3 章 過去との対峙編
37. 教え子の不機嫌、家庭教師の思い
「お疲れ様。今日はもう帰っていいよ、せんせー」
渡した課題の採点が終わり、いつも通り満点の解答用紙を教え子に返却したところで、俺は非常な戦力外通告を受けた。
というわけではないが、今日は何故か顔を合わせたときから不機嫌度マックスのJK夏葉さん。恐ろしいほどおとなしく課題を終わらせた彼女に、いつものゲーム大会へと入る前にお役御免を宣言されてしまった。
タイミング悪く学校で何かあったのかもしれないが、それ以外の原因もいろいろ考えられる。俺自身が何かやったかというと、プールでのバイト中にギクシャクしたが、あれはその日の別れ際には解決していたはずだ。
うん、夏葉はよく分からないところもあるが、今回はマジで心当たりがない。
「……あの、どうしてそんなにご機嫌斜めなんでしょうか、夏葉さん?」
「しらない」
「えぇ……」
プイっとそっぽを向いてしまった教え子に、俺はただ困惑するしかなかった。これはもう帰るしかないのでは? まともに会話してくれないし、ここにいてもお互い気まずいだけだ。
「分かった。今日はこれで帰らせてもらう。一応次は明々後日だけど、都合が悪ければキャンセルの連絡してくれ。それじゃあな」
「ホントに帰るんだ。この給料ドロボー」
相変わらずこちらに視線は向けず、制服姿というのに腕で膝を抱えた体育座りの姿勢で文句を述べるカワイイ教え子。下着見えるのとか気にしてないのか? あ、俺は見てないぞ。この状態で直視していたらそれこそ何を言われるか分かったものではない。
ただそれにしても、高校でもこんな感じなら男子たちは歓喜かもしれないが、あまりに危機意識が低すぎるのはなかろうか。
そんなことを考えていたせいか、俺も少々言葉が強くなってしまった。
「いや、夏葉が帰れって言ったんだろ……。じゃあ今日の給料はなしでいい―――」
「せんせーはアタシが来いって言ったらいつでも来るの? アタシの愚痴に三百六十五日付き合えって言ったらずっと聞いてくれるの?」
(……今日のこいつ、かなりめんどくせー)
売り言葉に買い言葉。本気で意味のない言い争いだ。
とはいえ、ここで物騒なたとえを使わないということは、夏葉も一応冷静さは保っているのだろう。それに発言の内容的から、もしかしたら俺の知らないところで助けを求めていたのかもしれない。
この間のバイト中にもヤバそうな同級生から変な目で見られてたし、ここは意地にならず話をしてみようと思いなおした。
「まあ、そうだな。呼ばれたら可能な限り駆け付けたいとは思うし、そんなに悩みがあるなら解決してやりたいから話くらい聞くぞ」
「……ならそこに座って」
「分かった」
「ねえせんせー、美人女子大生の手料理は美味しかった? 優しく介抱されて嬉しかった? 添い寝してもらって気持ちよかった? ねえ、どうなの?」
「……」
(え? どういうこと? なんで夏葉が昨日のこと知ってんの?)」
想定外の展開に一瞬だけ思考がホワイトアウトしてしまった。だがここで選択を間違えるのは不味い気がする。昨日気絶から目覚めた後のことを思い出せ、俺! 何かヒントがあるはずだ。
脳内のメモリーへとアクセスし、スパコン並みの処理速度で記憶を洗い出す。
・・・・・・・・・・・・・・
目覚めた時、ふみちゃんは既に帰っていた。置き手紙からいろいろ気遣ってくれたことが分かったし、鍵もきちんと閉めて室内に返してくれていたので誰かが侵入したこともないだろう。そしてその後は誰も部屋に来ていない。
今日ここへと来るまでについても、朝から大学に行って桜井先生と研究室で過ごしていただけだ。連絡をしたため事情を知っている先生から、彼女の父親が運営する俺も馴染みの病院に行くかと聞かれて断ったりしたが、ふみちゃんに看病してもらっていたことは話していない。
とはいえ、ふみちゃんと笹川さんに夏葉との接点はなさそうだ。そして笹川さんは添い寝(俺は気絶していた)の件を知らないはず。ふみちゃんは性格的に話していないと思うし。つまり、どういうことだ?
