48. 謝罪と涙、そして溶けたアイス
火照った身体にちょうどいい冷たさのアイスをいくらか口に運んだところで、御影さんが姿勢を正して真剣なまなざしを俺に向け、何かを決意したかのようなそぶりを見せてから艶やかな唇を動かし始める。
「……よし。四条くん。改めて、四年前は本当にすみませんでした。あの頃の御影は何も分かってなくて、謝っても済まされないほどのことをしたのに自分の過ちを認めることもできなくて……。気づいたのもついこの前のことで、自分が騙される側に立ってようやく理解するなんて、ホントにバカな女だよね。でも気づけたからこそ、今ここで四条くんと向き合うことができた。蓮には全部お前の都合だろ、って怒られちゃったけど……」
自嘲気味に小さく笑う彼女の表情からはやはり演技という印象を受けない。あの一件からどういった人生を歩んできたのかは分からないが、今の御影さんが形成される原因となった出来事をこれから話してくれるのだろう。
ただ、俺としてもこの偶然の再会に思うことはある。だから素直に気持ちを伝えた。微かに存在する胸中の恐怖心を自覚しながらもはっきりと。
「……そうかもしれない。でも俺は御影さんが謝りに来てくれたこと嬉しいし、素直に凄いと思う。蓮との約束もあったのに家出してまで来てくれたんだからさ」
「そ、そういうこと言うのはちょっと待って。今は御影が懺悔する時間なんだから……」
「え、うん。分かった……」
しかし俺のコメントは少々御影さんにとってタイミングが悪かったらしい。一瞬だけ動揺を見せた彼女であったが、雰囲気を仕切り直して口を開いた。
「騙された件についてはその……なんというか、親がセッティングしたお見合いで知り合った男の人に、って感じ。どうせ結婚相手を自由に選ぶ権利なんてないし、別に悪い人じゃなさそうだからって軽い気持ちで付き合って……それから、その……」
「……無理に話さなくていいよ。なんとなく分かるから」
思い出したくない記憶が蘇ったのだと、様子をみればすぐに分かった。そして同時に、おおまなか話の流れも想像できる。
だからこそ詳しく話さなくても大丈夫だと思ったのだが、その嫌な記憶と対峙した彼女は逃げなかった。
「……ダメ。同じように察してくれた蓮には甘えちゃったけど、四条くんにはちゃんと伝えなきゃダメなの。ふー、よし! ……軽い気持ちで付き合って、それでも次第にその優しさに惹かれていった。だけどその人とデートしててね、ごはん食べてるときに席を立ったタイミングで料理に変な薬盛られたみたいで、気づいたらホテルにいたの。……ふ、服を脱がされて恥ずかしい写真も撮られてて、それで脅されて……襲われそうになった」
「……」
いったんそこで話が途切れたものの、俺にはかける言葉がない。あるのは無力感と、辛い記憶を語っている御影さんへの羨望だ。
「ギリギリのところで爺やが助けてくれたけど、あのときの彼の豹変ぶりが脳裏に焼き付いて忘れられないの……。好きな人に裏切られることがこんなにも辛くて胸が張り裂けそうになって、利用されてただけって知ったときの絶望がこんなにも虚しくて心が壊れそうになるものだなんて、このときまで想像すらしてこなかった。何も信じられなくて、逃げたくなって、でもそのとき自分も同じことをやったんだって思い知らされて、信じられない気持ちになって、そこでようやく自分の過ちに思い至ったんだからもう情けなくてっ……ごめん、なさい。ゆいと……ほんとうに」
堪えきれなかったのだろう。必死に言葉を紡ぐ彼女の灰色の瞳から、美しい雫が溢れていた。俺とは違って、他人に傷つけられ、さらに自分でも心を傷つけてしまっているのだ。その真珠のような透明の光に、どれだけ心の欠片が含まれているのか。それを想像してしまったせいか、僅かばかりの恐怖を打ち消して身体が勝手に動いた。
「……ゴメン」
誰に対して謝ったのか、自分でも分からなかった。
「っ!?」
もともと近かった距離を少しだけ詰め、そっと白く小さな手を握る。下を向いている御影さんの表情は分からなかったが、触れた瞬間の反応から驚いていることは伝わった。
