第2話 ぼくらの日常
さて。とりあえずこの炎天下の中、一仕事を終えたのだ。今すぐにでも纏わりつく汗と血をどうにかしようと公園の脇の方にある水道管の方に移動し蛇口をひねり、ごしごしと手を洗い始めた時、真白ちゃんが思い出したように声を上げた。
「でさ、終了報告はしたの?」
「あ……忘れてた」
「もぉー! 終わったらすぐに連絡っていつも言われてるじゃない」
ぶっすりと膨れっ面になりながら、真白ちゃんは日ごろ目上の人たちから口酸っぱく言われている一言を告げる。
「あーまぁ。ごめんなさい」
とりあえずの謝罪。まぁ今回もなかなか骨が折れたのだ。少しくらい怠けたっていいだろうという甘えもあった。
そもそも僕が男との一悶着も、単純に真白ちゃんが襲われそうになっていたということが原因と言うわけではない。
本をただせば男が『僕たちと同じモノに成りかけている』ことが原因と言えるのだ。
僕らはこれを俗に『発現』と呼んでいる。
『発現』
小難しい言い方をするなら、集合意識に触れてしまい、そもそも自身の持つ性質や感情を操作できなくなってしまう状態。
なんて風に言ってしまうと、じゃぁ集合意識とはどういったモノなのか。本当にそんなモノが存在するのかと、色々ややこしいことになってしまう。そこのところはこの件を研究している学者先生に任せようと思う。
恩師の言葉を借りると、
『誰が罹るかも分からない、しかし誰しもが罹るかもしれないモノ』
『抑止していた感情をコントロール出来なくなる症状』
ということらしい。
とにかく、大きな力のために自分をコントロール出来なくなってしまう……みたいなことだろうか。
それにしても恩師の言葉は実に的を射ていると思う。先程まで大声を上げていた男の様子はまさにその文言にピッタリと当てはまっていた。
彼の身なりから想像するに、普段は真面目な営業マン。生真面目に仕事をこなす、駆け出しの社会人といったところだろう。
そんな真面目な人間が、自身の欲望や感情をコントロール出来なくなった時、一体どんな風になってしまうだろうか。
答えは簡単。
自分を肉体的、精神的、そして社会的にも滅ぼしていってしまうのだ。
感情の箍が外れてしまい大した動機もないのに人を傷つけ、そして果てには自分自身を傷つけてしまう。今回の男の件については誰も傷つけることなく事態を治めることが出来たのだが、もし誰かを傷つけていたらと思うと正直ゾッとしない。
でもまぁ男を傷付けてしまった時点で、僕の思惑は完全に失敗している。
自分の思うようには事が進まない。まだまだ僕も未熟者だということなのだろう。
一人今回のことを反省する僕に、彼女は心配そうに近付く。
「カナタくん大丈夫? とりあえず早く連絡……」
少女が口を開き、そしてそれが言葉を紡ごうとした時、彼女は遠くから親に呼ばれた子どものようにきょろきょろと周囲を見渡す。
「って、来てくれましたね」
少し安心したように彼女が呟いた。
「あーあ、怒られるんだろうなぁ、これ」
僕の言葉に苦笑いをしながらそこに視線を留める。彼女の視線は一点に注がれていた。先程まで彼女が踊っていた公園の中心。そして今もなお男か血を流しながら倒れている場所。今まさにそこに近付いていく三人組の男たちの姿があった。見るにこの炎天下にはあまりにそぐわない格好をした男たちだった。三人とも黒のスーツに身を包み、大柄で短く刈り込まれた頭。そして黒のサングラスという、クラブイベントで良く見るSPのような威圧感のある姿であった。
出来ればあまりお付き合いのしたくない人たちであったが、残念なことにこの人たちと僕たち二人はいわゆる、仕事仲間というやつなのである。
「ね、ねぇ……おいでおいでしてるよ?」
真白ちゃんがそう口にする。声からはどこか怯えた様子が感じ取れた。
そりゃ大柄の男が三人ともこちらを向きながら、手招きをしているのだ。出来れば近付きたくはない。僕だってそうだ。
「えっと……行ってまいります」
