47. 二人のアイス
「はぁ。だいぶすっきりしたけど、まだ夜は長いんだよな……」
バスルームから出た俺は眼鏡をかけ、スマホで時間を確認してため息まじりに呟いた。日付も変わってしまったが、この後は御影さんと話をすることになっている。幸い明日、いや今日は土曜日。バイトも昼からなので余裕があるはずだ。とはいえ、それまでにすべてが解決しているかどうかといえば怪しい。
「……蓮の話は終わったかな?」
だが今は目の前のことに向き合うしかない。御影さんが俺の前に姿を見せた理由はこの後聞くことになるのだろうと思う。そしてこれは、俺にとっても前に進むチャンスだ。
正直に言ってしまえば怖い。さっきも下の名前で呼ばれて心臓が凍るかのような錯覚に陥ったし……。けれど、それでも、俺はこの過去を乗り越えなければ進めない。御影さんは勇気を振り絞って行動してくれたんだ。彼女の方から来てくれなければ、俺から会いに行くなんてことは絶対になかった。別の方法で、時間をかけて過去を乗り越えるしかなかったところに舞い降りたこの好機を逃してはならない。
「よし、行くぞ」
気持ちを引き締めた俺は、二人が待つリビングに続く扉へと手をかけた。そのまま慣れた動作で足を踏み入れる。
「お、ようやく出たか。じゃあオレも風呂借りるな。ゆっくりしとくから、あとは二人で話してくれ」
すると俺のことを待っていたかのように親友が立ち上がり、既に風呂の準備を終えていたのか入れ違いでバスルームに向かおうとした。
「えっ? は? 蓮は一緒に聞かないのかよ」
てっきり三人で話をするのかと思っていたので、出鼻をくじかれた気分である。
「今の間に聞いたよ。オレは別に謝ってもらう立場じゃねえし、事情は聞かせてもらったから満足した。これからのこともあるし、それはオレの方で考えとくわ」
パタンと扉が閉まり、親友は俺を御影さんと二人きりにして長風呂しに行きやがった。
視線を風呂上がりの美女へと向ける。俺のお風呂タイムの間に髪の毛は乾かしたようで、綺麗な灰色の長髪が艶やかに輝いていた。着替えた彼女はTシャツと短パンという夏らしい部屋着姿で、結局のところ露出が多い。エアコンはつけているのだが、冷やし過ぎない温度にしているため風呂上がりだと少し暑い。あれ、俺のせいじゃね?
仕方ないことは置いておくとして、肌に目線を奪われないよう注意しつつ事情を尋ねる。
「……あいつが嘘つくとは思わないけど、ホント? 御影さん」
「うん。蓮には全部正直に話したよ。でもなんか意外だったかも」
「何が?」
「あのときの蓮がすごく怖かったからきっと許してもらえないって覚悟してたの。でも少し怒られただけで、あとは四条くんに任せるって言って御影の話をちゃんと聞いてくれたから……」
俺はそのときの蓮を知らない。ただ、高校二年の夏に起きたその事件からしばらくの間別室授業を受けていた俺の耳に入ってきた噂によると、普段のアイツからは想像もできない、鬼や阿修羅に例えられるような形相で御影さんに食って掛かったらしい。親友から軽く怒られたことはあっても本気でキレているところを見たことがない俺からすれば、少し興味のあるところだ。ただ、触らぬ神に祟りなしともいう。
そんなことを考えながら、御影さんのいう「少し怒られた」という部分が気になった。しかし親友のことなのでだいたいは予想できる。だから気にせず、過去を思い出して表情が凍り付いている加害者へと答える。
「……それは御影さんの本気が伝わったからだよ。きっと」
「そう、なのかな? それならよかった……かな? うん。あ、ドライヤー借りたよ。ありがとね。四条くんも乾かしてから話した方がいいよね?」
「ああ、そうして欲しい」
まるで友達のようなやり取りに、心がざわつく。その笑顔も、綺麗な声も、距離の近さも、すべてが過去のひと時を彷彿とさせた。
でもあのときとは決定的に違う。
分かっているのだ。これは素の彼女だと。きちんと俺のことを見てくれている。それだけで分かる。
なのにあのときの情景が常にフラッシュバックしていて、どうしても鼓動が早くなる。冷や汗をかく。忘却を知らない脳が、身体に危険信号を出す。
異変を表に出すと御影さんの覚悟を台無しにしてしまいかねない。手渡されたドライヤーに意識を集中させて気を紛らわす。
そうしてふと思った。
なんで女の子ってこんなに良い匂いするんだろう?
