42. 三度目の問いかけと〆のアイス
「警察と芽衣ならどっちに通報されたい?」
突然の非情な選択を真顔で迫る我が親友。二種類の未来を想像した俺は即座に土下座し、恥も外聞もなく頼み込む。
「……どっちも人生終わるからやめてください」
「じゃあ吐け。未成年に対して何をやらかしたのか」
フッと小さな笑みを浮かべ冗談だと言ってくれるはずだと期待していた俺は、依然として冷たい視線を向けている蓮が悪魔ではないだろうかと思った。その悪魔に逆らうことはできないため、僅かながら抵抗するつもりで興味を逸らす話題を選ぶ。
「……普通に部屋で勉強教えてるだけだ。まあほとんどの時間は二人でゲームやってるんだけどな。そのゲームの中でこの前告白ゲームってのをやって、告白台詞を言い合ったりしたのはきつかった」
「……は? ゲームとはいえ告白した? 結人が? ……大丈夫だったのか?」
見事に食いついてきた親友がすげえ心配そうにしてくるため少々罪悪感を覚えたものの、今はこのまま話を継続することにした。小悪魔な教え子の顔を思い浮かべながら、己の気持ちを口にする。
「なんとかな。あれも進歩した証というか、今に至るまでの大事なステップだったと思う。夏葉とは六月頃からの付き合いだけど、なんだかんだ素の自分で話せる存在でさ、だから大丈夫だったのかもしれない」
「そっか。てかどうして家庭教師のバイトまでやることになったんだ? 別に金に困ってるわけじゃないだろ? 親父さんたちもバリバリで働いてるんだし」
「学費はともかく生活費くらいは自分で稼げって言われてるから仕送りはないんだぞ、俺。といってもふみちゃんのところでこの辺にしては高い給料貰ってるから問題なかったわけだけど、夏葉のおじいさんがうちの大学の学長でさ、成績上位者への特典みたいなやつの話で顔を合わせたことがあって、いきなり呼び出されて孫の家庭教師を頼むって」
都会とはいえないこの街にしては星宮書店のアルバイト代は高い方で、しかもときどき晩飯まで頂いたりするため、本当にお金がないわけではない。そんな俺が家庭教師のバイトを引き受けたのはただ単に人生経験になると思ったからだ。少なくとも最初は。
言葉を紡ぎながら当初のことを思い出しつつ、親友の発言に耳を傾ける。
「学長ならもっと伝手あるんじゃないか? しかも女子高生の家庭教師に男を選ぶってのもなぁ……」
「俺も行ってみたらすげえ可愛い女子高生がいて驚いたよ。夏葉から聞いた話だと、学長が頼んだ家庭教師をことごとくゲームで負かして、弱い人に教えてもらうことはないって追い返したらしく、俺はダメ元で突撃させられたらしい」
「でもそれが最適な人選だったわけか。結人が頭使うゲームで負けるわけないし」
蓮の発言は少々大げさだが、おそらく本気でやればそういったゲームで負けることはない。まあ個人的に納得できないことがあるので、それを自慢したくはないけど。とはいえ、最初に出会った時の教え子は今とは別人のような冷たい視線で俺を見ていて、そんな彼女を負かしてやったことで今の関係になっているのも事実である。
「……結果的にはそうかもな。でも夏葉はもともと頭よくてさ、家庭教師なんてホントはいらないんだぜ? 大学に行けないって思わせるためにわざと悪い点取ったりしてるくらいだし。最近では俺とのゲームを続けるために、ちょっとずつ成績を上げるという高等テクをやってのけてるからな」
「どうして大学行かないんだ?」
「えっと、うーん……。あんまり明るい話じゃないから短くまとめると、夏葉が小学生の頃両親が亡くなったらしくて、その後から祖父母の学長夫婦のとこでお世話になってる夏葉としては、定年を過ぎてまで働いてる学長にこれ以上負担をかけたくないから就職したいってことらしい」
教え子としては俺が口にしたよりもしっかりとした理由があると思うが、他所の家庭事情をぺらぺらと喋るのもよろしくない。信頼している親友だからこそ要約して話したが、それも褒められた行動ではないのだろう。
蓮は常識人なのでこれ以上の深堀をすることもなく、学長先生の心情を慮るように自身の意見を述べた。
「話を聞く限り、確かに頭のいい子なんだろうな。でもそれは気の遣い過ぎだろ。孫の将来を自分のせいで潰してしまったって、学長さんが後悔することになる」
「……そうだな。だから俺の仕事は勉強を教えることじゃなくて、本当にやりたいことを見つける手伝いと、それを実現するための進路に導くことなんだ」
「……よかった」
俺の決意を聞き、ホッとしたような安堵とどこか優しい表情を見せる蓮。思わず何事かと尋ねてしまう。
「どうしたんだ?」
「いや、邪な思いだけでJKの家庭教師やってるのかと思ってたけど、ちゃんとした教師の顔してたからさ。オレの知ってる人は教え子の女子高生と駆け落ちしてるし。欲望に勝てなかったんだろうな、その人は」
「……」
くそ! 一部を切り取れば褒められているが、完全に話の主導権を握りにかかっているぞ、こいつ! 何かもっと優しい言葉をかけてくれるんじゃないかって期待した俺がバカみたいじゃねえか!
