36. 優しさと自嘲、そして……

 注文したものが届き口を潤すことが可能になった芽衣は、甘いパンケーキとは反対に真剣な表情で眞文に尋ねた。


 「まずはじめに、まふみんさんはどうして兄の部屋から出てきたんですか?」


 力強さを感じるはっきりとした声で向けられた問いに、何かの容疑者のような気分になった眞文が戸惑ったように答える。


 「あの、体調を崩したお兄さんから連絡をもらって……」


 「看病をしていたと?」


 「うん。でもずっと部屋にいられても困るかと思って、体調もだいぶ回復してたからお兄さんが寝てる間に出てきたの」


 ここまで何も説明をしていないにも関わらず、色々と確信を持っているかのような様子で会話を進める兄思いの女子高生。その正面で取り調べを受ける女子大生はどこか縮こまっているように見えた。


 「そうですか……。へえ、そうですか……」


 ただ、ブツブツと不機嫌そうに何事か呟かれてはそれも仕方ないかもしれない。眞文は正面で怖いオーラを発している芽衣に恐る恐る呼びかけた。


 「め、芽衣ちゃん?」


 「あ、いえ、すみません。別にまふみんさんに嫉妬とかしてませんし、妹に連絡してこなかった兄に怒ってもいませんからね!」


 (……嫉妬してるし怒ってるんだね)


 感情が分かりやすいところはなんとなく似ているな、と眞文は感じた。兄の方は口に出さないし表情もあからさまには変わらないが、それでも彼女が十二分に察することができる程度には筒抜けだ。


 一つの発見にどこか温かい気持ちになりながら、眞文は可愛い年下の女の子が機嫌を直してくれるように情報を捕捉した。


 「でも午前中はもう一人私の友達が一緒にいたし、ふたりきりだったのは午後だけだよ?」


 「……フォローになってませんからね、それ。ワタシも学校なんか休んでお兄ちゃんのお世話したかったのに、妹がつまらない授業を受けている間に兄は美人さんにあんなことやこんなことしてもらってたってことですよ!? しかも午前中は女性を二人も連れ込んでたなんて!」


 だが結果は火に油を注ぐ形となった。店内はゆったりとした空気が流れているため、芽衣の叫びは悪い意味で響き渡る。発言内容も少々場に会わないものであり、二人の席へと視線が集まった。


 極度の人見知りである眞文からすれば最悪の状況だが、目の前で頬を膨らませている可愛い生物をどうにかしなければもっとマズい状況になりかねない。それに否定しておかなければならないこともあって周りを気にする余裕があまりなく、不幸中の幸いというべきか、眞文は芽衣の対処に集中できた。


 「へ、へんなことはしてないからね!」


 「……じゃあ何やってたんですか?」


 「えっと、おかゆ作ったりタオル交換したり……?」


 沈静化しようとしているのに、正直に事実を答えてしまうのが眞文である。それによってさらに燃え上がらせるという最悪の結果となってしまう可能性もあったが、今回は結果的に目的を達することとなった。


 「もういいです……。これ以上は言わないでください。まさかあの兄がここまで心を開いているとは思いませんでした。さすが二年半も働いているバイト先の同僚さんです」


 いじけていたし悔しい気持ちもあったようだが、芽衣がそう言って自分を認めてくれたことに嬉しくなった眞文は、バイト先での結人について嬉々とした様子で語った。


 「お兄さんにはホントにお世話になってるの。うちのお父さんとお母さんも頼りにしてるし、常連さんからも評判いいんだよ?」


 「両親公認、だと……?」


 「そ、そんなんじゃないよ!」


 少し饒舌になってきた兄の同僚に揺さぶりをかけ切り込む隙を見出した芽衣は、ここで思い切った質問を口にする。目の前の美人もそれなりに分かりやすいため、芽衣はまず間違いないだろうと考えながらも確認したようだ。


 「でもまふみんさんはお兄ちゃんのこと好きですよね?」


 まっすぐな瞳に射抜かれた眞文は、リンゴもびっくりなほど顔を真っ赤にして視線を彷徨わせながらもしっかり肯定した。


 「えっ、あの、その……うん」


 (あーもう、可愛いなぁ。……まあでも、ここからが本番だよね)


 初心な反応に此方の方が恥ずかしくなってきそうだと思いつつ、気を引き締め直した芽衣。この人は正面からぶつかればまっすぐ返してくれる人だと感じた彼女は駆け引きなどせずに向き合うことを決めた。


 「あの、眞文さんは兄のことどれくらい知っていますか? 交友関係とか、過去のこととか」


 「……あんまり知らないよ。うちでバイトしてるときの結人くんくらいしか、知らないの。もう一つのアルバイトのことも、大学のことも、何も聞いてない。昔のことは事故についてだけ聞いたけど、詳しいことまでは聞けなかったから……」


