50. 迫る危機、甘い熱
―――――――――
「ふぁ―あ……。ねみぃ……って、今何時だ?」
親友のベッドで目を覚ました蓮は目元を擦りながら、枕元に置いていたスマホを手に取って時間を確認した。
「まだ八時か。まあでも電気消した時間から考えたらこんなもんか……。あ、そういえば結人たちどうなったんだ?」
昼までには余裕のある時間で、それほど遅くなっていないことに少しホッとした蓮。そこで昨夜の美咲へのおせっかいを思い出し、その顛末が気になった彼は二人の様子を窺うために床へ敷かれた布団に視線を移した。
「……どういう状況だ? これ」
視界に入ってきたのは、幸せそうな表情で結人の背中に抱き着いて寝ている美咲とそれを意にも介さず硬直している親友の背中。
いわゆる間違い的なことは起きていないようだが、結人の様子がなんとなくおかしく見えた蓮はベッドから降りて親友の正面へと回り込んだ。
「……最終手段だったのか。なんか悪いことしたな、すまん」
彼が見たのは、額を膨れた餅のように腫らし白目になって気絶している結人の姿であった。
「対照的な表情なのは面白いけど、ちょっとやりすぎたな……これは。マジで悪かった」
ブブッ
墓前に手を合わせる感じで親友に謝罪し、気絶した様子をカメラに収めようとスマホを向けた蓮。しかしそこでスマホが震え、メッセージアプリの通知が表示される。そしてその送り主とその内容を確認した彼は顔面蒼白となった。
「なん、だと……?」
→『蓮さん、昨日は楽しかった? というか起きてる?
頼んでいたもの受け取るために、今お兄ちゃんの部屋に向かってるから
男二人で飲み会した後の部屋を片付けるのは嫌だし、綺麗にしといてよ
なっちゃんも一緒だけど、驚かせたいからお兄ちゃんには内緒ね』
「マズいマズいマズい! 芽衣が御影と鉢合わせたりなんかしたら修羅場どころじゃねえ! あのときオレが止めなかったらマジで流血沙汰も有り得たくらいなんだぞっ!」
いつものクールな雰囲気はどこへやら。今の蓮は動揺しすぎて顔も動きも忙しくなっている。とはいえ、これまでにいろいろな修羅場をくぐってきた彼は思考を放棄してはいなかった。
(おそらく芽衣は御影の顔を知らない。だが、どんなきっかけでバレるかも予測できない。つまり、最善は鉢合わせを避けることだよな……)
「……とはいっても、無理だよな。 結人は気絶してるし、御影もゆるゆるの表情ですげえ幸せそうに寝てるし」
そう小さく呟き諦めようとした蓮だが、この絶望的な状況になってしまったそもそもの原因が自分だという自覚はきちんとある。美咲の覚悟と結人の態度を見ていておせっかい半分、面白半分で行動した結果がこれなのだから。
気持ちを締めなおし、頬を叩いて気合を入れる。
「いや、諦めたらそこで終わりだろ。こうなっているのはオレのせいだし、ここはオレが頑張るしかねえ!」
この先は地獄か、それとも砂漠の中のオアシスか。
冷房の効いた部屋は徐々に高まっている外気温を忘れされてくれるが、この天国に想定外の訪問者を入れてはならない。だとすれば戦うべきは夏の朝日が降り注ぐ外界。
「よし! あの芽衣を言い包めるのは骨が折れるけど、いっちょやってやるか!」
二人が眠る天国を死守する。その決意を胸に、イケメンサッカー選手が灼熱のピッチへと足を踏み入れたのだった。
――――――――――――――――――
「……あたまいてえ」
あまりの激しい頭痛に顔をしかめながら目覚めた俺は、己の身体を包む柔らかさを数秒後にようやく知覚した。
「頑張ったよな、俺……」
手を出さなかったご褒美ではないが、少しくらいこのままでいてもバチは当たらないだろう。
そんな煩悩を抱きつつ周囲を見渡すと、閉まったカーテンの外は既に明るかった。葛藤して最終手段を使ってから随分と時間が経過したようである。
