43. 罪と覚悟

 人生最大の過ち。


 高校三年の夏、一つの事件を引き起こした。それがそうなんだと、遅ればせながら気が付いた。


 当時はどんな手段を使ってでも「彼」を手に入れることしか考えてなかったし、父親の教えもあってそういう人間になっていたのだと思う。


 けれど事件の際「彼」の憤怒した姿に何も見えてなかったのだと思い至らせれ、少し前に自身が逆の立場になったことで、その手段を取ってしまった己を酷い女だと自覚した。


 騙されて気持ちを踏みにじられる側になって初めて自身の愚かさに気付かされるなど、本当にどうしようもない人間だと思う。そこに思い至るまでずっと己の非を認めていなかったことも、とてつもなく傲慢で恥ずかしいことに思われてくる。


 こんな人でなしが何を言っているのかと思われるかもしれないけど、過ちに気付いたことで当時気持ちを踏みにじってしまった「あの人」に、どうしても謝りたいと思った。


 あのときのどうしようもない自分へ、身勝手な理由で騙し追い込んだ強欲で愚かな自分へ、思いやりのある言葉をくれた「あの人」に。


 同じような経験をした今だからこそ分かる。あんなメッセージを加害者に送れる被害者がどこにいるだろうか。当時は意味も分からず、気持ち悪いとかアホなんじゃないかとか、馬鹿にしていた。でも今は、そんな人を欺いてしまったという後悔しかない。


 「彼」しか眼中になかったから、その友人の「あの人」はただの邪魔ものだったんだ。ずっと近くにいられる「あの人」に嫉妬して、排除するために全力を尽くした。その中で「あの人」と密接に関わっていたのに、何も理解できていなかった。その点では酷く怠惰だったのだと思う。


 だって、色欲魔のようなバカなことをした最後の瞬間。すべてを知った「あの人」の表情すらも、まったく覚えていないのだから。


 ただなんとなく、この間その立場になったときの自分とは違うのだろうと思った。たぶん「あの人」は自分自身を責めていた気がする。事件後のメッセージから、そう思うんだ。


 だから「あの人」と話して謝りたい。過去を掘り返して傷つけるかもしれないし、こちらの顔なんてみたくなかったとしても。


 ただ、自分から連絡なんてできるはずもないし(たぶんブロックされてる)、居場所も分からない。でもそうやって悶々としてるとき、SNSで「彼」の情報を手に入れた。「彼」なら「あの人」の居場所を確実に知っている。激怒した「彼」を思い出すと恐怖に身を震わせてしまうけど、四の五の言ってる場合じゃない。おそらく同様にブロックされてるから、直接話すしかないと思った。


 だから「彼」に会うため、親の反対を押し切り何もかも捨てて家を出た。見切り発車も甚だしいけど、それくらいの覚悟を持って意志を貫けないなら「あの人」には会えない。こっちだって会うのは怖いんだから。


 けれど「彼」とはなかなか出会えなかった。それは当然だ。名家の子息で、今や世界的な有名人である「彼」とそう簡単に遭遇できるはずもない。


 限られた資金でホテルに寝泊まりしてたらあっという間に金欠になって、これまでの豊かな生活は特別で自分が世間知らずのお嬢様であったのだと自覚させられる。暴飲暴食はいちおう乙女だからやってこなかったけど、何も考えずホテルに宿泊したのは生活環境の最低ラインがかなり高いからなんだろうなぁ。


 「はあ・・・。やっぱり無謀だったかしら。爺やはまだ味方してくれるみたいだし、一度出直して……ってダメダメっ! これじゃ何も変わらない!」


 いろいろと詰め込んだキャリーバッグの重みによって気持ちが沈みそうになるのを、首を横に振って否定する。


 でも既に日付が変わりそうな時間で、このままじゃ野宿の可能性も……。この町に知り合いはいるけど、あの事件のせいで腫れもの扱いされるのは目に見えてる。


 「ねえそこのお嬢さん、行くとこないなら俺たちのとこ来ない?」


 どうしようもなくトボトボと歩いてたら、後ろからチャラい男の声が聞こえてきた。


 「……」


 振り向くと、ナンパらしき二人の男がいやらしい目でこっちを見ている。


 めんどくさいことになった。


 「すみません、これから彼氏のところに行くので」


 嘘でもなんでも、とにかく逃げなきゃ。


 「こんな時間に迎えにこないなんて、薄情な彼氏もいたもんだ」


 「ははっ、ちがいねえ!」


 うーん、どうしよう。


 「悪かったな。ダメな彼氏で」


 えっ?


 再び背後から聞こえたのは、懐かしい「彼」の声。


 「ほら、行くぞ」


 「……う、うん」


 優しく手を取られ、「彼」の存在感に圧倒されたナンパ男たちがすぐに見えなくなった。そしてコンビニの明かりが眩しいもののひと気のない路地で、「彼」が夏を忘れさせるほど冷たい声音で確認してくる。


 「まず質問だ。どうしてお前がここにいる、御影?」


 少し顔が赤いのはお酒のせいだろう。匂いからも分かる。けれど「彼」は酔いなど感じさせない冷ややかな視線を、怒りを隠しきれない瞳からこちらに注いでいた。


 不幸中の幸いというべきかな。ナンパに引っかかったおかげで目的の「彼」が助けてくれるなんて。幸運への喜びを隠し、覚悟を持って、ただ一つの目的を伝える。


 「あなたに会いに来たの、蓮。結人……いえ、四条くんに謝るために」


 そう告げるわたしは御影美咲。


 「あの人」を騙し、傷つけた、罪深い一人の人間である。



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