

「あ~ごめんなさい、忘れて下さい」

「む~なんか隠し事してるでしょ」

 とりあえず何もなかったことにしてその場を紛らわそうとするも、彼女の前ではそれも無意味みたいだ。

 嘘を吐いたとしても追及され続けるのがオチだろう。僕は一度咳払いをして、

「……黙ったままだったから怒ってるのかなって」

 とりあえず正直に話してみた。

 うん。ついさっき会話の主導権を握ろうなどと決意していたはずなのに、あっさりと負けてしまいました。

 本当に、これも暑さのせいだと思いたいです。

「うむ、素直でよろしい!」

 彼女はニヤニヤと口元を歪ませながら一言、満足げな表情を見せる。

不覚にもその表情にハッとしてしまった。可愛いと改めて思ってしまったのだ。

ダメだ。もう完全に負けです。この表情を見れたし、今日のところは負けでもいいや。

「ホント、こっちから来ると学校も近く感じるよねぇ」

 通りの風景に住宅地が混じり始めると、ようやく僕たちの通う学校が見えてくる。

 学校には珍しく大通りに面している上に、八階建ての温かみのある現代的なデザインの建物が二棟並んでいるというあまりに圧巻な光景は、一目見ただけでは学校とは思えない佇まいをしている。

 この学び舎に通いたいがために受験する人もいるらしいので、バカにすることは出来ない。

 まぁ僕がここを選んだ理由としては自転車で通える距離にある中で、一番勉強できる環境が整っていたと言うだけなので、特にどうしてもここがいいと言うほどのこだわりは持っていなかった。

「でもまぁ長さんの所に寄らなければ、もうちょっと早く来れたんですけどね」

 固く閉ざされた校門の前に立ち、上を見上げながら口走ったのはそんな言葉。

「あ~! 長さんに言い付けちゃうぞ~」

「ーーッ、本当に! 申し訳ございません!」

 自画自賛してしまうほどの速さで頭を下げる。

 何とも平謝りする男と、それをからかう女の子の絵面というのは見ている側からすると凄く滑稽なものに映るだろう。

 クスクスと笑いながら、僕たちの横を通り過ぎてく人たちの声を聞けばそれは想像に容易かった。

まぁその滑稽な男が、僕なのだから余計ばつが悪い。

「ふふふ、言い付けたりしませんとも」

 顔を上げるように促す真白ちゃん。

 不敵な笑みを浮かべながらゆっくりと、

「何たって私の方がお姉さんですから」

 こんなことを呟いた。

そう。真白ちゃんは一応僕の学校の先輩に当たる。

あまり先輩という印象が感じられないのは、彼女が小柄というだけが理由ではないのだが、これ以上は言わぬが花だ。

「……そう、ですね」

僕は真白ちゃんの声をスルーしながら学校の敷地と街路を隔てるスライディングゲートに手を触れてみる。

さすがに授業が始まっているこの時間帯に解放されているわけもなく、どう力を加えても開きそうにはなかった。しょうがないなと溜息を一つ、校門の横に備え付けられているインターフォンを押す。

「ちょっと~! 何よその反応は!」

 頬を膨らませながらグイグイと腕を引っ張る真白ちゃん。

 いや、そう言うところが子どもっぽいって言うのが分からんのかと心の中でツッコミを入れていると、校門のすぐそばに設置されている守衛の詰め所から一人の男性が姿を見せた。