「とりあえず美咲を起こすか……なっ!」
優しく抱きしめられている身体をゴロンとひっくり返し、あまりに無防備な格好で眠る初恋の相手に向きなおると、そこには幸福を体現する寝顔があった。心臓の鼓動がうるさくなり、視線を奪われる。目と鼻の先にある美しい顔があまりに柔らかくとろけていて、思わず頬に手が伸びた。
「おーい、美咲? 朝だぞ―」
むにっと? ふわっと? どんな擬音で表現するべきか分からない柔らかさと、何を触っているのか分からなくなる肌触り。軽く指でつまんで遊びながら声をかけると、流石に美咲も反応を示した。
「にゅ、う―ん……あ、れ? ここは……」
長いまつげのついた瞼が持ち上がり、灰色の美しい瞳が徐々に光りを帯びていく。
「……え?」
そしてばっちり目が合った。
「ゆゆゆ、ゆいとっ!?」
名残惜しく思いつつふわっとした頬から指を離し、視線を彷徨わせてアワアワしている美咲へと声をかける。
「おはよう、美咲」
「お、おはよう、結人……って、そうじゃなくって! み、御影、ずっと結人に密着して、寝てた……?」
朱色に染まった美咲の顔が至近距離にあって、正直自分がどんな顔をしているのか分からない。鼓動もうるさいし、早くこの場を脱するべきだと脳内で警報が鳴っている。今はもう身体が触れ合っているということもないので逃げるのは容易いのだ。でもどうしてか、その瞳に射抜かれていると肉体が動かない。
そんな錯覚を覚えつつ、答えづらい問いに対して返答した。
「え、えっと……俺も起きたらこんな感じだったからいつからなのかは分からない」
「う、うそ! ぜんぜん隠せてないんだから!」
「……まあバレるか」
嘘を貫くのは無理だと判断したせいか、美咲の顔が見られない。
すると、寝惚けてやった行動をはっきりと理解した美咲がもじもじしながら口を開いた。
「ゴメンね、結人。た、たぶんいろいろ我慢、させちゃった……よね?」
「そ、それはまあ、うん。だけど美咲の話聞いてたし、俺もいろんな人を裏切ることはしたくなかったから気にしないでくれ」
思いもしないストレートな質問に、誤魔化すという選択肢が消失させられていた。本人を前に肯定してしまったのはマズい気もするが、俺も男だし否定するのは失礼というものだろう。
ポジティブにそう考えながらも、心が冷めていく感覚があった。それは自己嫌悪のせいなのか、それともまた別の何かのせいなのかは分からない。
迷う俺の心情を読み取ったのか、美咲は真剣な表情で意見をくれた。
「……そういうところ、どうにかしないとこれからもっと大変になるよ?」
「そう言われてもな……」
「そのおでこだって何があったか簡単に想像つくし、優しすぎるのはときに罪なんだからね?」
「……ゴメン」
責められているわけではないはずだが、どうしてか謝ってしまった。
脳内に浮かぶのは、俺のような人間の近くにいてくれる「君」の顔。その中の一つは、今目の前にある。
少し前には想像もできていなかったこの状況に、どうしようもなく感慨深さを覚えた。
だからだろう。それを、許したのは。
「これは、御影の謝罪と結人への罰だから……」チュ
口づけを、許したのは。
離れていく真っ赤な顔の乙女から、視線を外せなかったのは。
額にあった痛みの上に、狂おしいほどの熱が灯っていると感じるのは。
――――――
「あれ?そういえば蓮のやつどこいった?」
冷房など意味のないくらいに熱く、そして甘い空間になっていた理由が二人きりだったからだと気づいたのは、お互いの頬から熱が飛んでいった頃であった。
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