 寂しげな表情で返事をしてくれた目の前の思いやりにあふれたお姉さんに、芽衣は素直な気持ちを伝える。


 「……そうですか。眞文さんが察し良くて優しい人でよかったです」


 「それは違うかな。ただ臆病なだけだよ……」


 「確かにそれもあるかもしれません。でも、話の流れで聞こうと思えば聞けることにも触れていないのは、兄のことをよく見ていていろいろ気づいてるからですよね?」


 「……結人くん、けっこう分かりやすいから」


 困ったように笑う眞文に対し、嬉しい芽衣は楽しそうな笑顔で兄をディスった。


 「まあクソ雑魚メンタルですからね。何か悪いこと思い出すとすぐ顔に出るので」


 「……」


 「ほら、そこで黙っちゃうところも優しいと思います。あの、そんな優しい眞文さんに、一つお願いしてもいいですか?」


 呼び方を変えたのはよほど真剣なお願いをするからだろうと、眞文はすぐに気が付いた。それに呼び方だけではなく、スッと切り替わった雰囲気からも本気度がうかがえる。


 「……内容によるけど、私にできることなら」


 息を呑むという表現が相応しい引き締まった表情で視線を合わせてくれた眞文に、芽衣は少し前の自分を殴り飛ばしたくなった。


 (……ほんと、人を見る目はまだまだだなぁ。ワタシなんかが心配するのもおこがましいくらい強い人だったじゃん)


 内心で自嘲しつつ、二回目のお願いを言葉にする。


 「兄のことを思ってくれるなら、眞文さんから兄には告白しないでください。いろいろ問題のある兄の方から告白させるようにしてくれませんか? 酷いことを言っているのは分かっています。気持ちを伝えるなと言ってるんですから。それに、幸か不幸か、兄のことを思っている女性は他にもいます。兄の選択次第では思いも告げられないまま諦めることになるかもしれません。でもこうしないと、兄は……」


 「芽衣ちゃんがそこまで言うなら、私はそれに従うよ。お兄さんのこと、大好きなんだね」


 妹が兄の恋愛に首を突っ込むのはおかしいと、芽衣自身が一番理解している。だからこそ眞文の言葉に救われた気がして、理解してもらった気がして、彼女は涙をこらえながら感謝を伝えた。


 「っ! あ、ありがとう、ござい、ます……」


 「私なんかが結人くんに選んでもらえるかは分からないけど、負けたくないから頑張るね。芽衣ちゃんも頑張ってるんだし、私も一緒に頑張るから……」


 自分に言い聞かせるように頑張るという言葉を呟く眞文から、芽衣は容易に感情を読み取れた。


 「……すみません。怖い、ですよね?」


 「うん、怖いよ。……でも頑張るって決めたから。結人くんが告白してくれるように。私じゃなかったとしても前に進めるように」


 「本当に……ありがとうございます」


 (兄のことを好きになってくれて。でも眞文さんは優しすぎます。お兄ちゃんのためなら自分の気持ちを捨ててしまうんじゃないかって思うくらいに。ワタシはそのことが、どうしようもなく怖いんです。酷いことをお願いした自分が言えることじゃないですけど、どうか後悔だけはしない選択を……)


 ココアの甘い香りも、パンケーキの鮮やかな彩りも、今は何も分からないくらい、芽衣は深い思考の海で自問自答していた。


 これは正しいことなのか。誰も幸せにならない結末に導いているのではないか。


 覚悟はしたはずだった。けれど優しさに触れて揺らいだ。みんなが幸せになれる方法はないのかと本気で思った。


 (……お兄ちゃんのバカ)



 暗い海の底にいた彼女を呼び戻したのもまた、優しい天使だった。


 「そういえば、芽衣ちゃんは神堂蓮さんって知ってる?」


 「……へ? 蓮さんですか?」


 「あ、知ってるんだね。友達がバイト中にその人見かけたみたいで、ものすごいイケメンだったって連絡してきたの。本人もバイト先の人に教えてもらうまで知らなかったみたいなんだけど、海外で活躍するサッカー選手なんだよね?」


 「……そうですね、はい。いやでもどうしてこのタイミングで帰ってくるかなぁ。あの人……」


 「あれ? もしかして知り合いなの?」


 「えっと、知り合いというか、もう一人の兄みたいなものというか……。お兄ちゃんの幼馴染で唯一の友達なんです、その人」


 「……えっ?」


 また面倒なことになったと頭を抱える芽衣。そして頭の整理が追い付かない眞文。


 二人の長くも短い話は終わり、結人を中心とした物語はおそらく一歩前進した。


 しかし、そのストーリーを如何様にも変容させてしまうジョーカーのような存在が、すぐそこに迫っているのだった。

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