「おはよう、には遅すぎる時間だね」

 ニコリとこちらに笑みを見せたのは五十代くらいの白髪の男性。

「こんにちは。毎度すいません」

 彼に向かって頭を下げ、門の鍵を開けてもらう。

 仕事の関係で遅い時間からの登校が増えていたこともあり、この守衛とは簡単なやりとりをするくらいの関係にはなっていた。

「構わないよ。でも遅刻も程々にね。しっかり授業受けるんだよ」

僕たちのようによく遅刻をする、不真面目と思われがちな学生にも優しく声をかけてくれる人だ。クラスの友人に話を聞くと、結構評判の良い人物だそうだ。

「はい。すいませんでした」

「ごめんなさ~い」

 守衛に会釈をしながら僕たちは門を通り抜けていく。

 彼の丁寧な対応に気が晴れたのか、真白ちゃんもご機嫌な表情を浮かべていた。とりあえず先程の会話については今は忘れてくれているようなので良しとしよう。

 僕たちは昇降口へと足を踏み入れる。学年が分かれているため昇降口の入り口で別れてしまうのだが、すぐには教室に行こうとせずに彼女はチラチラとこちらを見ている。

何か僕の言葉を待っているのだろう。僕は少し考えてこう口にした。

「じゃぁまた放課後に。しっかり授業受けて下さいね」

 彼女にかける言葉に、僕は皮肉を選んだ。

しかしそんな僕の言葉に彼女は軽く微笑むだけだった。

「はいはい。カナタくん、また後でね」

ブンブンと手を振り、踵を返して彼女は自らの教室へと歩き去っていった。

少しずつ小さくなる彼女の背中を見送りながら、何か物足りない反応だったなと思ってしまったのは、彼女には内緒にしておこう。

真白ちゃんが廊下を曲るまでその姿を見送り、僕も自分の教室に向かう。

昼休みも半ばに差し掛かった頃だからであろうか、昼食を終えた生徒たちの楽しそうな会話がいたるところから聞こえてくる。

 その音に耳を傾けながら歩を進めていくと、顔見知りの姿が見て取れた。

 彼らの呼ぶ声に手を上げて答えながら先を急ぐ。さすがに一度教室に入っておかないと少し不安だったからだ。


それにしたってこの校舎、あまり生徒に優しくはない。

 八階建ての校舎で、二階から五階で各学年の教室が割り振られているのだが僕の教室は五階にある。

 八階建てという構造上エレベーターも備え付けられているが、もちろん生徒は使用不可。階段を登って五階まで上がるのは簡単に思えて、実際はかなり骨が折れる。

自分の教室の階に到着した頃には、全身から汗が噴き出していた。

 額の汗を手の甲で拭いとりながら、息を整えて自分の教室を目指す。

 教室の並ぶ廊下の前は生徒たちで溢れ、活気に満ちていた。談笑をする者、ゲームに興じている集団などなど、相変わらずの光景が広がっている。

僕はそそくさと教室の前まで移動し扉を開ける。

教室の中でも廊下と変わらない、楽しげな様子を見ることが出来る。

ガヤガヤと少し煩わしいのだが、この喧騒が僕は好きだった。

親しい人たちが笑顔を作っているのは見ていてすごく気持ちが良い。しかし一つだけ例外はあるのだけれど。

「あのさ。何してるのさ」

 音をたてないように教室内を移動し自分の机の前に立つ。

 僕の机では二人の男子生徒が、何やら僕の机を物色しているではないか。

 とりあえず彼らの手を止めさせようと声をかけたのだが、僕の言葉に耳を傾けることもなく二人は手を動かしていた。

「あのさ……怒るよ?」

 一言そう告げる。

 これ以上話を聞かないなら僕にも考えがあると、コキリと指を鳴らしながら近付くと、先程までの僕を無視していた態度が嘘のように僕の方を向き続けざまにこう答えた。


「いや、悪戯をしているのだが何か」

「食べ物置いてないかと思ったんだ~」

「そこまではっきり悪戯って言われてもさ……それに食べ物って、僕今来たばっかりなのに、食べ物なんて置いているわけないじゃない」


 僕の言葉にケラケラと笑う二人。真面目だなんて言われながら、椅子を開け渡してくれる。

「おはよう。鉄ちゃん、龍馬」

「うん。今日も重役出勤とは偉くなったものだな」

「あ~それよりも学食行こうや~」

 この二人は僕のクラスメイトの鉄ちゃんと龍馬。

 少し偉そうな口調をしているのが鉄ちゃん。小難しい言い回しが好きで、普段は冷静なのだがある一線を越えてしまうと手のつけようもないほどの激情家なってしまうというかなり癖の強いヤツだ。

そして龍馬。基本的に人の話は聞かない。いつも「お腹が空いた」「学食行こう」「からあげからあげ」などと口にしているヤツだ。どこの大食いキャラだよとツッコミたくなる。

