41. 理解者の問い
グラスに追加の酒を注ぎつつ、俺は桜井親子の話が出てきたことから過去の入院を思い出していた。おそらく目の前でセーブしながらチビチビやっている親友も同じなのだろう。二人そろってお世話になった病院の話題に食いついてきたのだから。
「ちょうど昨日その桜井病院に行ってきたんだぜ、オレ?」
「……ケガの具合見てもらったのか?」
見たところほぼ治っているが、歩き方や姿勢に小さいながら影響が出るということは、まだ安心はできないということだ。ただ、あっけらかんとしている親友を見ていると本当に大丈夫なのだろうと思えてくる。
「そうそう。まあほとんど治ってるから最終チェックみたいなもんだよ。結果も異状なしだったし、おかげでこうやって親友と飲めてるってわけだ」
「クセにならないように気を付けろよ。ただでさえサッカーはフィジカル面で危険なスポーツなんだから」
とはいっても、ケガが選手生命を左右する大きなファクターであることもまた事実だ。釘を刺しておかなければ無茶をしかねないことも分かっているので、しつこいかもしれないが忠告をしてしまった。
「へいへい。分かってるって。というか、今はそんな話どうでもいいだろー。あの堅物名医の娘さんがどんな感じなのか教えてくれよ」
「はぁ、次試合出るときに配信とかあったらチェックするからな。桜井先生は……父親とあんまり似てないな」
「その呼び方ややこしいから変えようぜ。本人いないし下の名前な。で、似てないっていうのは?」
どうしてお前が決めるんだと思ったが、別に問題があるわけではないためスルー。ただ、馴染みがないため少々恥ずかしさはあった。
「……穂香先生は抜けてるところ多いし、表情も普通に豊かってことだ」
「そういうことか。それで、穂香先生との出会いは?」
「初めて見たのは今年のはじめ、穂香先生がうちの大学で講師になって最初の講義だな。あのときはすげえ美人で年の近い女講師がきたってバカな男たちが騒いでたっけ……。まあ講義が始まってその熱は完全に消えたんだけどな……」
「へえ、なんでだ?」
「そもそも学生への接し方に壁があったし、講義はクソ真面目で堅苦しくて、分かりやすいけど内容がすげえ難しかったからな。そのときは表情とか雰囲気が張り詰めてて、ほとんどの学生は質問にもいかず、近寄ろうとしなくなった。一部の特殊なやつらは鋭い視線を向けられて悶絶してたけど……」
少し前のことを思い出して苦笑してしまう。本当にあのときの穂香先生はクールだった。今からは考えられないほどに。おそらくすべてを一人で抱え込んでいたのだろう。
そんな思考をしながらしみじみと語った内容と最初に述べた父親とは似ていないという部分に違和感を覚えた親友が、今日初めて飲んだ日本のビールの空き缶を手に確認してきた。
「……なあ、さっきと言ってること違ってね?」
「まあもう少し話を聞けって。で、そういう印象のまま講義が終わって、いざ研究室選びの時期になったわけだ。穂香先生のやってる研究内容は難しいし、何より講義での印象が悪くて人が寄り付かない。だから興味のある研究を一人でやっていけるってことで、俺は穂香先生の指導を受けることにしたんだ。講義でも質問に行って事前に話聞きにいったけど、真面目な先生って印象しか俺は持たなかったし。まあ他に気になることがあったのも理由の一つだけど……」
「その気になることって?」
「……部外者だしいいか。おっさん教授に絡まれてる、というかセクハラ受けてるとこを偶然見かけたんだよ。うちの大学では分野の近い教員同士は研究室が隣接してて、教員同士のやりとりも多い。穂香先生のお隣さんがやべえ教授だったってわけだ」
「……お人好しというか、なんというか。結人らしいけどよ、解決するのは大学側の仕事だろ?」
心配そうに、けれどどこか誇らしげに意見をくれる蓮に、俺の心が温かくなる。長くしゃべって渇いた喉を潤すための冷えた酒が、いっそう美味しくなった気がした。
「俺ができることなんて限られてるし、一人で解決しようとは思ってねえよ。できないことはないけど、ちゃんと大学側から処分してもらう」
「それならいいや。それよりもまだ最初に言ってた感じになってないぜ?」
「まあ研究室入ってからだな、あの人の本性を知ったのは。一年目の若い女性講師が学生からなめられないように気を張って、そんな中で気持ち悪いオッサンにセクハラ受けて、かなり精神的にきつくなってきてたんだと思う。自分の指導学生にいきなり愚痴を聞かせてきたくらいだからな。俺も豹変ぶりには驚いたけど、仕方ない状況だったと思うし、それですっきりするなら話くらいはいくらでも聞こうって思った。そこからかな、いろんな一面を知っていくことになったのは。まあ今月の頭からでまだまだ知らないことも多いけど……」
つらつらと口から出てくる説明を他人事のように聞きながら、己がここまで饒舌になれるのかと改めて自覚させられる。そしていろいろと口にしながら、まだ解決していないその問題を早めに片付けようと、先生の笑顔を思い浮かべて強く決意した。
心情が表に出て多少怖い表情になっていたのか、親友はニヤニヤしながら俺を揺さぶってくる。
「へえ。その短期間で穂香先生には何をやったんだ?」
「……な、何かやった前提で話をするんじゃねえですよ」
「……ホント下手だよな、誤魔化すの。オレに対してだけってのもおかしいけど」
「たった一人の大切な親友だからかもしれないな……」
いや、マジで。蓮に本心伝えられなくなったら俺は誰に相談すればいいんだ? もちろんあんまり教えたくないこともあるが、きっと俺は自分のことなら誤魔化せないのだと思う。
「お前さ、そんな気恥ずかしいことはっきり言うなよ。照れんだろ? あ、もしかして女の子にもそうやってたりするのか?」
「……思ったこと口にしただけだろ」
「結人がたらしになったことを喜ぶべきか? いや、まあいっか。それで? 何やらかしたんだ?」
不本意なことを言われた気がするものの、再びにやけ顔で問い詰めてくるイケメンにはきちんと説明しなければならない。おそらく、特に何もやらかしてはいないのだということを!
