44. 再会

 「そういえばさ、今まで聞いてこなかったけどあの後美咲……、御影さんはどうなったんだ?別の高校に転校したことは聞いたけど」


 夏の夜空に輝く星を時折見上げながら、俺はふと気になったことを親友で幼馴染の蓮に尋ねた。あのときはしばらく学校に行けなかったため、俺は詳しい事情を知らないのである。


 隣を歩いていた蓮は少々驚いた様子を見せた後、僅かに戸惑いながら俺の様子を窺ってきた。


 「……今更どうしたんだよ」


 「うーん、過去に向き合う覚悟を決めたし、事情は知っときたいなと思って」


 「……オレが家の力を使って御影を追い出したことは話したよな。あとは、正直なところそれ以上のことも考えたけど、この辺りに近づかないこととか結人の前に現れないこととか、まあそこまで厳しくない制約をつけて追放するだけに留めてやった。オレは直接的な被害者じゃないし、結人がそこまで望まないことは分かってたからな。だからアイツも別のとこで普通に生活してるんじゃないか?」


 「……そっか、ありがとな」


 なんとなくそういう感じだと察してはいたが、真実を聞いて改めて安心した。本当にこの親友は良い男である。


 「オレだってずっと助けられてきたんだからお互い様だろ。あ、今度はオレが助けてもらってもいいか?」


 話をしながら歩いているとコンビニまではあっという間だった。ただ、店に入ろうとしたところで親友が苦笑いを浮かべて助けを求めてくる。


 「どうした?」


 「財布持って出るの忘れたから支払い頼んでいいか?」


 昔から大きなミスはしないものの、こういう小さいうっかりをしてしまうのも親友の可愛いところだ。


 「ハハっ、やっぱ少し抜けてるよな、蓮って。まあ支払いは任せてくれ。アイスはいつものやつだろ?」


 「もちろんだ。サンキューな! オレは店内うろつくのもアレだし外で待っとくわ」


 「オッケー。あ、でも明日の朝飯も適当に買うからちょっと時間かかるかもしれない」


 「りょーかい! リハビリがてら少し身体でも動かしとく」


 「分かった。酒入ってるし気を付けてな」


 把握していた好みも変わっていないようでちょっと笑ってしまったものの、軽くジョギングに向かった親友の背中を見送った俺は、冷房の効いた店内へと足を踏み入れたのだった。


――――――――――


 まだ蒸し暑い夏の夜空の下、コンビニの周辺を軽く走っていた蓮は少し離れたところに三つの人影を見つけた。暗くて全容は分からないが、二人の男が一人の女性に迷惑行為をしているようだと、酔いの覚めてきた頭で彼は判断する。


 とはいえ、本人たちで解決できるなら介入する必要もない。少々様子見をすることに決めた蓮は三人の会話に耳を傾けた。


 「すみません、これから彼氏のところに行くので」


 「こんな時間に迎えにこないなんて、薄情な彼氏もいたもんだ」


 「ははっ、ちがいねえ!」


 しかし、そこで聞くはずのない声を聴いて彼の考えが変わる。何故ここにいるのか、それを聞き出さなければならなくなったのだ。


 「悪かったな。ダメな彼氏で」


 スポーツ選手でガタイが大きく、尚且つイケメンである蓮が彼氏だと知ってナンパを続けるバカはおそらくいない。彼自身もこうやって女性を助けた経験が数えきれないほどあるため、見知らぬ女性の彼氏面をすることに抵抗を持っていないらしい。もっとも、今回は知り合いであったが……。


 「ほら、行くぞ」


 「う、うん……」


 戸惑う女性の手を握りつつ、彼女の持っていた大きめのキャリーバッグを逆の手で転がす。幸いナンパ野郎たちは追いかけてこなかったため、蓮は適当なところで足を止めて隣で息を切らす女性に向き合った。


 「まず質問だ。どうしてお前がここにいる、御影?」


 自分でも冷静さを保てていないと分かるくらいに怒気のこもった冷たい声で、蓮は親友を傷つけたかつての友人に問いかける。


 「あなたに会いに来たの、蓮。結人……いえ、四条くんに謝るために」


 対する御影美咲は覚悟の炎を灯した瞳で、自分に罰を与えてくれたかつての思い人へと気持ちを伝えた。そこには恐怖を抑えながらも懸命に勇気を振り絞る健気な雰囲気が存在している。


 あまり外見の変わらない美咲の覚悟を感じ取った蓮は、あの事件以降磨いてきた自分の目を信じるなら、これは演技ではなく本気なのだと判断できる。しかし感情的には納得できない。


 「今さら何を言ってるんだ? お前が結人にやったことを、オレは絶対に忘れないし、許さない。それにもうこの辺りには近づくなって言ったよな?」


 「約束を破ったことはごめんなさい。でも、それでも御影は、どうしても彼に謝りたくて……。許されたいとか、そんなことを思ってるんじゃないの。いろんなことに気付いた今、ここで何もできないようじゃ何も変わらないって、向き合わなきゃ進めないって、そう思ったから―――」


 「それは全部お前の都合だろっ!? 結人は今あの件に向き合って前に進もうとしてる。今お前と会ってアイツがどうなるかは分かんねえけど、まず悪影響にしかならないはずだ。それに、そもそもオレはお前の言っていることを信じられない。演技の上手さはイヤってくらい知ってるからな……」