 全く接点のなさそうな二人。

 何故か気が合うらしく共に行動しているのだが、どうも噛み合っていない気がするのは僕だけではあるまい。

「重役と違う! 本当に大事な用事なんだって」

「この時間に登校する男が何を世迷言をいっているのだ! ついに頭のネジが外れたか?」

「いや~平常運転だな~! 異常な~し! とりあえず学食いこ~!」

 ハハハと笑ってみると、二人はそれ以上追及してくることはなかった。

 何も考えていないようで実は気を使ってくれているんだなと内心二人に感謝しながら、僕は席に腰を下ろした。

 すると今の今まで喧騒に包まれていたはずの教室に静寂が広がっていく。

 何かしでかしてしまったかと、僕はグルリと教室を見回す。

答えは簡単。教室の出入り口、教室を静寂に包んだ原因はそこにいた。

「ちょっと東くん! 今日も遅刻ってどうゆうことなの」

 大声を上げながら僕の机に近付く一人の少女の姿が。

 真白ちゃんよりもかなり背が高い、僕よりは少し低いくらいだろう。

 背に届くくらいの色素の薄い髪を翻し歩いてくる様はまるで、男役を務める女優のような凛々しさがある。

 彼女のスレンダーな体型のせいでそう思てしまった事は内緒にしておこう。

 しかし整った顔立ちにどことなく幼さを残していたが、そのしっかりとした態度はそれをカバーして余りあるものだった。

「いや、用事があってさ……ごめんな、戸田」

「言い訳禁止! 今月で何度目だと思ってるのよ」

 

 このクラスの委員長ではないのだが、こんな感じでいつも彼女は突っかかって来る。

 彼女は戸田夢乃(とだゆめの)。

この学校に入学して以来の僕の友人の一人で、少し前までは勉学の面では競い合っていた相手だ。

こう見えても以前は学年でも成績は上から数えた方が早い。

勉強の事については戸田からはライバル視され、共に競い合っていた仲だ。といっても僕は『くみあい』の仕事の方を優先してしまっているために、最近は勉強の方はお座なりになってしまっているのだけれど。

 ただ以前なら、こんな風につっかかってくることは多くはなかった。言葉づかいも今みたいに乱暴ではなかった。むしろ上品な部類に入る立ち居振る舞いで、そこに好感を持っている男子生徒も少なくはなかった。

