第100粧 悪役令嬢は一体いつから――怪我をしていないと錯覚していた?

「どうして? いつからだろう? ずっとずっと、忘れていたみたい……」

「ノワール……」


 一度口にした「どうして」と言う言葉を合図にしたように、後悔が次々と心の底から湧き出て来た。


「助けてもらったのに忘れるなんて……。私、卑怯だね……。ごめんね……キュリテ」

「っ! 卑怯なんて、そんなことない!」


 兄さまは否定してくれるけど、私はそうは思わない。


 本当に……どうしてこんな大事なことを、勘違いしていたんだろう?


 大事な家族に大怪我をさせてしまったのに、助けてもらった私は自分に都合の悪いことを忘れていた。


「だって私、怪我をさせてないと思って……笑い話にしちゃったでしょう? ……やってることが、最低だよ……」


 そうやって、私はキュリテに怪我を負わせただけじゃ飽き足らず、精神的にも追撃するような仕打ちをしてしまったんだ。


「ノワール!!」


 普段から頼って良いよと言ってくれる兄さまは、やっぱり私の言葉に否定してくれる。

 私はずっとそんな風に兄さまに甘えて、辛い思いをさせていたんだね。


 私が自覚していないだけで、そう言うことは他にもきっと一杯あって……。

 兄さまに女装してもらって、ヒナタちゃんの案内役を押し付けたことも、そのうちの一つに過ぎないのかもしれない。


 結局のところ、私は馬鹿なんだ。

 現実から目を背けたかったとしても、限度があるのに……!


 そんな私に、キュリテが愛想を尽かしてもおかしくない。


「キュ、リテ……ご、ごめんね……!」


 考え込むと思い出したときのように頭がズキズキと痛み出して、上手く呼吸が出来なくなってしまう。


「ひっ、酷いことをして、ごめんなさい……!」


 私はキュリテにそばにいて欲しい。嫌われたくない!


 嫌われて一人ぼっちにされてしまうと思うと、不安で不安でしかたなくて、心がかき乱されそうになる。


「私のこと、置いて行かないで……!」


 ヒナタちゃんは白の神子で、ガイアスたちは白の神子の使者で。

 心の底から仲良くしたいと思っていても、ストーリー通りに近いイベントが起きていく場面を目の当たりにした今、私と彼女たちが敵対するのはきっと避けられないんだろうと思わずにはいられない。


 そんな中、キュリテもいなくなってしまうと、私の周りには誰一人味方がいなくなってしまう。


「見捨てないで……!」


 それなのに、私は唯一身近で……そばにいるだけで安心すると思っていた大事なキュリテを傷付けて、平然とした態度で過ごしていた。


「ひとりにっ、しないで……!」

「落ち着け、ノワール!」

「っ!」

「俺はお前のことを見捨てない! だから……そんな顔をしなくて良いんだ!」


 兄さまに縋りつくように手を伸ばすと、私のことをぎゅっと抱きしめてくれた。


 兄さまの体温を感じることで、私は一人じゃないんだと思えてくる。

 すると、少しだけ心が落ち着いてきて、兄さまの言葉に耳を傾ける余裕が生まれて来た。


「よく見てみろ、今の俺は何ともない。いつも普通に生活しているだろう? 後遺症になるような怪我もなかったんだ」

「で、でも……!」


 思い出した光景のキュリテはとてもぐったりしていた。

 事故のあとの記憶は未だに曖昧だけど、軽い怪我では済むようなものではなかったように感じられる。


「だいたい、何年前の話だと思ってるんだ。この前、俺が着替えてるとき覗いただろう? 目立つような怪我でも残っていたか?」

「え……。ううん。そんなことなかった」

「……聞いておいて言うのもなんだが、一瞬だったよな。どれだけじっくり見たんだ」


 兄さまが苦笑する声が聞こえたと思うと、頭をぽんぽんと撫でられた。


「だけど、階段から落ちた場合って、目につくような外傷じゃないような気がするよ? 頭は? 頭打ったりとかしてない??」

「心配するな。大丈夫だって言ってるだろう」

「……そうなの?」

「そうなんだよ」

「……」


 そうは言われても私の気は晴れなくて、心の底に後悔が沈みこんだまま。


 それに、少し気になることがあった。


 キュリテは事故前までは私のあとをくっついて回るような、可愛らしい性格だった。


 それなのに、いつの間にか私に頼らないように、甘えないように……頼りがいのあるように接してくるようになっていたような気がする。


 兄さまがそう言う行動をするようになったのは、事故をきっかけにしてかどうかは分からない。

 分からないけれど、きっと私が頼りなかったからから、兄さまはしっかりした性格にならざるをえなかったのかもしれない。


 小さかった頃のことを思い出すと、あのころとは違ってキュリテが少し先に……遠くに行ってしまったような気がして、寂しくなる。


 目の前にキュリテがいることを実感したくなった私は、兄さまを抱きしめる力を少しだけ強くした。

 きっとこうやって甘えているから、私はダメなんだ……。


 そうしていると、背中をポンポンと優しく撫でられる。


「無事じゃなかったら今頃は、生涯ベッドの上か、土の下だからな」

「そんなのやだ。冗談でも聞きたくないよ……」


 きっとキュリテがいない世界は、私にとっては辛くて寂しい場所でしかないんだから。

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