バカな思考を捨て、伸びてきた髪の毛を乾かすために眼鏡を外す。
「にゃっ!?」
ドライヤーのスイッチを入れる寸前、可愛い音が聞こえた気がした。
「……どうかした?」
「にゃ、にゃんでもにゃいから! 気にしないでっ!」
「……?」
明らかに動揺しているのは何故だろう。噛みかみなのはマジで可愛いけど。というかその恥ずかしそうな顔は反則だ。
過去に騙された相手に何を言っているんだって? 初恋の相手はそんな簡単に忘れられないってことだよ。まあ何もかもを忘れられないヤツが言うことではないかもしれないが……。
ただ、いくら肉体が恐怖していてもこの感情があったことだけはなくならない。それが彼女自身の素ではなかったとしても、なくすことはできないんだ。
「……」チラチラ
無言で視線を向けたりそらしたり。可愛いなぁ。
適当に髪を乾かし、ドライヤーを止める。すっかり静寂に包まれた室内を移動し、肌のコンディションを保つために化粧水を手に取った。
簡単な美容作業を終えて再び眼鏡を装着したところで、様子のおかしかった御影さんが息をつく。
「ふぅ。さっき蓮から聞いてたけど、すごい変化ね……。あっても良し、なくてもよし……」
「えっと……何かあった?」
「べ、べつになにも!」
「……それならいいけど。あ、そうだ。御影さんアイス食べる? さっき買ってきたのがいろいろあるからさ」
動揺しすぎて暑くなったのかTシャツの襟元をつまんでパタパタとさせている御影さん。胸元に視線をもっていかれそうになった俺は、ふとさっき外に出た理由を思い出して一つの提案をした。
自分用にいくつか買っておいてよかった。ナイス判断だ、過去の俺。
「えっ、いいの?」
「蓮のは抜いてあるから、好きなの食べて」
チョコチップのカップアイスに、爽快感のあるソーダ味のアイスバー。モナカアイスに、かき氷みたいなやつ。ほかにもいろいろあるが、俺はどれも好きだ。
「ありがと! あ、それで四条くんはどれが一番好きなの? それ以外にするから」
「……俺が好きなのしか買ってないからどれでもいいよ」
「むぅ、好きにも順番があるよね?」
不満げに頬を膨らませて問いかけられたものの、可愛さよりも責められているような視線が気になってしまう。
「いや、ホントにどれも好きだから……」
「……蓮の言った通りか」
小さく呟いた声は俺の耳に入らなかった。アイスに視線をやっていたので口の動きも見えていない。
「え?」
「なんでもない! じゃあこれ貰うね!」
疑問符を浮かべる俺の前で彼女が手に取ったのは、ビターチョコが良い感じに入っている大人なアイスだった。
「じゃあ俺はこれで」
選んだのは抹茶味のアイス。さっぱりしたやつにしようかと思ったが、対抗意識なのか苦みのあるものが食べたくなった。
「抹茶好きなの?」
「まあそれなりに。御影さんは甘すぎるのダメだっけ?」
「ううん、甘いものはだいたい好きだよ。でも今日は、ね」
なんとなく気持ちは分かる。おそらくお互いの気持ちは一致しているだろう。
これから話すことを考えると、そんなに甘い気分ではいられない。
「それもそうか。それじゃあ聞かせて欲しい。御影さんの話」
「うん・・・」
暗くなり過ぎないように、ということも含めてアイスという手札を切った俺の考えは上手く伝わっていたようだ。彼女は小さな口をときおりアイスで濡らしながら、ゆっくりとあの事件以降のことを語ってくれた。
抹茶アイスの味は、正直よく分からなかった。
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