 ただ少し人に遠慮し過ぎているような気がしていたのだけれど。

しかしそれが何の因果かこんな風に少し乱暴になってしまった。

そうなっていても人を気遣う性格は変わっていないようで、僕は今の彼女の方が好感を持てる。

 そう。これもいつもの光景だ。

 僕が遅刻をしてしまって、戸田がその僕を怒る。

 クラスメイトも最初こそ押し黙っていたのだが、いつの間にか喧騒を取り戻していた。

 ちなみに鉄と龍馬の二人は、戸田が僕に詰め寄っている隙にどこかへ逃げていってしまった。

 ホント、こうゆう時こそ助けてくれよな。

「戸田はさ、何でこんなにつっかかってくるのさ」

「――な、何言ってるのよ! アンタがフラフラしてるのが悪いんじゃない。何でわたしがそんなこと聞かれなきゃいけないの」

 まずい。ついつい頭で考えてしまっていることを口にしてしまった。

 彼女は怒りのあまり机にバンと手を叩きつけ、グッと顔を僕の方に近付けてくる。顔立ちが整っているだけに、こんなに近くに寄って来られるとドキドキしてしまう。

「い、いやさ! ただ何となくだよ、何となく!」

 鞄に収めていた教科書類を机の中に滑り込ませながら、彼女に言葉を返す。

我ながら苦しい言い訳だ。

彼女の迫られると明確に言い返すことが出来ないのは、下手なことを言ってしまって彼女との関係が壊れてしまうのが怖いから。

戸田とのこのやり取りが愛おしくてたまらないからだ。

「何となくってなんなの? 大体ね、アンタがあの先輩と……」

 次の瞬間、おそらく学校中に鳴り響いたのは午後の授業の開始を告げる鐘の音。

「ほら、チャイム鳴ったよ。早く席に着かなきゃ」

「――っ! 続きはまた後でよ」

 しかし丁度いいタイミングでチャイムが鳴ってくれた。

周りで話し込んでいた生徒たちも各々の席へと戻り、授業の準備を進めていた。

鉄と龍馬も知らないうちに自分たちの席につき、こちらに手を振っていた。

うん。次の休み時間、一言言わせてもらおう。皮肉でも言って聞かせてやらないとこっちの気が済まない。

「チャイムなったぞ~。お! 東また遅刻かお前は~!」

 ガラガラと大きな音をたてて扉を開き、授業の担当教師が室内に足を踏み入れてきた。彼に声を発さず、軽く会釈をすると何か納得したのかそのまま教卓へと移動する。

 「おし、じゃぁ始めるぞ! 前回の続き、教科書はーー」

一際大きい声で彼が授業の開始を宣言すると、クラス中が彼の声に耳を傾けながら教科書を目で追っていた。

僕もみんなと同じようにしていたのだが、どうしても戸田が最後に言いかけた言葉がどうにも気になってしょうがなかった。

先輩……それって真白ちゃんのことだろうか。

何で真白ちゃんのことを戸田が口にするのだろうか。学年も違うし、真白ちゃんは部活にも入っていないから、後輩との付き合いはないはずだ。

 まぁ今はそんな事に考えを巡らせていても仕方がない。

 とりあえず授業に集中しよう。折角遅刻しながらも授業に出席したのだ。だから少しでも内容が身につくように、しっかり学ぶことにしよう。

 黒板の板書をノートに書き写す。授業は退屈ではなく、むしろ興味深いものだった。

 そもそも小さな頃から新しい物事や、より詳しい内容を覚えたり知ったりしていくことが好きだった。自分の中ではそれこそが一番やりがいのあることであったし、それに全く疑問を持っていなかった。

 とにかく良い成績を修め、ランクの上の学校に通い、高い給料をもらえる仕事に就く。それが僕の目標だった。

 そして今までお世話になった人に恩を二倍にも三倍にも返したい。

 楽をさせてあげたかったのだ。

でも今はもう恩を返すことも出来ない。しようとしても、誰にも出来ないのだ。

でもその代わりに、どうしても大事にしたい。守りたい人が出来たから今こうしていられる。

 結局誰かに依存しなければ僕は……いや人は生きていくことは出来ないのだろう。

 文言だけ見ればすごく厨二病っぽいな。

 少し、どころじゃない。かなり恥ずかしい気もする。

「よーし、今日はここまでっ!」

 男性にしては少し甲高い声で、教師が終わりを告げる。

 クラス中が一人の号令に従い教師に向かって頭を下げるのに倣いながら、頭を下げると再びガヤガヤとした喧騒が教室内を包んでいた。

何だろう。

もう帰り支度を始めているクラスメイトもいる。

もしかしてこれは……。

「もしかしなくても、ずっとボンヤリしていたぞ、カぁさんや」

「カぁさん言うなや。僕はお前のお母さんじゃない!」

 どうやら鉄ちゃんの言う通り、ボケっとし続けていたようだ。

 折角有意義に時間を使おうと思っていたのに何をやってるんだろう。

バカな自分を叱責していると、ヘロヘロになりながら龍馬が近付き、こう呟いた。

「あ~ダメだ。ホントダメ。学食行こう」

「俺もそれを提案しに来たところだ。さぁ、行こうかカぁさん」

「ホントそのボケはいつまで続けるつもりなんだか……ていうか鉄ちゃんは学食のお姉さんがと話をしたいだけだろ」

 僕はあまり学食を利用しないので知らないのだけれど、何でも最近学食に綺麗な双子の女子が勤め始めたらしい。それを見たさに学校の男連中が休み時間昼休み、そして放課後問わず集まっているそうなのだが、僕はあまり興味を持てずにいた。