文句を垂れ流していると、イケメン悪魔が小さな子どもを諭すかのような笑顔で自白を強要してくる。
「楽になろうぜ。大丈夫、誰にも言わねえよ。犯罪じゃなければな」
犯罪ではない。
己の心に確認し、俺はそう断定した。それに、誤魔化そうとしてもそれが不可能なことは分かり切っているのだ。であれば、もう同じ男である親友に同意を求めるしかない。だから俺は、正直に心の叫びを言葉にする!
「学生服の夏服ってさ、改めて見るとすげえエロいんだよ。夏葉が無防備なだけかもしれないけど、しょっちゅう下着が目に入って正直目のやり場に困る。チラッと見えるのも透けて見えるのも、なんかこうイケないと分かってるのに視線が奪われるんだよな……」
何言ってんだろうな、俺。これがアルコールの力かぁ……。こりゃあ女の人と飲むときは気を付けねえとな。
「男のさがと言ってもいいことだな、それは。オレも気持ちは分かるし、目に焼き付けるだけで肌に触れてないなら……」
うんうんと頷く我が親友は理解を示してくれたようだ。けど最後の方で俺をまっすぐに見つめながら接触の有無を確認してきたのは想定外。答えろと言わんばかりの圧力に、無言を貫くことが許されなかった。
「……モ、モチロン、ソンナコトスルワケナイジャナイデスカー」
「はぁ。……触ったんだな」
「仕方なかったんだよ! 夏葉が日焼け止め塗ってくれって頼んできて断れない状況にされたんだ!」
「で、感想は?」
「ヤバかったです!」
……間髪入れずに即答とかもう駄目だ。何もかもコントロールできてねえ。
「……とりあえず芽衣と相談だな」
地獄への扉が開きかけていることを自覚し、俺はただ震えながら言い訳を考えるしかない。
アレは不可抗力であり、言ってしまえば互いの同意の上に成り立っているのだ。
たぶん。
だから芽衣に言うのだけは!