それでもこのままにしておくわけにもいかないことも事実だ。
手に付着していた男の血はどうにかすることが出来た。僕は水道管の蛇口を閉め、彼女にそう言うと返答の代わりに自らの持つハンカチを僕に手渡してきた。
「ご、ご武運を!!」
渡し終わると同時にビシリと僕に向かって敬礼。
いや、肘の開き具合とか指先が伸びきっていないこととか、色々ツッコミを入れたいところではあったけれどもそれは今じゃなくても出来ることだ。
ハンカチで軽く手を拭い洗って返すよと彼女に言葉を返しながら、僕は三人組の男たちに小走りで近付いていった。
ハンカチをポケットに押し込むくらいの短時間で僕は三人の大男の前に辿り着いていた。どうしようもないほどに動悸が激しい。走ってきたことによる疲労からか。それとも三人を前にして緊張しているからか。それはすぐには分からないけれどとりあえず僕が出来ることは一つだけだった。
「おはようございます。すいません、すぐに連絡しなくて」
あと数歩で肩に手が届く距離まで近づき、謝罪を口にしながら深々と頭を下げる。
しかし男たちは黙ったまま、すぐに言葉を返そうとはしない。
恐る恐る顔を上げてみると、無表情のまま彼らはこちらを見つめていた。いや。僕が正面から顔を見て話をするのを待っているのだ。
「あ、あのぉ……」
「アズマ。この間も言った。次、ない」
「……アズマ。本当に、学ばない」
「アズマ、バカなヤツ」
声を出した途端に、一言ずつではあるがパンチの効いた言葉を見舞われる。確かにごもっともではあるので反論のしようがない。
それにしても言葉に棘があるのに、全くの無表情って!怒りを向けられるよりも、その方が逆に不気味で怖いよ。
この三人は僕と真白ちゃんが仕事を円滑に進めることが出来るようにサポートをしてくれている人たちだ。一応規則があるらしく、向こうが僕の名前を知っていてもその逆はなかなかない。簡単な呼び名を知っているくらいで、この仕事の関係で僕が本名を知っているのは真白ちゃんともう一人、僕らの恩師の名前くらいなのだ。
ちなみに、何度も一緒に仕事をしているが、この三人組の呼び名を僕は知らない訳で。
「すいません! 次からは必ずすぐに連絡入れますので!!」
再度謝罪を口にし、深く頭を下げる。
そうすると三人は顔を見合わせながらコクリと頷き、二人で倒れている男を抱え上げ、一人はどこかに連絡をしようと携帯電話を取り出していた。
きっとこの現場の報告と残処理のために人手を手配してくれているのだろう。だとすると、僕たちはこの後どうすればいいのだろうか。
「あの……僕たちはこの後どうしましょうか?」
遠慮しながら、彼らに声をかける。すると電話をしていない二人は顔を見合わせ、特に何かを相談しているわけではない。まぁ多分、何を待っているかは薄々勘付いてはいるのだけど。
そんなことを考えているうちに連絡を終えたのか。電話をしていた最後の一人が携帯電話を胸ポケットにしまいながら、僕にこう投げかけた。
「アズマ。長さん、心配してる」
「……アズマ。早く、帰る」
「アズマ。困ったヤツ」
三人はそう言い残し、そそくさとその場から去ろうと公園の出口へと進路を取る。
確かに、どれだけ暑い中といってもこれ以上此処に長居をしてしまっては誰かに見つかる恐れもあるし、何より血を流してしまっている男の体調も心配だ。
「――ありがとうございます。また次の現場で!」
これでもかというくらい、元気に三人の背を見送りながら声をかけながら再度頭を下げる。
三人の的確な判断に感謝しつつ、そしてお説教がすぐに済んだことに対して胸を撫で下ろした。まぁ多分、帰ってから長さん辺りに色々と小言を言われるだろうということは想像に容易かったけれど。
そしてゆっくりと頭を上げると、去ろうとしていた三人が何故かこちらをジッと見ている。何故だろう。僕、何か不味いことでも言ってしまっただろうか。