 何より、なんか流行りに流されるみたいで良い気がしなかっただけなのだけど。

「何が悪いか! 女が好きで何が悪い! 女を愛でて、何がいけないと言うのだ!」

「いや、それよりも、からあげが食べたい。もう……限界」

 僕の肩に両の手を置き、熱弁する鉄ちゃん。一方ブルブルと身体を震わせている龍馬は言葉の通り、本当に限界なのかもしれない。

 すごく面倒だぞ、この二人。

「悪くはないけど。この後約束があるんだけど……」

 二人の言葉に従わないのには訳があった。

 昇降口でのあの約束。彼女のことだ、身支度を済ませてそろそろ教室を出た頃だろう。やはり暑い中女の子を待たせるわけにはいかないよな。

そそくさと荷物を纏めながら二人に返答してみるが、どうやらちゃんとこちらの話は聞いてくれていないようで、僕の肩を揺すり続けてくる。

「最近付き合いが悪いぞ? カぁさん、まさか戸田、いやトぉさんとどこかに行くつもりか! 何だ、お前だけ良い思いするつもりか。許せん、許せんぞぉ!」

 肩を揺すっていた手がパタリと止まる。

いや、ホントこの人は何を言っているのだろうか。予想もしなかった言葉に一瞬気が遠くなってしまう。まぁ悪い気がしないのは内緒にしておこう。

「トぉさんって……鉄ちゃん、戸田に聞かれたら叩かれるだけじゃ済まないぞ」

 ワナワナと震えていた手を振りほどき、鞄を肩に掛けながら僕は教室を後にしようとするのだが、すっかり失念していた。

少し前から黙ったままブルブルと震えていた彼のことを。


「もう、無理だ……」

「なんだ龍馬! 今は俺とカぁさんがーー」



「ぬあぁぁ! 腹減ったって言ってんだろうがぁ! からあげだー!」



 そう。文字通り吠えた。

 自ら鎖を引きちぎり、暴れ狂う植えた野獣の如く、龍馬はギラギラと瞳を光らせていた。それにしてもからあげって……もっと他に何かあるだろう。

 まぁ龍馬自身、無視され続けていたから怒っているわけではない。

 空腹だったのだ。

 ただ、それだけのことだったのだ。

 しかしこうなってしまっては誰であっても龍馬をどうこうすることは出来ない。

 それは僕たち二人が最も理解していることだった。

 選択肢は一つ。彼の言葉に素直に従うだけ。

「分かった! とりあえず学食の方に行こう。どうせ途中までは一緒だし」

「そ、そうだな。とにかく今は移動しよう!」

 僕と鉄ちゃんは龍馬の手を引き、教室の外へと連れ出していく。

 クラスメイトにとって、僕ら三人のこのやり取りは最早名物になっているらしく、まるで出し物を見ているかのようである。

 みんなが楽しんでくれているのなら構わないけど、こうなった龍馬は何をしでかすか分からないので、個人的にはいつも冷や冷やしているということは誰にも言わないでおこう。

 ただ教室が笑いに包まれていた中で、何か言いたげに戸田が僕の方を見ていたのがどうしても引っかかっていた。

「でもさ、きっと下級生がいっぱいいるよ」

「……一目見ずには帰れまい! あぁ帰れまい」

「からあげ、あの粉っぽいからあげ!」

 三者三様、会話になっていない会話を繰り広げながら階下に降りていく。

 食堂はこの建物の二階。

 下級生の教室に出入り口があるため、放課後になったばかりのこの時間帯は、多くの下級生がそこに詰めかけるのだ。

 まだ入学したばかりの生徒たちにとっては目新しいのだろう。この時間帯はあまり狙い目ではないのだが。

 鉄ちゃん曰く、ピークタイムに目当てのモノにお目にかかることこそ本当に価値があると言っていたのだが、あまり僕にはよく分からなかった。

というか知らぬ間に一緒に学食に行くことになっている。結局僕は流されやすい人間なのだろうか。

「ゴメン、真白ちゃん。少し遅れます」

 思わず小声で謝罪を口にしてみると、まるで天からの助けの如く、上の方から降りかかる聞き覚えのある声。

「東くん! ちょっと待ちなさいよ」

「あぁ戸田か。どうしたんだよ」

 振り返ってみるとそこには戸田の姿。走って僕たちを追いかけてきたのか、彼女は肩で息をしていた。必死に息を落ち着けながら、僕に投げかける次の言葉を探しているのか。静かに溜息をついた。