「それだけはやめてくれ!」
「まあ結人だし、変なことをしてないのはオレも分かってる。だから確認な。その子のことも、異性として好きか?」
結局ストレートにお願いするしかなかったものの、親友は流石に俺のことをよく理解していた。その上で三度目の真剣な問いを投げ掛けられ、俺も気を引き締め直す。
可愛い教え子への気持ちを、これまた初めて言葉にする。
「……ああ、好きだ。俺のことからかってくるけど、性根は優しすぎるくらいに優しくてさ、夏葉に気付かされたことがたくさんある。出会った当初は暗くて他人にまったく興味ない感じで、独りの世界に閉じこもってたのにな。その孤独の中でもきっと家族のこと考えてたんだと思う。ホントにすげえ教え子で、すげえ人間だよ。俺のこともよく見て理解してくれてて、だからこそ傷つけたこともある。なのに俺のトラウマに気づいて、それをどうにかしてくれようとしてるんだ。どんな道にも進める才能がある夏葉が、このどうしようもない俺のために……」
言葉を紡ぐ口が次第にそのスピードを落としたのは、きっと自分の情けなさと年下の女の子への尊敬の念が溢れてしまったからに違いない。まだ数か月の付き合いなのに、ここまでの思いを抱いているとは今更ながら驚いた。
感情のせいで別のなにかも溢れそうだと思っていると、親友がそれはさせまいと助け船を出してくれる。
「そうか。あとあれだよな、可愛くてスタイルよくてエロいってのも好きなところだろ? 確かにモデルっぽい感じだよな」
「……芽衣から写真でも見せられたのか?」
「そうそう。その子だけ写真あるってツーショットが送られてきた」
柄にもないことを言い出したのは暗くなりそうだった空気を変えるためだと、もちろん当事者の俺にはよく分かった。スマホを差し出してくる蓮に感謝しつつ、その画面に映る二人の写真を見る。
「夏葉すげえ嫌がってんじゃん……」
「でもそこが可愛らしいじゃん。オレも会ってみたいな」
「…………」
その発言に黙ってしまった俺は今、どんな顔をしているのだろうか。
動揺して何も分からなくなった俺に、親友は安心しろと小さな笑みを浮かべて発言の意味を説明し始めた。
「冗談だよ。でも悠長なことは言ってられないってことだ。結人が好きになった人たちは全員魅力的な女性ばかりで、アプローチをかける人間がいつ現れるかなんて分からない。話を聞く限りまだ大丈夫だと思うけど、お前の選択と行動によって未来は大きく変わるんだぞ?」
「……分かってるよ。でも、俺なんかよりもっといい人と結ばれた方が幸せなんじゃないかって思うときも―――」
蓮の言うとおりだ。俺の周りにいてくれる人はみんな魅力的で、誰が好意を持ってもおかしくない女性である。ただ、だからこそ、俺は切実にそう思うんだ。
しかし、俺の言葉が最後まで紡がれることはなかった。
厳しい視線を俺に向けて怒る親友によって遮られたから。
「そろそろその低い自己評価はやめろ。結人を大切に思っている人間に失礼だ。もちろん、オレに対してもな」
言いたいことは分かる。でもそれは簡単じゃないんだ。これまでの人生を振り返ってみて何か誇れる部分があるかと言われても何もないような人間なんだぜ? 誰かのために何かをやったことはあっても、結果として俺は別の誰かに迷惑をかけることでしかそれを為せなかったのだから。
こんなネガティブ思考も蓮にはバレていると分かっていながら、己へ言い聞かせるように前向きな発言で返す。
「ホント蓮はカッコいいよな。俺も頑張ってもっと自分を好きになってみるよ」
「少しずつでいいからな。……ナルシストになられても困る」
苦笑しながらそう言ってくれる蓮は、やはり俺のことなど全てお見通しのようであった。
心の中で優しい友に感謝していると、ふと時計が目に入って寂しい気持ちになる。でも時間は有限だからこそ、人間はそのひと時に意味を見出して精一杯生きられるのだと、どこかで聞いたような……。
「そうだな。なあ、蓮。少し外歩かないか? 甘いもの欲しくなってきた」
「名残惜しいけどもういい時間だもんな。アイスでも食って〆るか!」
けっこう酒も飲んで、長時間色々とつまんでいたにも関わらず甘味を求めるのは、アルコールで胃袋がバカになっているからだろうか。それとも別腹というやつだろうか。
〆の甘味を求めて立ち上がった俺たちは、お互いにふらふらしていて足元も少々おぼつかないが、会話を楽しんでこのひと時を忘れないようにしていたのか、きちんと自我はあるし思考能力も正常っぽい。少なくとも酔っぱらって他人に迷惑をかけることはなさそうだ。
ただ、このときの俺たちは知らなかった。酔いなど一瞬で覚めてしまうような出来事がこの後待ち受けていることを。
買い出しの際にアイスを買い忘れたという偶然が運んできたその運命はしかし、このときの俺にとって最も重要であり、前に進む上で決して避けられない選択の瞬間でもあった。
多少の酔い覚ましも兼ねて部屋を出る前に少しだけ片づけをした俺の部屋はいつもより広く見える。それももう少し時が経って次の日を迎えるときには元に戻っているのだろうと思いながら、俺はまだまだ蒸し暑い夜の道へと足を踏み出したのだった。
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