 おそらくそうではないと、蓮には分かっている。目の前の女は本気で気持ちをぶつけてきているのだと、頭では分かっているのだ。しかし、あのときの結人を思い出すと冷静にはなれない。怒りが、抑えきれない。何もできず、何にも気づくことができなかった自分に対しての怒りが、彼の心を支配していた。


 「……そうだよね。ホントにごめんなさい。でも、彼がきちんと前に進めてるって知れただけでよかった。……あんな酷いことしてここまで謝ろうともしなかった御影が彼に会って救われようなんて自己中すぎるよね……。なんで言われるまで気付かなかったんだろ……」


 ホッとしたような表情を見せた後にどうしようもない自分を恥じて悔いる美咲の姿に、蓮は過去の演技の面影を見いだせなかった。過去に見た彼女の演技にも人間らしさはあったが、今はそれしか見て取れない。美しい花が散って消えるかのような危ない儚さに、彼女の変化と人間性が見え隠れしている。何かが彼女を変えたのだと、蓮は完全に酔いの覚め切った頭でそう考えた。


 「……はぁ。お前の気持ちは分かった。とりあえずオレの方から結人に会う意思があるか確認はしてやる。だから今日はもう帰れ。夜も遅いし危ないだろうからタクシーくらいは―――」


 「お、ここにいたのか、蓮。ん? 誰かと話してたのか?」


 美咲との会話に気を取られていた蓮は、結人が近くにいることをすっかり忘れていた。後ろから声を掛けられ、思わずビクッとしてしまう。


 ただ、結人のやってきた方向からして、角度的に美咲の姿は見えていないはずだった。今も蓮の身体で隠れているため、おそらく顔は見えていない。


 「……ちょっとそこでナンパされてた子を助けたんだ」


 「流石蓮だな。あ、それならタクシーでも呼ぼうか?」


 「ああ、頼む」


 スマホを片手に近くのタクシー会社を検索して連絡しようとしてくれている結人の背中を見て、蓮は安堵のため息をついた。


 「……はぁ。なんとかバレなかったか……。っておい、どうしたんだ、御影?」


 「に、にゃんでもにゃい、でしゅ……」


 顔を赤くして俯いている美咲は言葉もまともに話せていない。


 「……いや、そうは見えないぞ」


 「……声を聴いたらやっぱり緊張しちゃって。あとちょっとだけ見えた顔が大人っぽくてかっこよくて、それにやっぱり優しいし……」


 「顔は変わってないと思うけどな。というかお前まさか……」


 緩み切った空気とは対照的に、真剣な視線で美咲に確認する蓮。これまでに見たこともない様子から考えられるのは、何がどう転んだのか理解できない事態だった。


 「ち、違うの! ……それはぜったいに、違う。だってそれは、許されないことだもの」


 「はぁ、そういうことにしとくよ。そういえばなんでそんなでかい荷物持って来てるんだ? オレを探すのにこっちで何泊かしたのか?」


 「……そうなんだけど、もうお金がなくて路頭に迷ってる感じね」


 「いや、お前お嬢様だろ。あの件で拠点は移ったけど、親父さんの会社は順調だろうに」


 一応責任を感じて御影家の状況を確認していた蓮は、彼女の家が危機的な状況になっていないことを知っている。だからこそ金欠という部分には疑問を感じずにいられなかった。


 問われた美咲は、目線を彷徨わせながら事情を説明し始める。


 「えっと、家出してここまで来たの。お父様は蓮の家のこと怖がっててここに来ること許してくれなかったし、そもそもあの件で家に居場所はなかったから……」


 「……は? じゃあこの後どうするんだよ?」


 「どうしようかしら……。一応なんとかする手段もあるけど、それをやるともうここには来れないし……」


 彼女の父親はなんだかんだ言っても娘に甘いので、優秀な執事に娘の家出の手助けを許可している。その執事から困ったときは連絡してくださいと言われている美咲だが、一度失敗すれば二度と同じ真似は許してくれないだろうと彼女は理解していた。


 二人がこそこそと話している間に結人はタクシーの手配を終えたようで、顔の見えない相手に向かって気を遣いながら言葉をかける。


 「あの、数分後にタクシー来てくれるらしいので、それまで蓮と待っててください。自分は先に失礼します。じゃあ蓮、あとはこれでなんとかしてくれ。まあ寝ないうちに帰って来てくれればいいから」


 ナンパされた直後に男に囲まれるのも嫌だろうと考えた結人はあとの処理を親友に任せた。仲良く話している二人の邪魔をするのも悪いと思ったのかもしれないが、とにかく彼は一万円札を蓮に渡して立ち去ろうとする。


 しかし、その背中に声をかける者がいた。


 「あ、あの! えっと、こ、今晩泊めていただけませんか……?」


 御影美咲、一世一代のお願い。なけなしの勇気を振り絞り、エゴを貫くためにすべてを投じた無謀な賭け。


 「おい! お前何やってんだ!」


 因縁深い二人の間にいた蓮が美咲の暴走に困惑しながらも非難の声を上げる。そして結人は、


 「……その声。まさか御影さん、なのか……?」


 当然その女性の正体に辿り着く。



 グッと強く握りしめられた彼の手にあるレジ袋。そこには小さな水滴が、少しずつけれど確かに浮かび始めていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る