「あ……二人とも、先に行っても……ってもういないし!」

ぼくが少し階上を見上げていた間に、二人はサッサと階段を下りていってしまったようだ。微かにではあるけれど、階下の方から楽しげな二人の話し声が聞こえてくる。

 本当に、あいつら僕の友達かよ……すごく悲しいんですけど。

 少し今の状況を嘆きながら、息を整える戸田の側に近付いていく。

「どうしたのさ」

 隣に並ぶ頃には、乱れていた息も整えられていたようだ。ただ顔が赤いままだったのはどうしてだろうか

「これ、貸してあげる」

 ぶっきら棒にそう呟きながら、一冊のノートを差し出す。

「ん。これは、今日の授業のノートか」

「アンタ、あの後も全然授業聞いてなかったでしょ? ちょっとは真面目にしなさいよね」

「お、おぉ。ありがとう」

 わざわざ僕のためにノートを用意してくれたのだろうか。

 真新しいノートには綺麗な文字で、今日行われた授業の板書が全て書き写されていた。勉強の出来る人らしく、要点やチェックポイントが丁寧に纏められており、かなり見やすい出来に仕上がっていた。

しかし一体見返りとして何を要求されるのか怖いところではあったけれど、何にしても、遅刻常習犯の僕にとって、これはかなり嬉しいプレゼントだ。

「お礼はいいのよ、とにかく真剣に勉強しなさいよ。このままじゃもっと成績落ちるわよ」

「ありがとう……本当にありがとう。ホント、戸田と友達で良かったよ」

 僕の言葉にニコニコとしていたと思いきや最後まで聞き終わった途端に、彼女の表情に影が入る。

 何だろう。何か気に食わないことでも言ってしまったのだろうか。

「――友達って……この鈍感!」

「うぇ? な、何だよ、鈍感ってどうゆうこと?」

 ブルブルと怒りに堪えながら、グッと僕の制服を掴みあげながら大声を張り上げる。

あまりの声にキンキンと耳鳴りがしているせいか、戸田の言葉の意味が本当に分からないからか、素っ頓狂な返事をしてしまう。

 少しの間ジッと僕の表情を見つめる。何か期待しているような、どこか悲しげな瞳で。

「もういいわよ、速く行きなさいよ、待ってるんでしょ!」

 呆れたと呟きつつ、再び階上へと登っていこうとする。

 待っている。

 そうだ。昇降口ではきっと真白ちゃんが僕を待ってくれているはずだ。

 早く行かなくては、これ以上待たせてはいけない。まぁ真白ちゃんが待っている事を、戸田が知っているというのも疑問と言えば疑問なのだが。

 でも何故だろう。

 僕は思ってしまったのだ。

 このまま彼女と、戸田と離れてはいけないと。

 もっと彼女の言葉の意味を考えないといけないと。

 無意識に走り去ろうとする戸田の手を掴む。

 もう一度振り返った彼女は、暗く落胆した様子だった。それはまるで以前お芝居で見た、決して結ばれない恋人たちの密会のワンシーンのようで。その表現もかなりこそばゆいものではあったけれど、戸田の悲しげな表情を見るに、僕はそれが一番的を射ていると思った。

「ーーッ、と、戸田! 本当にありがとうな」

 必死に彼女に掛ける言葉を探したけれど、やはり出てきたのはこの言葉だけだった。

 考えた末に選び出したものが「ありがとう」だけとは、かなりガッカリな男だろうなと内心焦っていると、彼女は少し表情を柔らかくして優しく僕の手を振りほどいた。

「……るわよ」

「何だって? もう一回言ってくれない?」

「聞こえてるわよ! とにかく、本気で勉強しなさいよね」

 ニコリと笑いながら戸田は階段を登っていった。

 これで良かったのだろうか。正解は分からないのだが、彼女が笑ってくれたのならそれで良いだろう。

 とりあえず今日は鉄ちゃんと龍馬は無視して昇降口に急ぐ事にする。

 踵を返して階段を下っていこうとすると、再び投げかけられる優しい声。

「またね、東くん。先輩によろしくね」

 階上からヒョッコリと顔を出しながら笑顔を浮かべる戸田。その笑顔に不覚にもドキリとしてしまった。

 何だか頬が熱い。

 もしかしなくても僕は照れているのだろう。

 正直に言おう。完全に見惚れてしまっていた。戸田の笑顔に心を奪われていた。

全く……何がしたいんだよ、アイツは。




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