いや、俺の狭い交友関係なら可能性はもっと絞れるはずだ。直接会った人だけでなく、メッセージだってヒントになるかもしれない。昨晩連絡を取ったのは、改めてお礼を伝えたふみちゃんと、毎晩連絡してくる妹の芽衣だけ。
内容を思い出してみると、ふみちゃんの方は特に不自然なところもなかった。芽衣の方は……どこか文章がおかしかったように思う。ただ内容は伝わったので気にしていなかったが。
一応脳内から昨晩妹から送られてきたメッセージを取り出し、内容を再確認する。
まさかお兄ちゃんのパンダ動画が
普及してるなんて思わなかったなぁ
みんなに見せたら面白がってたよ!
サンサンの太陽で地獄だったかもしれないけど
まともに動けるのは流石だね
次回もやることがあったら動画撮ってあげる
ってもうやりたくないか
ん? ドMだからやりたいの?
死ぬよ? 今度こそ
何回かに分けて送られてきたメッセージはこんな感じだ。
話題の縦読みとかやってんのか?
『まふみさんまじってんし』か?
いや、改行の位置を考えるなら、『まふみんまじてんし』になる。
はぁ、そういうことか。
どういうわけか学校帰りに俺の部屋へとやってきた芽衣がタイミング悪くふみちゃんに出会ってしまい、あいつが持ち前のコミュ力でふみちゃんと仲良くなり、根掘り葉掘り聞いた出来事を夏葉に伝えたと……。
俺の持ち合わせていないスキルで混乱させるようなことをやってくれた芽衣には後で言わなければならないことがあるな。まああのふみちゃんとすぐに仲良くなれたのなら、それは流石としか言えないことだ。そこは褒めてやってもいい。
ただ、この状況を作り上げた罪は消えないぞ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時間にしてわずか数秒で以上の思考を成し遂げた俺の脳みそ。その働きを無駄にはできないため、ここから慎重に言葉を選ばなければならない。
「誰に何を聞いたのかは知らないけど、体調崩してたしほとんど覚えてないからな。というか、それでどうして夏葉の機嫌が悪くなるんだよ」
言葉を選んで慎重に、というのは無理だった。何も迷惑をかけていないのに理不尽な八つ当たりを受けているという事実に、少々疑問を抱いてしまったから。
「否定しないってことは、やっぱホントなんだ。芽衣にからかわれてるだけかと思ってたけど、そうなんだ……」
でもこの顔を見せられたら大したことのない憤りなど持っている場合ではない。
怒りと寂しさ、それに加えて読み取れない感情が多数。複雑な色彩が網膜に焼き付き、教え子の伝えんとすることが感覚的に流れ込んできた気がした。
俺もいろいろ察しの悪い部分はあるが、教え子である年下の女の子にこんな表情をさせておいて思考を放棄するなど、間違っているに決まっている。
それにちょっと考えれば推測できることなのだ。夏葉の性格と俺がやっていることを考慮すれば、自ずと答えは見えてくるのだから。
「悪かった。体調のこと伝えなかったこと。でもそんなにひどくもなかったし、心配させるのもどうかと思って……」
「…………」
いじけたように抱えた膝へと顔をうずめ視線は合わせてくれないが、きちんと話を聞いてくれていることは分かった。だから俺も言葉を紡ぎ続ける。
「夏葉はなんだかんだいっても優しいから、昨日体調崩したのに平然とやってきた俺のこと心配してくれたんだよな? なのに俺が自分の口で何も伝えなかったから怒ったんだろ?」
「……半分正解」
小さな声で返事があり、少しだけ顔が上に向いたかと思えば、大きな瞳から伸びた視線に射抜かれた。
「もう半分は当てなくてもいいか?」
「うん」
お互いにどういう意味のやり取りかは理解しているはずだ。俺も夏葉も、理解していながら何かと理由を付けて言及しないようにしているのだと思う。このままではダメだと、俺にも分かっているのだ。しかし、今はまだこれでいいのだと思ってしまう甘い自分がいる。
「こういう思考ゲームは苦手だからさ、なんか違うゲームでもしないか? それと、その、なんだ……パンツ見えてるぞ?」
自身の体勢から俺の言葉の意味を理解した夏葉。サッと足を閉じて座り方を変えてしまう。
大人っぽい感じの白い布が見えなくなり、ホッとしたような残念なような。
「……この変態家庭教師。今日こそ負かしてやるんだから!」
ただまあ、教え子にいつもの明るさが戻ったのだからそれでいい。やっぱり夏葉はこういうときが一番魅力的だ。
とはいえ、ゲームで手加減はしてやらないが。
全戦全勝で本日のゲーム、ヌメロン(昔テレビでやっていた数字を当て合うゲーム)を終えた俺は、悔しそうにしている教え子の姿を見ながら小さく口元を緩ませたのだった。
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