自分でも分かるほどに慌てふためいていると、三人はのそりのそりと僕に近付いて来る。何だろう、本気で怖いんですけど。
「アズマ。今度、連絡怠ったら、デコピン」
「……アズマ。次に、期待」
「アズマ。可哀想なヤツ」
三人の少し茶目っ気を織り交ぜた声。
表情が全く変わっていないところを見るに、デコピンは本気で言っているんだろう。
いや、最後の最後にそれってあんまりじゃないですか。
というかあの太い指で喰らわされるデコピン……どれだけ痛いのだろうか、想像も出来ない。
「う~やっぱりあの三人、苦手だよ~」
三人が去って行くのを確認し、真白ちゃんがゆっくり僕に近付いて来る。
「おいおい、そんなこと言っちゃダメよ。確かに見た目は怖いけど凄く良い人たちなんだよ」
「ん~カナタくんがそう言うならそうなんだろうなと思ったり、思わなかったり?」
全く、一体どっちなんだかと心の中でツッコミつつ、苦笑いを浮かべながら最初に身を隠していた木陰の方へと足を進める。
「ねぇこの後すぐに学校?」
「いや、とりあえず長さんのところに報告しに行かないと」
「え~このままじゃお昼休み終わってからの登校になっちゃうよ~」
木陰に隠していた鞄から換えのシャツを取り出し、着替えをしようとている僕に彼女は拗ねたように声を上げた。
「え~じゃないよ。早く行かないと長さん怒っちゃうよ」
「ぶ~カナタくん、こんな時だけ真面目なんだから。いいよ、いいよ。私は不真面目なヤツってことでいいですよーだ」
「ぶ~でもない。とりあえずすぐ着替えるから少しだけ待っててよ」
この状態の彼女に何を言っても無駄。それはもう分かっているので、とりあえず彼女の言葉を無視。血と汗で汚れたシャツを脱ぎ、新しいシャツに袖を通そうとすると、
「――ッ!急に脱がないでよ! こ、心の準備がっ」
彼女は今まで聞いたこともないほどの大声を上げながらこちらを見ていた。
いや、というか顔を真っ赤にしながら目を逸らさないのは何でだよ。
というか心の準備って一体なんですか?
やっぱりこれも声にすることはない。というか一々相手にしていてはキリがないのだ。
「じゃ、そろそろ行きましょうか? これ以上此処にいても汗かいちゃうだけだからね」
「ちょ! わたしの話何も聞いてなかったでしょ!?」
そそくさと着替えを済ませ、鞄を担いで公園を出ようとすると背後から大声を張り上げる真白ちゃん。流石にこれ以上スルーし続けるわけにもいかないかと、後ろに振り向き彼女に手を差し出しながらこう続けた。
「そんなことないないよ~。早くしないと本当にお昼休み過ぎての登校になっちゃうからね~」
えぇ。正直ドキドキしています。
普段、彼女に対してこんな風には振舞わないから、思った以上に気障な態度になっていないかどうか、心中穏やかではない。
「……ま、まぁ今回はゆ、許してあげる」
より顔を真っ赤にしながら、彼女は僕の手を取る。
どこかその仕草は、騎士に手を取られるお姫様のように綺麗に……いや、僕が騎士だなんてあまりにおこがましい話ではあるのだけれど。
「さて。行きますか」
手を繋ぐ。
自然と彼女の顔には笑みがこぼれ、僕もついついつられて微笑んでしまう。
改めて、女の子の笑顔ってすごいなと感心させられてしまうのだが、敢えてこれも口にはしない。
「れっつごーってヤツですね」
素っ頓狂な声を上げて、真白ちゃんは一歩、また一歩と歩き始める。
僕もそれに引っ張られる形で前へと歩を進め、数歩で横に並び足並みを揃えながら公園の出口へ向かった。
この後恩師からの小言と、学校に行ってからの担任からの説教がなければ最高の一日になるのだろうなとそんな想像をしてしまうが、とりあえず今はこうやって二人で歩けているのだから良しとしておこう。
「う~でも長さんに怒られるかもと思うと帰りたくない~」
今はまぁ、可愛く呻き声を上げるこの娘の隣に入れるだけで十分だ。
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