蓮のようなラブコメ主人公であれば震える身体を抱きしめるくらいできるのかもしれないが、今の俺にはこれで精いっぱい。それでも何かしたいと思った俺の手が振り払われることはなく、華奢なその手はしっかりと熱を帯びていた。
「……ありがとう」
「な、なんで? ……御影は感謝されることなんて」
バッと顔を上げ、濡れた瞳が此方を射抜く。
「なんとなくお礼を言いたくなったから、かな」
衝動的な行動に理由はつけられなかった。でも間違ってはいないという謎の自信がある。
そんな曖昧な俺に、いまだに苦しそうな様子の御影さんは弱々しく懇願してきた。
「……お願い、これ以上御影に優しくしないで。四条くんは御影のこと冷たく突き放して、非難して、責めて、嫌ってくれないと、ホントに、ダメなの……」
少しだけ、イラっとした。どうしてここまで罰を求めるのか分からなかったから。確かに俺は「君」に傷つけられた。その過去は変わらない。だけど―――
「それは、無理だ。だって御影さん、ずっと震えてる。好きだった女の子が俺と同じ辛い思いをして、自分を責めて目の前で泣いてるのに、放っておけるわけがない。たとえそれが俺をだました人だったとしても、俺にできることなんてなかったとしても、同じ経験をした俺なら共感することくらいはできるんじゃないかって思うんだ。だから、これくらいは……」
「……もう、どうなっても知らないんだから……」
後から思い出して恥ずかしくなるような俺のセリフを聞いた彼女は再び俯いてしまい、ボソッと何かを呟いた。
「……え? ムグッ!?」
よく聞き取れず頭に疑問符を浮かべていると、いきなり口を塞がれる。
御影さんがアイスを食べていたスプーンで。
ビターなはずの溶けかけたアイスは、どうしようもなく甘かった。
「い、いきなり何を……?」
呆けていると、言動とは裏腹にいまだ透明な雫を流している乙女が小さな口の端を綻ばせた。
「うーん、御影もまだ間に合うかなって」
「……何に?」
視線を釘づけにされ、その綺麗な灰色の瞳に意識を奪われそうになる。かろうじて短い言葉を返した俺に、意地悪そうな笑みを浮かべた小悪魔が近づいてくる。
「さあ、なんでしょう? それよりも結人の抹茶アイスちょーだいっ!」
「えっ、あ、ちょっ! 御影さんっ!?」
蓮に酒でも飲まされたのかと思うほど感情の浮き沈みが激しい……。ただ、もう大丈夫そうだと思えるならそれでいいのかもしれない。
「こっちも美味しい! 結人ももっとこっち食べる? はい、あーん」
「ご、ごめん。それはもう勘弁してください……」
さっきは油断したが、分かっていて自分から間接キスしにいくのは無理だ。恥ずかしいし、距離感が曖昧になっていく気がする。
眼前にある溶けかけのアイス。その奥に見える美しい顔には夏の花が咲いているように見えた。過去にも見たことのない純粋な煌めきに、俺の中の何かがスッと消えていく。ただ、この喪失感は悪いものじゃない。
「じゃあ御影のこと、前みたいに呼んで?」
「……はい?」
「ほら、早くしないと床に溶けたアイス落ちちゃうよ!」
「み、美咲。やめてほしい……」
だって以前のように名前を呼んでも胸に痛みがないのだから。彼女を前にして思い出されるあのときの冷たい表情が見えなくなるくらいに、ついさっきの笑顔が咲き誇っているのだから。
「よし! でもこれは食べて!」
「っ!?」
再度口に入れられたスプーンに乗っていたビターチョコアイス。やはりそれはどうしようもなく甘く、そして僅かにしょっぱい気がした。
「改めてよろしくね、結人」
「うん。でも美咲はもう少し遠慮というか―――」
「もう、今そんなことはいいじゃん。それより聞かせてよ、結人が好きな人の話」
「……なんで話したんだよ、蓮のやつ」
二人の心にあった氷もまた、アイスクリームと同様に熱で溶けてしまったのかもしれない。
ほぼ液体になってしまった抹茶アイスも無味ではなくなっていたが、苦みはまったくといっていいほど感じられないのであった。
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