「目を輝かせて聞くんじゃない。それに別段やらかしたってこともない……はずだ。泥酔した穂香先生をマンションまで背負って運んだのと、プールで転んで怪我したところを助けて医務室に運んだくらいだし」
「めちゃくちゃ接近戦やってんじゃねえか!」
「ま、まあいろいろと役得はあったと思う。けどな! 酔っぱらいの世話はかなりきつかったんだぞ! 穂香先生の名誉のために詳しくは言えないけど……。それにプールの件だって無防備すぎるからめちゃくちゃドキドキしたし、二人きりの医務室とかもうダメだろ!」
「……テンションがもうダメだな。結人も水飲んどけ、な?」
「サンキュー……」
面目ない。自分の部屋ということもあってハイペースで飲み進めていることもあり、さっきから妹のように口が軽くなっている。自我があって一応水を飲むという判断ができるので大丈夫だと思う。それに、俺のようなビビりは判断能力を失う怖さが先にくるため、どこかでセーブしているものだ。
ただの水によって冷静さが少しだけ回復した俺に、親友が再び真剣な表情で問う。
「よし、少しはマシになったな。それで? その先生のことはどう思ってんだ?さっきと同じで異性として」
既に一つ、気持ちを口にしているのだ。今更躊躇する理由はない。
「好きに決まってる……。キツイ環境で頑張ってたところはすごいと思うし、俺に見せてくれる姿が普段とのギャップもあってめちゃくちゃ可愛い。抜けてるところもあるけどちゃんと俺のこと見てくれてて、たまに年上らしく頼りになるとこもすげえカワイイんだから」
アルコールが回ってなければもっと上手く気持ちを表現できたのかもしれない。けれどやはり誰かに、本人には言えない気持ちを聞いてもらえるのは幸せなことだと思った。意見を貰えるのもそうだし、口にすることで再認識させられる。
「……まあそうだと思ったけどさ、お前三人全員好きだろ? その上で誰とも付き合おうとは思ってないってことだよな? だから迷いなく好きだって言えるんだろ」
だが、嬉しさの中に悲しさを混ぜ、その他にも言い表せない感情が見え隠れするようなごちゃまぜの表情で、親友がはっきりと俺の問題を口にした。
その通りだ。どうしようもなく、そう思った。蓮の言葉には俺を責めるようなところもあったが、それも当然だ。好きだと言える理由が、あまりにも消極的なものなのだから。
「今の俺じゃあダメなんだよ。過去に囚われて相手の好意を疑って、自分の気持ちを伝えることもできない。でもこの気持ちだけは本心で、蓮に嘘偽りを言いたくないから……」
「……はぁ、分かってるよ。ただ、一つだけ確認な。もしも過去を乗り越えたなら、結人は気持ちを伝える相手を一人、たった一人だけ選ぶことができるか?」
どうしようもない現実にため息をついて頭をかく親友。しかし次の瞬間にはスッと真剣なまなざしが俺を射抜いている。逃れられない状況で、俺の理解者は的確に急所を突いてきた。
考えたことがないわけではない。もしも俺が告白するなら、誰にするのだろうかと。
答えは出なかった。けれど少しずつでも前に進んでいけたなら、俺も……。
「……そんなの分かんねえよ。でも、たぶんだけどさ、そうなれたならきっと答えが出てるんだと思う」
「よっしゃ、それならいいや! じゃあ最後な。教え子のJKについてやらかしたことをさっさと吐け。通報してやるから」
空気が暗いのは嫌だし、雰囲気変えてくれようとしたことには感謝する。けどな、もっと他に言い方ねえのかよ。マジでシャレにならん!
「なんでそうなるんだよっ!? ってかやらかしたことなんて……ねえっすよ、マジで。うん」
やっぱり誤魔化せねえな、俺。
こればかりは通報されないと信じるしかない。そんな覚悟を決めて、カワイイ教え子との記憶を呼び起こす。
いつも孤独に過ごしている部屋の中で幼馴染と二人で酒を飲む。一人でいくら考えてもどうにもならなかったことが、最大の理解者の前だとどうにかなる気がしてくる。また日本のビールを開けた親友は、故郷の味がよほど気に入ったらしい。そういえば日本酒とか焼酎も少しずつ飲んでいた。水は挟んでいるようだが、ホントに大丈夫か?まあ俺の話をつまみにしながら的確に突っ込んでくるのだから心配はないか。
夜はまだまだ長そうだと、珍しい海外の酒から次を選びながら思う。この場にある多様なお酒のラベルはカラフルで、それがまるで人生の選択肢とその先の未来のように思えてならない俺であった。
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